アフガニスタン最大の女性保護支援組織「Women for Afghan Women(WAW=アフガン女性たちのための女性たち)」は何年も費やして、計14の州に32の避難所や家族向け助言センター、子ども用施設の活動ネットワークを築き上げた。ネットワークは口コミで広がり、支援の必要性が高まっていた。
タリバンが8月6日、電撃的な進攻を開始したため、WAWは数日のうちに施設の閉鎖に着手した。タリバンが来るとの知らせで、大半のシェルター(保護施設)の責任者は書類をひっつかむか焼き捨て、わずかな物だけを持って施設の利用者たちと一緒に逃げた。
きわめてわずかな避難所――WAW所属の施設だけでなく、もっと昔からある少数の施設も含め――の責任者たちはその場にとどまる道を選んだが、口をつぐんだ。何か言えば、保護下にある女性たちに害が及ぶかもしれないことを恐れたからだ。どの施設も新たな受け入れは、できないでいる。
「私たちの施設、私たちの保護センターは消え失せてしまった。私たちが女性たちのために行ってきた仕事の大部分が、これまでのようにできる可能性は非常に低い」。WAWの共同創設者スニタ・ビスワナートはそう語った。
アフガンではタリバンが政権を握る前から、女性保護に関してはあらゆるリストのほぼ最下位に置かれ、そして女性の安全確保のための避難所やカウンセリング、裁判所の必要性については最上位にあった。
アフガニスタン女性省が引き合いに出した調査によると、全アフガン女性の半分以上が身体的な虐待を受けたとされ、17%は性的暴力に遭ったと報告されており、約60%はアレンジ婚(訳注=当事者の思いとは無関係に親同士などが決める結婚)ではなく強制的な結婚だった。また、過小報告も横行している。
名誉殺人(訳注=女性が強制結婚などを拒否したりすると、「家族の名誉を汚した」として親族がその女性を殺害する慣行)や児童婚、女性への婚資の支払い、バード――年長者の借金の返済がわりに少女を渡す慣行で、子どもを奴隷として売り渡す行為に等しい――は現在もなお、地方で行われている。最近の研究によると、職場や公共の場など、どこであれ女性に対する嫌がらせは心理的な虐待と同様にずっと続いている。
(訳注=タリバンによる)攻勢が勢いづくにつれ、WAWやその他の同じようなシェルターのスタッフがまず懸念したのは、タリバンが彼らに何らかの制裁を加えるのではないかということだった。1990年代にこの国の統治者だったタリバンは、女性が一人で行動したり、集まったりすることに強く反対した。
近年のタリバンの振る舞いも、懸念されていた。タリバンが2015年にクンドゥズ市(訳注=北部のクンドゥズ州都)を一時的に制圧した際に、WAWの施設運営者と利用者たちは、タリバンからの脅迫電話が殺到したため、全員が逃げ出した。施設の責任者はあからさまに追いかけられたといい、彼女を捕まえて見せしめのために村の広場につるすとの電話をタリバンから受けたと語った。
しかし今回、施設運営者や利用者を震え上がらせたのは、タリバンに対する恐怖だけでない。ここ数週間、タリバンの戦闘員がいくつかの施設に姿を見せていた。WAWのビスワナートによると、戦闘員たちは施設の敷地内に入って器物を壊したり、建物を乗っ取ったりしたが、誰かに危害を加えたという報告はまだない。
「私が知る限り、殴られたり、襲われたり、殺害されたりしたスタッフは一人もいない」と彼女は言っている。
だが懸念の多くは、タリバンの進攻中に次々に釈放された囚人たちがもたらした。その中には、ここ20年間に西欧諸国の支援で制定された女性保護関連の法律下で投獄された男性たちもいる。元囚人たちは、自分たちを非難し、公然と侮辱した女性の親族に対してだけでなく、そうした行為を支持した人たち――つまり保護施設の責任者、カウンセラー、弁護士たち――全員に対して遺恨の念を抱いているのだ。
農村部のバグラン州から来た女性は、殺害予告の脅迫を受けているため匿名を条件に話してくれたのだが、数日ごとに寝場所を変えているという。彼女はかつて、検察官に協力し、女性たちに対する嫌がらせの証拠集めを手伝っていた。
「タリバンは、都市部を制圧した後、囚人全員を釈放した。囚人たちの中には、私の仕事の結果として処罰された者も何人かいる」と彼女は言っている。「だから今、彼らは私を脅しているけど、私には頼れる政府もなければ、保護施設を提供してくれる制度もない。私はただ、ある場所からある場所へと逃げ隠れするだけだ」
シェルターは、長いこと標的にされてきた。単にタリバンの問題だけでなく、アフガンの厳格な家父長制社会では多くの人が、独り身だったり家族から離れたりしている女性たちを往々にして売春婦とみなす。虐待を受けた女性のためのシェルターは、売春宿であることを隠すための装いをこらしているだけの場所だとみる者もいる。
それでもここ15年間、女性の保護に対する社会的な敵意にもかかわらず、多くの人たちが、シェルターを求めるようになった。多くの場合、そうした女性たちはひどいけが――骨折や、強烈な殴打による内臓損傷――を負っており、目をつけられていない施設や女性支援グループの援助で女性を受け入れてくれるふつうの家を何度も訪ねていた。
こうした活動が続けられるかどうかは、タリバン次第だ。タリバンは女性の行動を統制する独自の法律を発表するとみられている。その法律は前政府による「女性に対する暴力排除法(EVAWA)」その他の保護関連措置をないがしろにすることになろう。
現在のところ、タリバンの幹部はシャリーア(イスラム法)の下で、女性の労働や、場合によっては男性親族の付き添いなしでの旅行を保証するとしている。タリバン幹部が安全確保のため女性は一時的に家にとどまるよう促した後、スポークスマンのザビフラ・ムジャヒドがタリバン幹部の多くが女性への対応について信用されていないとしたうえで、女性教育の必要性を認めたことで周囲を驚かせもした。
タリバンはほぼ全土を掌握した1996年にも同様の声明を出したことがある。
その時の説明は、治安が良くないので、治安が改善されたら、女性たちはより自由を得られるとしていた。ヒューマン・ライツ・ウォッチの女性権利問題担当ヘザー・バールは言う。「しかし、もちろん彼らが権力を握る間、その時は到来しなかった。そして今日、これを耳にしたアフガン女性たちが、今回もその時はけっして来ないと考えていることを、私は断言できる」(抄訳)
(Alissa J. Rubin)©2021 The New York Times
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