――今回の事態を予想していましたか。
昨年3月の退任時には予想していなかった。これから和平交渉が始まるという時期で、米欧諸国や日本、中、ロ、周辺国を含めた国際社会は、タリバンと共和国政府(ガニ政権)との話し合いによる和平の達成を望んでいた。
しかし、話し合いの進め方では合意したものの、両者の間で議題が決まらない状態がずっと続いた。話し合うはずだった停戦についても話がかみ合わず、交渉の進展はなかった。共和国政府が一つにまとまり、代表団を作るまでにも時間がかかった。話し合いが難航するなか、今年1月に米国でバイデン政権が発足し、米軍の撤収が決まった。和平交渉が進展をみせなかったことは大変残念だ。
■教育、医療……成果もあった
――20年の時間があったのに、なぜアフガニスタンは生まれ変われなかったのでしょうか。
私は2014年末から6年近く、カブールで暮らした。20年間、ずっと戦争が続く状態では、社会の発展の基礎になるインフラの整備もままならない。国際社会は莫大な金額の支援を行ったが、社会資本に蓄積されることは難しかった。近代的な政治制度を植え付ける努力もしていたが、非常に伝統的な社会で、地方の長老たちが政治の中心となるアフガニスタンでは、人々に新しい中央集権的な行政制度を根付かせることは容易ではなかった。
もちろん、幾つかの成果はあった。教育をみれば、2001年当時に60万人だった就学児童が300万人にまで増えた。ほとんど就学できなかった女子も全体の4割を占めるまでになった。医療クリニックの数も格段に拡大した。それでも、紛争の続く中、貧困の撲滅は難しかった。国民の半数が貧困状態に陥ったままだった。
アフガニスタンは伝統的な社会で、特にコミュニティーレベルでは、地方の指導者が主導する従来の形態が存続した。問題に対処するためには、地方指導者が、新しい行政システムと協力した。タリバンの影響力が強い地域では、地方の教育について話し合うときなどで共和国政府とタリバンの代表がコミュニティーの指導者と一緒に話し合うこともあった。
選挙も一人一票や秘密投票の制度は整えられたが、地方指導者の影響力が強いところでは、話し合いで決まるのが実情だった。
アフガニスタンのように伝統的な社会に、発展した法治国家の制度が根付くには、それなりの時間を要する。
■タリバン、周囲の懸念を理解している
――山本さんはタリバンと何度も協議を重ねてこられました。
タリバンは大きな組織で、軍事部門と政治部門を持っている。教育や保健など行政分野ごとの委員会もある。政治部門の指導者は国際情勢を把握し、英語の堪能な者も少なくない。タリバンのウェブサイトで発表される声明や主張は極めて論理的で洗練されている。イスラム関連だけではなく、古今東西の文献を引用することもある。知的レベルは高く、国際社会とどのように付き合えば良いのか理解している。
彼らは今、「外交官の安全を保障する」「復讐しないから安心してほしい」「行政官が必要だから国に残って欲しい」「アフガン人の皆を代表する(inclusive)政府をつくる」と訴えている。彼らは、周囲の懸念を理解している。
他方、タリバンは1990年代の終わりに、急進的なイスラム教解釈を掲げて現れた組織でもある。最高指導者のハイバトゥラ師は宗教指導者だ。厳しいイスラムの戒律を固く信じている人もいる。軍事部門には、後者の考えの人が多いと言われている。
タリバン指導部が示そうとしている配慮が、単に国際社会や国民を安心させるためでないことを期待するが、仮に本気でそのような政策を掲げているにしても、言葉だけでなく、行動で示す必要がある。また、一兵卒に至るまで理解させることができるのか、多くの人は疑問に感じている。過去のタリバンの行いを記憶している。大勢の人が国外に脱出しようとしている。
国際社会は注意深くモニターし、タリバンを導いていく努力をすべきだ。
タリバンの広報官は米メディアとのインタビューで「女性は学ぶ権利、働く権利を持っている」と語った。タリバンは数年前から、国連にも同じ考えを繰り返していたが、「本当に権利を保証するのか」と聞くと、「シャリア法の枠組みの中でだ」と述べ、具体的な説明は避けていた。今後、タリバンは、具体的に何を保証するのか示していく必要がある。国際社会も、こうした権利の保証を働きかけていく必要がある。
――アフガニスタンが再び、テロリストの温床になるという懸念もあります。
今の段階では、懸念が全くないとは言えない。タリバンは自らの政策について、一貫して「アフガニスタン国内に限ったもので、周辺国に押しつけることは考えていない」と主張している。地域全体に原理主義をもたらそうとする国際テロ組織のアルカイダやイスラム国とは異なった立場だ。しかし、思想的に近く、人間関係もある。
国際社会は、タリバンをテロリストの側に追いやってはいけない。タリバンに「アフガニスタンをテロの温床とさせず、国外には影響力を行使しない」という約束を念押しする必要がある。タリバンがこの約束を徹底できるかどうかは、今後ありうる、国家承認や新政権への支援にも大きく影響しうることを悟らせる必要がある。
■批判するだけでない向き合い方を
――欧州各国では、アフガニスタン難民の流入への懸念が高まっています。
タリバンがどれだけ、アフガニスタンの人々を安心させられるかにかかっている。国際社会もアフガニスタンの安定化に向けて、タリバンを批判するばかりではなく、国民が安心できるような政治と行政を行うよう促していかなければならない。
ただ、タリバンが制圧する前の、最近の世論調査では、タリバンの復権を望まない人が7割から8割もいた。過去のタリバンの行いの記憶から、国外に逃れる人々は大勢いるだろう。この場合の受け入れ国の負担は多大なものになる。特に近隣諸国の社会・経済的な負担は大きい。
すでにイランとパキスタンには、それぞれ300万人前後の避難民がいる。トルコにも相当数が逃れている。これらの国々が継続して避難民を受け入れることができるよう、国際社会として感謝し、資金面で支援し、難民を受け入れる環境の整備に努めるべきだ。
――アフガニスタンの混乱は国際秩序にどのような影響を与えるでしょうか。
アフガニスタンは地政学上の結節点に位置する。国連の立場で言えば、大国間競争の場にすべきではないし、インドやパキスタン、イランなどの地域大国が政治的に張り合う場にもすべきでない。アフガニスタンで誕生する政権が、地域の安定に資するものとなるよう、国際社会としても協力し合って、実現に努めることが必要だ。国際社会があまりにもかたくなな対応を取れば、アフガニスタンを困難な立場に追い込み、安定を損なうかもしれない。
■中村哲さんの思いを大切に
――日本はどのような役割が可能でしょうか。
短期的には、戦争で傷ついた人々への人道支援が何よりも重要になってくる。ただ、これは対症療法といえるものだ。長期的には国づくりの支援だ。タリバン中心の政権になっても、それが国際的に受け入れられないものとならないよう、「すべての人々を代表する政権になるべきだ」というメッセージを送り続け、その方向に導くように支援をしていく。
そのために、すべての主要関係国と域内の国々と協力していくべきだろう。日本は、アフガニスタンに関係する多くの国々とは異なり、自らの政治的野心を有さない、偏りのない国だ。大事な局面では、音頭を取れる立場にあると言える。私はタリバン関係者に、日本の戦後復興の過程を説明し、「日本に見習うところがあるかもしれない」と語りかけたことがある。タリバン側の反応は「全くその通りだ」というものだった。
日本は世界的にみて、国際支援の模範になってきた。戦争前の状況を反省し、多くの支援を行った。中国や東南アジア諸国の経済発展に、日本の支援が大きく貢献した。同じように貢献していくべきだろう。日本は過去、2回のアフガニスタン支援国会合を開いた。状況が落ち着いた後、3回目の会合を主催すれば、世界は大歓迎するだろう。
(2019年12月、現地で殺害された)中村哲さんは、日本の支援を象徴する方だった。自分の利益を考えず、どうしたらアフガニスタンの人々の幸せを実現できるかを考えていた。アフガニスタンでの中村さんは、まさに誰もが知っている「お茶の間の人」(household name)だった。
私が国連アフガニスタン支援団代表に就任したときも、アフガニスタンの人々が「国連は今度は日本人をトップにしてくれた」と喜んでくれたほどだ。私たちは、中村さんの思いを大切にしていかなければならない。
やまもと・ただみち 1950年生まれ。74年に外務省に入省し、米国公使、国連教育科学文化機関(UNESCO)大使、ハンガリー大使を歴任。2016年から20年3月まで国連事務総長特別代表として国連アフガニスタン支援団(UNAMA)代表を務めた。日本人が国連事務総長特別代表を務めたのは3人目。
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