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タリバーンを初めて密着取材 兵士が写真家に明かした本音「仕事がないからジハード」

世界報道写真展から――その瞬間、私は 更新日: 公開日:
NANGARHAR PROVINCE, AFGHANISTAN - DECEMBER 11:A group of Taliban fighters parade their equipment in a remote hide out in Khogiani district.(Photo by Lorenzo Tugnoli/ The Washington Post)
photo: Lorenzo Tugnoli/Contrasto for The Washington Post

イエメン内戦の現場写真で昨年のピュリツァー賞を受賞したイタリア人報道写真家ロレンツォ・トゥニョリ(40)は、主に中東地域の紛争地取材のエキスパートとして世界的に知られている。そのトゥニョリがライフワークと位置づけ、写真を撮り続けることに強いこだわりを抱いている国がある。長年紛争が続くアフガニスタンだ。

2010年から5年間は実際に首都カブールで暮らし、危険地取材で最も重要となる地元の人たちとの信頼関係や人脈構築に力を入れてきた。難民キャンプや首都近郊の市民生活に密着、アフガン政府軍に同行するなど、紛争下のアフガニスタンを精力的に取材した。それでも、接触することすら困難だった組織が、武装勢力タリバーンだった。

そのタリバーンが昨年12月、密着取材を初めて認めた。同国からの米軍撤退に向けた交渉に米政権が乗り出したのが追い風になった。「交渉をうまく展開するために、国際的なイメージを改善する意図があったと推測している」とトゥニョリ。契約カメラマンとして取材団に加わったワシントン・ポストが米紙大手だったことも、タリバーンが取材を認める大きな要素となった。

「若い兵が多かった。行動も話し方も、アフガン政府軍兵と変わらない。違うのは着ている戦闘服だけ。同じアフガン人だと実感した」

トゥニョリが抱いたタリバーン兵の印象だ。兄弟がタリバーンと政府軍に分かれて戦う家庭もある。存在目的を聞けば誰もが「ジハード(聖戦)」と答えるが、「仕事がないから」などの本音も聞けた。生きるための選択の一つ。イエメンやリビアなどで取材した武装勢力に属する若者たちの姿に重なったという。

約1カ月、タリバーンと政府軍の両方に密着。さらに今年2月には独自に入国して改めて取材した。合意の試金石として米国が求めた約1週間の仮停戦では、本当に戦闘が止まり、「地獄が突然、天国に変わったようだった」。ただ、アフガン政府はタリバーンとの和平協議に慎重だ。捕虜の交換などを通じて信頼醸成を試みているが、両者の戦闘をなくすのは簡単ではない。「現実は厳しい」とトゥニョリは楽観していない。

この取材に先駆けて、昨年2月にはカブール郊外の難民キャンプを撮影していた。フリーランスとしての独自のプロジェクトだった。紛争の混乱を逃れてアフガニスタン各地からたどり着いた人々が暮らす。難民が望むことは一つだという。

「だれが政権を担うかなどに関心はない。戦火のない平和な世の中で暮らしたい。それだけを求めている」

難民キャンプとタリバーン、アフガン政府軍の取材で撮影した写真をまとめてストーリーにした。題名は「The Longest War」。これを今年の世界報道写真コンテスト「現代の問題」部門に応募し、1位に輝いた。

ただ、アフガニスタンに平和はまだ訪れていない。「紛争の時代しか知らない国民が願う戦闘のない日常はまだ遠い」と強調するトゥニョリ。その日をカメラに収める瞬間が、少しでも早く来ることを待ち望んでいる。

アフガニスタン和平交渉

米国は同時多発テロが起きた2001年から、「テロとの戦い」を理由に米軍をアフガニスタンに展開。武装勢力タリバーンの掃討を目指した。米史上最長の戦争とも言われる。ところが市民の犠牲は4万人を超え、膨大な戦費もかさんだことから、トランプ政権は方針転換。タリバーンと直接交渉に乗り出した。2月下旬、和平順守を条件に、駐留する約1万3000人を135日以内に8600人まで縮小することで合意。残りの部隊も14カ月以内に完全撤退させる。

ただ、頭越しの交渉にアフガン政府は困惑した。実際の終戦に欠かせない自国内の両当事者による直接交渉は難航必至だ。アフガン政権内でのタリバーンの位置づけなど難しい課題が多く残っており、和平への道は依然として険しい。(山本大輔)