3人は日本で暮らすアフガニスタン7人家族の父と母、三女。父親が2011年に単独で来日して自動車関係の会社を設立した。それ以降、順々に家族を呼び寄せ、3年ほど前に全員がそろった。
今年4月中旬、文化の違いから日本での生活に負担を感じ始めた母親を気遣い、父が一時帰国を決断。父母と三女が首都カブールに戻った。残りの子ども4人は日本で帰りを待った。
ところが滞在中にハプニングが起きた。親戚が新型コロナウイルスに感染して急逝し、葬儀の準備に追われるなどしたため、日本への帰国を6月に延期した。
すると日本側が新型コロナの水際対策を強化し、再入国が制限された。その矢先、タリバンが8月15日、電撃的にカブールを陥落させ、帰国のめどは完全に立たなくなった。
3人はタリバン政権の復活に緊張した。というのも、一家はタリバンがこれまで弾圧してきた少数派のハザラ人だからだ。
カブールの空港には大勢の人が殺到し、市内の自宅近くでも複数の爆破が起きた。大混乱だった。
3人は第三国経由で日本に戻れるよう、民間航空便が再開されるまで自宅で待機することを決めた。
カブールの銀行は現金不足が続いており、手持ちの現金が日本円で2千円を切ったこともあった。必要な食料や生活品はカブールに暮らす親戚からお金を借りて、なんとかまかなった。
タリバンは厳格なイスラム主義に基づき、特に女性の人権を抑圧してきた過去がある。このため、街中からは若い女性の姿がすっかり消えた。三女は恐怖を感じ、ストレスで苦しんだ。
「早く帰りたい」
ただただ、そう願った。
11月上旬。カブール空港発の航空チケットを何とか確保したが、出発の10時間前、航空会社から突然、新型コロナの「迅速抗原検査」の陰性証明書の提出を求められ、やむなく搭乗をキャンセルした。
父親は一時、「このままでは一生、日本にいる子どもたちと離ればなれになるかもしれない」と覚悟した。
3人は陸路で出国することを考えた。日本にいる支援者の力を借りて、観光ビザで隣国パキスタンに避難する計画だった。
ただ、国境ではタリバンが市民に暴行する事件が相次いでいるとの情報があった。
そこでまず、父親が知人と一緒に「下見」をすることに。11月中旬、カブールから約5時間かけて、避難ルートをたどった。向かったのは、カイバル峠にある国境のまちトールハムだった。
国境ではライフル銃や鞭を携えたタリバンの戦闘員約50人がパトロールしており、市民が検問所の前に行列を作っていた。
戦闘員が、パキスタンへ密入国しようとする人を見つけては鞭でたたく様子も目撃した。
注意深く観察すると、鞭で打たれていたのは全員男性で、行列にいた子どもや女性には手を出していないようだった。
「リスクはあるが、これならいける」
父親はそう判断した。
カブールに戻り、出国準備にとりかかった。妻と三女を連れて再びトールハムへ。朝6時ごろに到着したアフガニスタン側の検問所には、この日も行列ができていた。
書類を見せても検問所を通過できない人の姿も見えた。約9時間並んだ末、いよいよ家族に順番が回ってきた。
パキスタンの観光ビザとパスポートをタリバンの戦闘員に見せる。
「通ってよし」
その言葉に、胸をなでおろした。
両国の検問所の間にはフェンスで囲まれた通路がある。パキスタン側の検問所に向かうこの通路にも行列ができて、なかなか進まない。
毛布に包まり、一晩を過ごした。外は寒く、凍え死にそうだった。タリバンもまわりにいたため、緊張してなかなか寝付けなかった。
PCR検査を受けてパキスタン側の検問所を通過できたのは翌日の午後3時ごろで体力的にも限界を超えていた。
家族はそこから1時間半かけてペシャワールへタクシーで移動。日本への航空チケットを手に入れるまで、ペシャワールのホテルに1週間ほど滞在した。
11月下旬。ペシャワール国際空港からカタール経由で日本へ向かう飛行機に乗った。
「何度も助からないかも知れないと思ったが、これでやっと無事に生きて帰れる」。父親はようやく緊張感から解放された。
国内の指定宿泊施設で3日間過ごしてPCR検査を終えたのち、子どもたち4人が待つ自宅に帰ることができた。家族は抱き合って喜び合った。タリバンが政権に復帰してから3カ月以上がたっていた。
◇ ◇ ◇
家族が今、最も心配するのは三女のことだ。4月に日本の公立中学校を卒業し、来年には高校受験を控えている。
カブールに足止めされていたこの数カ月間、ストレスに苦しんだだけでなく、満足に受験勉強ができなかった。「外に出るのが怖った」と振り返る。
帰国後、三女は夜間中学校に加えて、日中は地域の日本語教室に通っている。同じく高校受験を控えている次女と、毎日励まし合いながら勉学に励んでいるという。
「まだ自分の人生を諦めていない。日本でデザイン関係の仕事に就けるよう、高校に行って精いっぱいのことをしたい」と三女は話す。
日本で3人の帰国を待っていた子どもたちも苦しかった。長男は毎日、現地のニュースを確認し、睡眠障害などに悩んだ。幸い、家族と再会してからは症状は徐々に改善してきたという。
一方、今なおカブールで暮らす一家の親戚も今後、イランやトルコなどに避難することで準備を進めるという。
父親は振り返る。
「長い悪夢が終わった。でも私たちの家族は運が良かっただけ。日本に暮らすアフガン人の多くの家族や親戚がアフガンに残ったままで、タリバンから身を隠しながら国外へ無事に避難できる日が来ることを望んでいる。母国にいつか戻る、ということはもう考えられない。ビザの状況が許す限り、安全な日本を拠点に人生を歩みたい」