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タリバンのアフガニスタン速攻制圧なぜ? 7年前から「寸止め」、農村支配で都市包囲

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治安維持の名目で、カブール市内に展開するイスラム主義勢力タリバンの特殊部隊とされる画像。8月23日、タリバン構成員が朝日新聞に提供した
治安維持の名目で、カブール市内に展開するイスラム主義勢力タリバンの特殊部隊とされる画像。8月23日、タリバン構成員が朝日新聞に提供した

首都に進軍してきたタリバンの映像を見て、気付いた点がある。彼らが手にしている自動小銃は、30年近く続いた戦いの中で彼らが使い続けてきた旧ソ連型のカラシニコフではない。世界各地の戦場で米兵が携行し、アフガン政府軍にも配ってきたM16だった。タリバンに対して、政府軍が武器を渡して投降したことを物語る。

2001年、米軍の圧倒的な軍事力を前にタリバンは政権を追われ敗走した。戦闘員の多くは、農村部や隣国パキスタンに逃れて身を隠した。当時、パキスタン側で取材したタリバン構成員は「いつでも反撃に出る。復讐は100年たっても遅くないということわざがある」と語ったが、当時、私はまったく現実味を感じなかった。

しばらくすると、タリバンはアフガン各地でゲリラ攻撃や爆弾テロを仕掛け、アフガン政府や米軍を悩ませるようになった。特に自爆テロは、それまでアフガニスタンになかった手法で、守る側の対応を難しくした。タリバン関係者は「自爆はアラブ人が持ち込んだ」と説明していた。タリバンがかくまっていたテロ組織アルカイダ流の手法が受け継がれたことを意味する。

自爆テロによって破壊されたアフガニスタン政府(当時)の関連施設=2016年4月、カブール、ロイター
自爆テロによって破壊されたアフガニスタン政府(当時)の関連施設=2016年4月、カブール、ロイター

対抗して米軍が始めたのは、戦闘機や無人機(ドローン)を使った空爆とともに、タリバンの潜伏情報がある村々での徹底したタリバン狩りだった。この地上作戦は「ナイトレイド(夜襲)」と呼ばれ、タリバンの主要構成民族であるパシュトゥン人が住むアフガン南部から東部にかけての一帯を中心に繰り返された。

2014年初頭、私は中部ガズニ州の村で行われた夜襲作戦について取材した。現地は外国人の私が近づくことが難しい地域で、複数の村人を首都カブールでインタビューした。

村人によると、作戦は深夜ヘリコプターの轟音とともに突然始まった。米軍とアフガン政府軍の混成部隊が村の約300世帯をしらみつぶしに回り、返事のない家のドアは爆弾を使って押し破った。氷点下の寒さの中、大人の男性たちは全員、着の身着のまま一軒の民家の中庭に集められた。「この中にタリバンがいる。そいつは誰だ」と尋問された。女性や子供だけが残った民家は一軒ごとに捜索を受けた。軍用犬を連れた兵士が文字どおり土足で上がり込み、鍵がかかった戸棚を銃でたたき割って調べたという。女性たちはおびえ、子供は泣いたという。

タリバンの情報を求めてアフガン人に質問するアメリカ軍兵士ら=2006年9月、アフガニスタン・ガズニ州、ロイター
タリバンの情報を求めてアフガン人に質問するアメリカ軍兵士ら=2006年9月、アフガニスタン・ガズニ州、ロイター

アフガン国防省によると、当初米軍が単独で行っていた夜襲作戦は、2006年ごろからアフガン政府軍との共同作戦となり、取材した時点ですでに6千回程度は行われていた。取材したガズニ州の村が捜索を受けたのは6~7回目だった。

作戦はタリバン封じ込めに効果を上げる一方、村人から非常に評判が悪かった。村人の一人は私に、米兵に押さえつけられた時の苦しさを身ぶりを交えて語った。米国で昨年、黒人のジョージ・フロイドさんの首を警察官がひざで圧迫して殺した事件があったが、あの映像と同じようなやり方だった。村人は保守的なイスラム教徒だ。家々は他人を拒絶するように高い土壁に囲まれ、男性たちは身内の女性の顔を家族以外に見せることすら嫌う。男性たちのいない自宅に武装した外国人に踏み込まれることは、彼らにとって屈辱以外の何物でもなかった。

米軍は2014年末でこの作戦から手を引いた。地方からの陳情者から夜襲作戦への不満を聞いていたカルザイ大統領(当時)は「夜襲作戦をやめない限り、外国部隊の駐留延長を認めない」と主張。オバマ米政権と激しく対立した末、米軍主導の外国部隊は現場でのタリバン掃討作戦など戦闘任務から退き、政府軍の訓練や支援に回ることになった。

もっとも、米軍の任務縮小の裏にはオバマ政権の事情もあった。オバマ政権は11年、アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者をパキスタン国内で殺害した。アフガニスタンで始めた対テロ戦の最大の標的がいなくなったことで、アフガン軍事介入を続ける動機が失われつつあった。

ビンラディン容疑者が殺害された邸宅=2011年5月、アボタバード
ビンラディン容疑者が殺害された邸宅=2011年5月、アボタバード

戦闘任務の終了とともに、外国部隊は首都カブールやバグラム基地などの限られた拠点を除き、地方に点在していた駐屯地から相次いで撤退した。その影響は瞬く間に表れた。

ガズニ州の前述の村にタリバンが公然と姿を見せたのは、州都の駐屯地から米軍が去って2日後のことだったという。2015年12月、私はこの村を含む3カ所の村々で何が起きているのか、住民たちから再び聞き取り調査した。

ガズニ州では、タリバンが村々のモスクを毎日巡回するようになり、そこが事実上の行政窓口になった。複数の村々を管轄する「地区」の中心地には、依然として役場や警察が活動を続けていた。これが政府とタリバンによる二重支配の始まりだった。

村でタリバンが存在感を示したのは裁判だった。土地をめぐる争いや金銭問題など、村人が抱える仲裁案件は数多いが、政府系の役場や裁判所に持ち込んでも、賄賂を要求されたり、放置されたりするのが常だった。タリバンは1週間ほどで判決を出した。異論があっても銃の力で抑え込み、判決を守らせた。

別の村では、タリバンが徴税を始めた。収穫期になると、作物の集積所やモスクに村人を集め、収穫の1割を徴収した。小麦や野菜、肉の価格を決め、物価統制のようなこともしていた。NGOなどが行う道路や水路の補修には協力するよう奨励したが、政府がやる工事への参加は認めなかった。

タリバンは志願兵の勧誘もしていた。提示した月給は普通の若者なら6万円ほど。村の有力者なら16万円ほど。当時は警察官の月給が2万円ほどだったから、かなりの好待遇だったことになる。

この頃の状況について、村人は「政府の支配は役場からせいぜい200~300メートルの範囲。その外側はタリバンが自由に動き回っていた」と語った。タリバンにとって、役場や警察を攻め落とすことは可能だったが、役場を占拠すれば米軍の戦闘機で報復される。そう分かっていたタリバンは、役場を包囲しながら、事実上の「寸止め状態」に置いた。役場の政府関係者も現実を知っていたのだろう。タリバンに対して攻勢に出ることのないまま、均衡状態が始まった。今から7年も前のことだ。

こうした二重支配の地域は「グレーゾーン」と呼ばれ、現地に駐在する国連を含むアフガン内外の機関が動向を注視していた。アフガン国防省の当時の見立てでは、全土に約400ある「地区」のうち、当時タリバンが政府の役場や警察を追い出し、完全支配していたのは7地区のみだった。一方でグレーゾーンは国土の3割以上に達していた。

その後の変化を米国のシンクタンク「民主主義防衛財団」がまとめている。バイデン米大統領が9月までの米軍撤退を表明した今年4月の時点で、タリバン支配地域は全土の2割弱だったが、グレーゾーンは約5割に達していた。この状況は6月下旬まで大きく変わらなかった。しかし、7月に入ると、タリバン支配地域が5割強となり、3割弱のグレーゾーンを逆転した。タリバンが一気にグレーゾーンを支配地域に塗り替えたことが分かる。

タリバンの攻勢は、4月のバイデン演説の後に始まったと考えられている。しかし、彼らが特に攻勢を強めたのは7月2日以降だろう。この日、アフガン国防省の報道担当者は、カブール北方のバグラム基地から深夜のうちに「すべての米兵が撤退した」とツイッターで明らかにした。報道によれば、米軍側はその夜に撤退することを、アフガン政府側に事前に知らせておらず、夜逃げのような去り方だったようだ。

アメリカ軍が明け渡した後のバグラム空軍基地=2021年7月、ロイター
アメリカ軍が明け渡した後のバグラム空軍基地=2021年7月、ロイター

バグラム基地はアフガニスタンに駐留する米軍の最大拠点だった。タリバンをたたく米軍の戦闘機や無人爆撃機の出撃拠点であり、拘束した多数のタリバンを尋問した収容施設も置かれていた。米軍の空爆力を最も恐れていたタリバンを押しとどめるものは、バグラム基地が放棄された時点で何もなくなった。

タリバンが地方から首都に向かって攻め込む中、政府側はほとんど抵抗しなかったと報じられている。タリバンに寝返った地方幹部もいた。現場レベルで両者の間に談合があったことを物語る。

バイデン大統領は演説で「アフガン政府軍が戦おうとしない戦争で、米兵が戦って死ぬべきではない」と語り、最後の場面で戦わなかったアフガン政府軍を批判した。実際には、2014年末の時点で米軍が地方から退場し、タリバンによる「寸止め」状態が各地に広がった時点で、戦いの趨勢は決まっていたのかもしれない。タリバンは7年がかりで農村を押さえ、都市を包囲し、首都を一気に陥落させたのだ。