■海ウナギ、獲れれば超高値
有明海の奥部、佐賀県鹿島市の石木津川の河口付近。泥におおわれ、足を踏み入れると、のめり込む。目の前をトビハゼやシオマネキが過ぎていく。
隣接する肥前鹿島干潟は、国際的に重要な湿地として、2015年にラムサール条約に登録された。ズグロカモメやクロツラヘラサギなど多くの渡り鳥が飛来し、シギ・チドリ類の重要な中継地や越冬地になっている。
中島康夫さん(79)がウナギを引き上げた。円形に石を積み上げた「ウナギ塚」で捕る伝統漁だ。「天然もんは養殖と違ってうまかばってん、前ほど捕れなくなった」。中島さんの父親が現役のころは、一度に10匹も捕ったが、今は数匹がいいところだ。
ニホンウナギは、環境省が13年、国際自然保護連合(IUCN)が14年にそれぞれ絶滅危惧種に指定した。太平洋のマリアナ諸島沖で生まれ、黒潮に乗って日本の沿岸にたどりつく。
有明海の干潟で成長した海ウナギは、青みがかった色から「アオ」と呼ばれ、美食家の垂涎の的だ。筑後中部魚市場(福岡県柳川市)によると、今年は最高で1匹3万8000円の値をつけた。
有明海は、東京湾や伊勢湾とほぼ同じ広さの内海だ。多様な生きものを育み、「宝の海」と呼ばれた。日本の干潟の約4割があり、ここが日本で最後のすみかになる生物もいる。ムツゴロウなど有明海だけにいる特産種(一部は八代海にも生息)は20種以上、アゲマキなど準特産種は40種以上に上る。
だが、生きもののにぎわいは失われつつある。漁獲量は1979年の13万6000トンをピークに18年には1万3000トンに。名産品だったタイラギは、79年の2万9000トンが、00年以降はほぼゼロが続く。農水省のデータをまとめた全国沿岸漁民連絡協議会の中山眞理子さんは「漁獲量は全国的に減っているが、有明海は特に激しい」と指摘する。
■干拓事業の影響は
佐賀県太良町の平方宣清さん(68)は冬はタイラギの潜水漁、夏はカニ漁などで生計を立ててきた。70年代は、タイラギだけで1000万円以上の収入があり、「『漁師は町の税収の半分を稼ぐ優良納税者』と言われた」と笑う。
89年、有明海の中西部にある長崎県の諫早湾で、防災機能の強化と農地の造成を目的に国営干拓事業が着工した。そのころから、タイラギが死に始めた。97年4月に諫早湾で「ギロチン」と呼ばれた約7キロの潮受け堤防が締め切られた後は、ほとんどいなくなったという。
諫早市小長井町、堤防のすぐ外側にある漁港では、平田寛俊さん(53)の船が水揚げをしていた。直径が1メートル近くにもなる「ビゼンクラゲ」だ。「昔はクラゲなんか捕ってたら、バカにされたよ」
カニ網に絡んで壊すので、かつては駆除の対象だったが、最近は中国料理の食材として売れる。夏には捕れるものがほとんどなく、多くの漁師がクラゲ漁に励む。ただ、クラゲが増える海域は漁場の環境が悪化しているとされ、喜べない。
漁師の多くは魚が減った主な原因に干拓事業があると考えており、国に潮受け堤防にある排水門の開門を求める裁判が続く。国が因果関係を認めず、開門しない姿勢をとり続けるなかで、はっきりしていることがある。赤潮の増加だ。
環境省の17年の報告書によると、有明海での00年以降の赤潮の件数は、80年代の約2倍に。赤潮で発生した植物プランクトンの死骸を微生物が分解する際に大量の酸素を消費するため、底生動物が酸素不足などで死に、それらをエサにする魚も減る、という悪循環が起きている可能性がある。「宝の海」だったはずが、「デッドゾーン(貧酸素水塊)」になっているのだ。
長崎大の東幹夫名誉教授と静岡大の佐藤慎一教授らは、堤防の閉め切り後から有明海内の50カ所で1ミリ以上の底生動物の数を調べている。当初は1平方メートル当たり8000個体近くだったが、昨年は約1200個体に減った。
ただ、一度だけ生息数が跳ね上がったことがある。00年に「有明海異変」と呼ばれる記録的なノリの不作があり、国は02年4~5月の27日間、短期の開門調査をした。直後に1平方メートル当たり2万個体以上に増えた。佐藤教授は「開門で潮流が強まり、環境変化に対応できるヨコエビ類が増えた」とみる。
干拓事業では約670ヘクタールの耕作地がつくられた。営農が始まった08年には41経営体だったが、現在は35経営体で農薬や化学肥料を減らす農業が求められている。空き地がないことなどを理由に長崎県諫早湾干拓課は「営農は軌道に乗りつつある」とする。
ブロッコリーの作付け準備に追われていたのは馬渡翔平さん(35)だ。コマツナやミズナ、ホウレンソウのハウス栽培が主力。ほかの農場では、トマトなどの栽培も盛んだ。馬渡さんは塩害が心配で開門には反対している。ただ、「元々が干潟で、土が重くて水はけが悪いから、技術的には難しい」とも話した。
ダイコンやレタスなどを作る松尾公春さん(64)は、13年前の入植当初は、開門差し止めを求める訴訟の原告にも名を連ねた。だが、冬は想像以上に寒く、ときには零下10度になる。倉庫のダイコンが凍り、遅霜でジャガイモが壊滅する経験もした。「ハウスでも霜にやられる」とも聞く。「諫早湾の(暖かい)潮流を入れれば被害を防げるのでは」と思うようになった。カモの食害も大きく、ダイコンが一晩でやられたことも。堤防の内側に淡水の調整池ができた影響だと考えている。
「『開門すると、幽霊が出る(塩害などの被害が出る)ぞ』と言われて恐れていただけ。いまは開門して海水を入れる以外に農業の環境はよくならないと思っている」と松尾さん。開門を求める漁業者と反対する営農者、という構図とは違う状況も生まれている。
干拓事業で干潟を含む3600ヘクタールの浅い海が消えた。失われた干潟は日本の干潟の6%に当たる。鹿児島大の佐藤正典名誉教授は、諫早湾の生態系には「高い生物生産力」「魚介類の産卵・生育の場」「絶滅の危機にある生物がまとまって生き残っている」の三つの価値があった、と指摘する。
干潟の生物生産力は、生態ピラミッドの底辺を支える植物や微細藻類の光合成で決まる。光合成が生物のもとになるたんぱく質などの有機物を生み出すからだ。「干潮時に露出する広大な干潟は、巨大なソーラーパネルが並んでいるようなもの」。その栄養でたくさんの動植物が生まれ、同時に海の富栄養化を抑えて水質をきれいにする。これらの効果が漁業を支え、渡り鳥の楽園になってきた。
環境省が14年に試算した干潟の生物がもたらす恩恵の経済価値は、1ヘクタールあたり年間1200万円以上。諫早湾に当てはめると年間約360億円になる。それだけの価値が失われたことになる。諫早市の名物ウナギも消えた。「うないさん」というキャラクターは残っているが、実際にはいない。(石井徹)