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世界で一番不毛な政治セレモニー「全ベラルーシ人民大会」とは

迷宮ロシアをさまよう
第6回全ベラルーシ人民大会の模様。前列中央が権力の座に居座るルカシェンコ(ベラルーシ大統領HPより)

脱ルカシェンコ運動が始まってから半年

この連載では、2020年にベラルーシ情勢を何度も取り上げました。筆者自身は、すでに独裁者ルカシェンコによる体制の命脈は尽きたと考えており、遅かれ早かれ権力の座を追われるはずだと見ています。

それでも、ルカシェンコ本人の権力欲はまったく衰えておらず、またそれを守り抜くためには手段を選ばない構えです。いかに国民の多数派がルカシェンコを拒絶していようと、彼らは平和的な手段でルカシェンコ体制からの脱却を図ろうとしており、変化はすぐには実現しません。というわけで、昨年8月9日投票の大統領選から半年が経過しましたが、事態打開の糸口はまだ見えません。

そうした中、2月11、12日に、「第6回全ベラルーシ人民大会」と称する政治集会が開催されました。今回のコラムでは、この一大政治セレモニーの模様を手掛かりに、ベラルーシの現状を考えてみたいと思います。

そもそも「全ベラルーシ人民大会」とは何か

「全ベラルーシ人民大会」と聞くと、何となく名前から中国の全国人民代表大会(全人代)のようなものかと想像したくなります。しかし、中国の全人代は一応は常設の国会であり、ベラルーシには別途国会があるので、位置付けが異なります。

全ベラルーシ人民大会は、むしろ中国やかつてのソ連の、5年に一度の共産党大会に近いものです。ルカシェンコの5年間の任期に合わせて、大統領選挙の前後の時期に開催され、これまでの5年間の成果をうたいあげるとともに、今後5年間の方向性や課題を示すセレモニーとなっています。ルカシェンコ政権下で、1996年10月に第1回が開催され、今回で6回目を数えました。

ちなみに、この連載では以前、「ソ連共産党と中国共産党、それぞれの誕生の地を訪ねる」というコラムをお届けし、ベラルーシのミンスクは実はソ連共産党の第1回党大会が開かれた場所だという秘話をご披露しました。そのミンスクで、いまだにソ連共産党大会の後継イベントのようなものが、連綿と続いているわけですね。

ちなみに、かつてのソ連では、1990年3月まで、共産党の指導的役割が憲法に明記されていました。その意味では、共産党大会で国家方針を決めることは、一応は法的に辻褄の合う話ではありました。それに対し、今日の全ベラルーシ人民大会は、憲法や法律に何の規定もなく、ルカシェンコが大統領令という号令一つで招集しています。増してや、現在ルカシェンコは世界の多くの国から正当な大統領として認められておらず、その人物が招集した大会に国の方針を決める資格があるとは認めがたいところです。

今回の第6回大会は、2020年12月28日にルカシェンコが署名した大統領令により招集されました。その大統領令の文言を見ると、「ベラルーシ共和国憲法第37条にもとづいて」大会を招集するとされています。憲法第37条とは、市民が国の決定に直接・間接に参加できる権利をうたったものです。

ルカシェンコ政権は従来、全ベラルーシ人民大会には国民の代表が参集しているという建前を取り繕うため、大企業の職場レベルでその出席者を選出したりもしていました。しかし、今回はリスクを徹底的に排除するため、地方当局や官製労組、ベラルーシ共和国青年団など、完全にルカシェンコの息がかかった組織が代表者を指名する形でした。かくして、ベラルーシ全土から2,400名ほどのイエスマン/ウーマンたちが集結しました。

社会主義五ヵ年計画にますます傾斜

さて、かつてのソ連では共産党大会で、今後5年間の「五ヵ年計画」が承認されていました。それと同じように、ルカシェンコ体制のベラルーシでも5年に一度の全ベラルーシ人民大会に合わせて、来たる5年間の「ベラルーシ共和国社会・経済発展プログラム」が策定されています。要するに、今でもベラルーシには社会主義経済ばりの五ヵ年計画が存在するのです。

下のグラフは、その五ヵ年計画の概要をまとめたものであり、主要経済指標が2016-20年に実際どれだけ伸びたか、そして2021-25年にどれだけ伸びると見込んでいるかを示しています。ソ連時代の五ヵ年計画が法律だったのに対し、今日のベラルーシ社会・経済発展プログラムに掲げられた指標は「予測」ということになっています。しかし、内閣には社会・経済発展プログラムの達成が半ば義務付けられており、達成度が悪ければ首相以下の首が飛ぶことになります。

しかも、ルカシェンコは選挙戦さなかの2020年7月に、これまでベラルーシの五ヵ年計画は「予測」に近いものだったが、今後は「法律」になると言明しています。また、今回の全ベラルーシ人民大会の演説で、ルカシェンコはこれまでになく激しい調子で民間企業を敵視する発言をしています。この国の経済運営がますます反動化していくことが懸念されます。

下図に見るとおり、2016-20年の5年間で(年平均ではなく5年間の累計)、ベラルーシ経済は3.5%しか成長できませんでした。もっとも、厳しいノルマを課せられた政策担当者が統計の人為的な操作などに走るのは自然な成り行きであり、本当に3.5%成長したのかということ自体、疑わしいところです。ともあれ、それが今後の5年間では21.5%も成長するという青写真であり、その他の主要指標も軒並み上向くことになっています。そして、経済成長を国家主導の投資と輸出が牽引すると想定しているのも、従来と変わりありません。

注目の憲法改革は先送り

国民の不満をそらすため、ルカシェンコは昨年来、憲法改革を実施する構えを示しています。2020年9月にルカシェンコがプーチン・ロシア大統領と会談した際にも、国民との対話、憲法改革、そして早期の大統領選を実施して、国内情勢を安定させるよう、プーチンに求められていました。

秋頃には、「来たる全ベラルーシ人民大会において、新しい憲法が採択されるのではないか」という見方もありました。もちろん、形式的には大統領の座を去ることがあっても、ルカシェンコが自ら権力を手放すはずもないので、「新憲法では全ベラルーシ人民大会が枢要な国家機関と位置付けられ、ルカシェンコがその議長に就任して実権を維持するのではないか」といった憶測が飛び交いました。

ところが、今回の全ベラルーシ人民大会では、政治改革は先送りになりました。2日目の2月12日、大会は憲法改定委員会を設置する案を全参加者一致で可決。ルカシェンコは演説の中で、改定憲法案を1年以内に起草し、2022年の初めにそれを承認するための国民投票を実施したい考えを明らかにしました。一応は道筋を示したものの、時間を稼ぐとともに、今後も自らががっちりと主導権を握っていこうという思惑がミエミエです。

ルカシェンコは、2月11日に行った基調演説の中で、自らが大統領の座から退陣するための条件なるものを述べました。国内の和平・秩序が保たれていること、抗議運動がなくなっていること、自分の支持者たちの身の安全が保証されること、というのがその条件です。これに関しロシアの政治評論家A.マカルキン氏は、これは退陣の約束ではないものの、ルカシェンコがそのような仮定の話をしたこと自体新たな現象であり、彼の中で未来への絶対的な自信が揺らいでいる点は注目すべきだとの旨を指摘しています。

それでは、昨年9月にルカシェンコに政治改革の宿題を課したロシアのプーチン政権は、全ベラルーシ人民大会の成り行きをどのように受け止めているのでしょうか。ベラルーシの政治評論家V.カルバレビッチ氏は、現時点ではすでに、クレムリンにとってベラルーシの憲法改革、政権移行は喫緊のものではなくなっており、もはや強要はしないのではないかとの見方を示しています。ルカシェンコがすでに抗議行動を抑え込む一方、ロシアではナバリヌイ・デモが燃え盛るなど、この半年で両国の事情は大きく変わったと、カルバレビッチ氏は指摘します。

2月22日、ロシア南部ソチで、プーチンとルカシェンコの会談が行われることになりました。本稿はその会談の前に執筆しているので、会談結果についてはコメントできませんが、両国間では水面下で神経質な駆け引きが続いていくものと思われます。

虚しい時間の空費

繰り返しになりますが、ルカシェンコ体制はすでに詰んでおり、正常な意味で国を統治したり、長期的に存続したりすることはもはや不可能というのが、筆者の認識です。独裁者の悪あがきで、ベラルーシという国は貴重な時間や資源を浪費し、人々の苦しみは増すばかりです。そして、暴力支配を長く続ければ続けるほど、ルカシェンコ本人の末路も悲惨なものになるでしょう。

今回の第6回全ベラルーシ人民大会でルカシェンコは、4時間の基調演説をはじめとして、3度にわたり演説を行い、大会全体の半分以上でルカシェンコが演壇に立っていたそうです。お笑いに例えれば、とっくの昔に旬を過ぎた師匠の単独ライブを、2日間にわたってぶっ通しで見せられたようなものであり、支持者にとってもキツかったのではないでしょうか。

前出の評論家カルバレビッチ氏は、今回の大会を以下のように総括しています。いわく、大会には3つの役割があった。第1に、ルカシェンコ現体制の正統性を強化・誇示するというもの。第2に、現政治体制を維持し反体制派と戦うため、体制エリートを動員すること。第3に、大会はルカシェンコ本人にとっての心理的リラクゼーションの手段となった。昨年の大々的な反体制運動で、ルカシェンコは重大なトラウマを負ったため、万雷の拍手で心を癒す必要があったのだ。大会のスローガンは、「一体性・発展・独立」というものだったが、大会が採択したのは国の発展プログラムではなく、権力維持のためのプログラムだった。これがカルバレビッチ氏の論評です。