ルカシェンコ体制の再考
ロシアの西隣に位置する小国ベラルーシ。この国については、「欧州最後の独裁国ベラルーシの奇抜すぎるコロナ対策」の回でも取り上げていますが、大統領選挙の投票日が8月9日に迫り情勢が緊迫してきましたので、改めて論じてみたいと思います。
この国で、1994年の大統領就任以来、四半世紀にわたる長期政権を築いているのが、「欧州最後の独裁者」ことアレクサンドル・ルカシェンコ氏です。1954年、ベラルーシ東部の農村生まれ。共産党の活動家として働いたあと、モギリョフ州のソフホーズ(国営農場)で支配人を務める。ソ連末期にゴルバチョフ書記長が推進した改革「ペレストロイカ」の波に乗り、1990年のベラルーシ共和国最高会議の議員選挙で当選して、政治家に転身。エリートの腐敗を糾弾し、一躍時代の寵児となる。1994年6、7月に実施された大統領選で、大衆迎合的な公約を掲げて地滑り的勝利を収め、独立ベラルーシの初代大統領に就任。その後、再選を繰り返し、2015年の選挙で5選を達成。今回の大統領選では、実に6度目の勝利を目指しています。
結論から言えば、ルカシェンコ氏は1990年代の亡霊のような政治家です。社会主義の超大国であったソ連邦は、各民族のナショナリズムの高まりなどを背景に、1991年に崩壊・分裂しました。しかし、一般庶民の多くは、自らが属していた偉大な国が自分たちの与り知らぬところで解体され、慣れ親しんだ生活様式が壊れてしまったことに、少なからずショックを受けました。そのことは、民族意識が希薄で、最も忠実なソビエト市民と言われたベラルーシ住民に、とりわけ当てはまりました。そうした状況への反動が、1994年にルカシェンコを大統領の座に押し上げたのです。
このように、最初は確かに民意を背景に成立したルカシェンコ政権でしたが、すぐに強権的な体質を露呈し、国際社会から問題視されるようになります。ベラルーシでも、独立後は民族・国家意識もある程度根付き、若い世代も台頭していきます。問題は、ルカシェンコがそうした新時代の要請に適応するというよりも、1990年代のステレオタイプを再生産することで政権を維持してきた結果、ベラルーシという国の発展可能性が奪われてしまったことでしょう。その結果ベラルーシは、ある程度安定はしており、お隣のウクライナのような大混乱こそないものの、きわめて閉塞的な国になってしまいました。
なぜ前回選挙は楽勝だったのか
ルカシェンコ体制のベラルーシでは、野党やNGOなどは弾圧され、選挙でも体制側による動員や不正が横行しています。2006年、2010年の大統領選の時には、選挙終了後に野党や市民が首都ミンスクの広場に繰り出し、治安部隊と衝突する事件が起きました。
しかし、2015年の大統領選挙は、一転して無風となりました。現職のルカシェンコが83.5%を得票して完勝し、これは過去最高の得票率でした。野党、欧米、国際機関から「選挙は公正でなかった」というテンプレ的な批判は寄せられたものの、出口調査の結果などと照らし合わせてみても、実際にルカシェンコが過半数を超える得票で圧勝したことは疑いを容れませんでした。
注目すべきことに、2015年10月の大統領選挙を控え、従来関係が険悪だったベラルーシと欧州連合(EU)が、歩み寄りを見せました。同年7月にはEUがベラルーシに適用してきた制裁を緩和。それに応えるように、ベラルーシ側も8月に政治犯を釈放。大統領選でルカシェンコが再選を果たすと、EUは対ベラルーシ制裁の適用を停止し、翌年にはほぼ撤廃しました。このように、ルカシェンコ大統領の正統性は国内でも国際的にも総じて承認されているということを印象付けたのが、前回2015年の選挙だったのです。
ところが、今回2020年の選挙では、ルカシェンコはかつてない苦戦を強いられています。なぜ5年間で情勢が大きく変わったのでしょうか? 2015年と2020年を比べてみることで、今日の情勢の理解が深まると思います。
その際に、筆者の持論は次のようなものです。ルカシェンコ政権自体の本質には、ほとんど変化はない。もしもベラルーシ情勢が動くとすれば、それは国内というよりも、むしろ国際環境の変化によるものになる、というものです。実際、2015年のルカシェンコ圧勝をもたらしたのは、それに先立って発生したウクライナ危機という未曾有の地政学的危機だったと思います。
第二次大戦の独ソ戦で壊滅的な被害を受けたベラルーシの国民は、「戦争さえなければ」というメンタリティが染み付いていると指摘され、平和でさえあれば多少の辛苦は耐え忍ぶ傾向があり、これがルカシェンコ政権存立の一因にもなってきました。そうした中、お隣のウクライナでドンバス内戦という本物の戦争が発生。東スラブ人同士の兄弟愛を信じていたベラルーシ国民にとって、ロシアとウクライナが間接的とはいえ戦火を交えるような事態は、まさに悪夢です。
こうしたことから、ウクライナ危機後、ベラルーシ社会は保守化し、ルカシェンコ体制や、ロシアを盟主とする地域秩序を、これまで以上に支持するようになりました。現に、2015年9月の世論調査で、「来たる大統領選で、誰に投票するかを決める際に、貴方が最も重視する問題は何ですか?」とベラルーシの有権者に尋ねたところ、「和平と安定」という回答が47.6%でトップになりました。
加えて、ウクライナ危機が発生したことで、その発端になったマイダン運動、すなわち民主化を求める街頭デモ活動などについては、否定的な態度を示すベラルーシ国民が増えました。他方、ウクライナ問題をこじらせたことで、ロシアは同盟国ベラルーシの価値を再認識し、ベラルーシに対して温情的な態度をとるようになりました。
ウクライナ危機は、ルカシェンコの手柄にもなりました。ベラルーシは、ドンバス紛争の和平交渉の舞台を提供し、成立した和平協定は「ミンスク協定」と呼ばれることに。かつて諸外国からならず者扱いされていたルカシェンコが、今やドンバス和平プロセスのホスト役を務めるようになったのです。やはり、この点もベラルーシの有権者に訴求したことでしょう。当時は筆者も、「もしかしてルカシェンコはノーベル平和賞をとるのか?」などと冗談を言ったものです。このように、ウクライナ危機はあらゆる面でルカシェンコにとっての追い風となりました。
ロシアでの反プーチン運動が伝播した面も
それから5年経って、現在ルカシェンコがにわかに苦境に立たされているのには、いくつか原因があると思います。
まず、ベラルーシにとって圧倒的に大きな存在である隣国ロシアにおいて、ポスト・クリミアの高揚期が終わりを告げ、プーチン体制が揺らいでいることがあるでしょう。先の国民投票で露わになったとおり、ロシア国民がプーチン政権を見る目は厳しくなっています。「プーチンの国策捜査に反旗を翻すハバロフスク ロシア極東は燃えているか」の回で報告したとおり、辺境からも造反の動きが生じています。ロシアにおける政権への不服従の風潮が、ベラルーシにも伝染している面は、間違いなくあるでしょう。
経済的に見ると、ベラルーシはロシアの完全なるパラサイト国家です。特に、ロシアから有利な条件で原油を輸入し、それを国内2箇所の製油所で精製して、国際市場に販売することこそ、ベラルーシ経済の生命線でした。ゆえに、上の図に見るように、ベラルーシの経済成長率はロシアのそれとほぼ連動しており、翻ってそれは石油価格に左右されるわけです。
しかし、利益だけ引き出し、国家・経済統合に真面目に応じようとしないベラルーシに対して、ロシア側も態度を硬化させています。2020年の供給契約がまとまらず、年初からしばらく、ロシアから原油が輸入できない事態となりました。そもそもが、「ロシアが風邪をひいたらベラルーシは肺炎になる」という関係性なのですが、本年に入ってからのロシアからの原油途絶と油価下落により、頼みの石油収入が激減してしまったのです。ルカシェンコお得意の「選挙の年の大盤振る舞い」(公務員賃金の引き上げなど)もできなくなってしまいました。
そして、決定的だったのが、やはり新型コロナウイルスのパンデミックでしょう。「欧州最後の独裁国ベラルーシの奇抜すぎるコロナ対策」で論じたとおり、ルカシェンコは「コロナなど恐るるに足らず」という態度をとり、ベラルーシは周辺国のような厳格な措置を打ち出しませんでした。ルカシェンコがそのようなスタンスをとったのは、夏の選挙を意識して、「ベラルーシにおいては国の強力な指導により安定・秩序が常に保たれる」という神話にこだわったからです。
しかし、国の無策により感染は拡大の一途を辿ります。そしてついに先日、「ウォッカを飲めば大丈夫。アイススケートをやればかからない」などとうそぶいていた大統領本人が、新型コロナに感染したことが明らかになりました(本人は無症状でありすでに回復したと強調しましたが)。コロナという国民の命にかかわる問題なだけに、忍耐強さで知られるベラルーシ国民も、さすがに政権のずさんな対応振りに呆れ果てたのでしょう。
もちろん、首都ミンスクをはじめとする大都市住民や、若い世代には、これまでもルカシェンコ体制に対する不満がありました。これまでは、それが大きなうねりになることは、ありませんでした。しかし、2020年に入ってからの情勢変化、とりわけコロナ危機が、ベラルーシ市民たちの意識を変えました。そして現在、「自分と同じように、この政権を許せない人がこんなにたくさんいるんだ。もう恐れずに、それを堂々と表明していいんだ」というムードが、野火のように広がっていると感じます。
ホワイト革命は成就するか
8月9日の投票日が迫り、ベラルーシ情勢は緊迫してきています。7月29日には、ベラルーシ治安当局が、首都ミンスク近郊でロシアの民間軍事会社「ワグネル」所属の傭兵32人を拘束したというニュースが流れました。ルカシェンコ政権側は、大統領選を前にロシアがベラルーシ情勢の不安定化を図ろうとしているといった構図をほのめかし、これを国内の引き締めに利用しようとしている様子が見て取れます。
筆者の見立てを述べれば、ロシアのプーチン政権には、現時点でルカシェンコ政権を揺さぶろうという意図はないと思います。ロシアにとって最悪なのは、ベラルーシでウクライナのような親欧米型の政変が起きることです。クレムリンにとってルカシェンコは何かと気に障る人物ですが、欧米との接近に限界があるという意味で、ベラルーシの親ロシア路線を担保してくれる存在ではあります。クレムリンは、ルカシェンコに代わる親ロシア派の後継者擁立の目途が立たない限り、ルカシェンコを政権から引きずりおろすようなことはしないでしょう。
そうした中、選挙戦で台風の目になっているのが、スベトラーナ・チハノフスカヤという女性候補です。現在37歳の彼女は、通訳の仕事もしていましたが、基本的には普通の主婦です。そんな彼女に、思わぬ運命が待ち受けていました。夫であるブロガーのセルゲイ・チハノフスキーが大統領選出馬を試みたところ、立候補が当局により受理されなかったため、代わりに妻が立候補することとなったのです。その後、夫が逮捕されてしまったので、獄中の夫の「弔い合戦」のような形で選挙を戦っています(もちろん夫は亡くなったわけではありませんが)。
体制側は、何だかんだと理由をつけて、危険な対抗馬の候補者登録は認めないのが常ですが、チハノフスカヤについては候補者として登録しました。おそらくルカシェンコ政権は、「素人の主婦にはどうせ何もできない。人畜無害だ」と高を括っていたのでしょう。
しかし、現実にはチハノフスカヤ候補は、強力な求心力を発揮しています。その地方遊説には、数千、数万の群衆が詰めかけています。チハノフスカヤは、ビクトル・ババリコ、バレーリー・ツェプカロという大統領選出馬を阻まれた他の政治家たちの陣営とタッグを組み、実質的に野党統一候補として、反ルカシェンコ票の受け皿になろうとしています。この成り行きは、ルカシェンコ政権側にとって大誤算だったでしょう。
それにしても、チハノフスカヤの選挙戦略は、きわめてユニークなものです。その主張は、「自分が大統領選に勝利したあかつきには、今獄中にいる夫たちを解放し、半年以内に今度は正式な大統領選挙を実施する」という一点に絞られています。言い換えれば、経済政策をどうするとか、ロシアとEUのどちらを戦略パートナーとするとか、そういう政見はほとんど語っていません。
その演説振りも、非常に控え目。政変というものは、カリスマ性のある強力なリーダーが主導することが多いはずですが、チハノフスカヤの場合はあくまでも、ルカシェンコ政権が国民の多数派から支持されていないことを明らかにするための便宜的な受け皿に徹するつもりのようです。なるほど、そのような役回りなら、政治の色が付いていない「素人の主婦」の方が、意外と適しているのかもしれません。
旧ソ連圏においては、2004年のウクライナの「オレンジ革命」を筆頭に、「色」になぞらえられる革命の系譜というものがあります。チハノフスカヤ候補は、現体制への不服従を表明するため、白いリストバンドを身に着けるよう国民に訴えており、自らは白い衣装で人前に出ることが多いようです。果たして、ベラルーシの「ホワイト革命」は成就するでしょうか。
ベラルーシ国民は依然として、ウクライナの「マイダン」型の政変には、強い抵抗感を示しています。また、法を逸脱した形での示威行為は、ルカシェンコ政権による弾圧を正当化することにも繋がるため、チハノフスカヤは国民に、あくまでも平和的な意思表示を呼びかけています。しかし、ルカシェンコ政権が開き直って弾圧に乗り出した場合、市民の側はどこまで非暴力を貫けるか。今回の選挙に限っては、発表される投票結果以上に、それを受けた政権と市民のリアクションの方が注目されます。