国策捜査の匂いがプンプン
7月9日に大事件がありました。ロシア極東のハバロフスク地方で、フルガル知事が殺人容疑で逮捕されたのです。フルガル知事は、2018年9月の知事選挙で、体制派の現職候補を破って当選した、野党「ロシア自由民主党」の政治家です。その当選自体がセンセーショナルだった上、知事就任後もプーチン政権の意に沿わない行動を続け、クレムリンからにらまれていました。
9日の逮捕の模様は、捜査当局によって撮影され、知事が係官によって押さえ付けられ車で護送されていく様子が、ニュース番組やネットで広く拡散されました。いかにも「見せしめ」の雰囲気が漂い、「クレムリンに盾突く知事は許さない」という警告を国全体に発しているとしか思えませんでした。
もちろん、フルガルが実際に殺人に関与していたのだとしたら、とんでもないことであり、法で裁かれてしかるべきです。まあ、確かに、地元で剛腕の実業家として頭角を現した人物であり、ロシアのワイルド資本主義の中では、商売敵を消してしまうようなことも、実際にあったのかもしれません。しかし、容疑は2004年から2005年にかけてのものであり、今頃になって逮捕されるのは不自然です。
翻って、与党「統一ロシア」に所属する体制派の知事たちには、やましいことは一つもないのでしょうか? やはり、この状況下でフルガル知事が狙い撃ちにされたのは、国策捜査の疑いが濃厚であると、考えざるをえません。7月1日の改憲国民投票という山を越えたタイミングでの逮捕というのも、いかにも露骨です。
フルガル人気を読み解く
日本からも至近の極東エリアは、ロシアの中でも、最も反プーチン政権感情が強いところです。ハバロフスク地方では、フルガル知事はプーチン大統領よりもはるかに人気があるなどとも言われていました。フルガル逮捕の一報を受け、地元民はハバロフスク中心部での抗議デモに馳せ参じ、7月11日には2万~3万人程度が集結したということです。
ロシア連邦政府で、極東政策の責任者になっているのが、トルトネフ副首相・極東連邦管区大統領全権代表です。フルガル逮捕を受け、現地入りしたトルトネフ副首相は、「ハバロフスク地方行政府の仕事振りは、芳しくなかった」とコメントしました。
実際はどうなのでしょうか? ロシアの「政治経済コミュニケーション・エージェンシー」という機関が、地域首長の影響力ランキングというものを毎月発表しています。その中から、極東諸地域の首長の順位を抜き出したのが、上掲の表です。沿海地方のコジェミャコ知事などは、プーチン政権の極東政策における切り札のような存在ですので、さすがに高い順位になっています。しかし、全般的に極東の首長たちは順位が低く、フルガル・ハバロフスク地方知事も下から5番目の81位に沈んでいました。これを見ると、やはりフルガル知事は力がなかったのだろうかと思ってしまいます。
もっとも、このランキングは、あくまでも今日のプーチン体制の枠内で、各首長がどれだけの存在感を発揮しているかを見たものです。1位がソビャーニン・モスクワ市長、2位がカディロフ・チェチェン共和国首長、3位がベグロフ・サンクトペテルブルグ市長、4位がジュミン・トゥーラ州知事、5位がボロビヨフ・モスクワ州知事という上位の顔触れを見れば、そのことは明らかです。
フルガルの場合は、むしろプーチン体制の既存の秩序に挑戦することで、異彩を放っていました。確かに、就任してからの1年数ヵ月で、ハバロフスク地方の経済・社会生活を改善できたわけではなく、支持率も低下傾向にはありました。それでも、クレムリンを向こうに回してでも地元の利益を守ろうとするその姿勢は、住民から評価されていました。だからこそ、知事の逮捕に反発し、多くの住民が自発的にデモに参加したのです。
また、ポピュリズムと言ってしまえばそれまでですが、フルガルは知事就任後、自らの報酬を削減したり、以前の知事が国費で購入した高価なヨットを売却したりと、住民受けする措置を打ち出しました。エリートではなく、庶民の代表という立ち位置を明確にしたのです。この点も、地元民の感情にアピールした点だったと思います。普通、庶民はお偉いさんが逮捕されたりすると喜ぶものですが、ハバロフスク地方に限っては違っていました。
自由民主党=極右は表層的
ここで、フルガルの所属するロシア自由民主党の位置付けについて解説しておきます。かつてジリノフスキー党首が日本との領土問題で過激な発言をしたりしたため、我が国でも、ロシア自由民主党は極右政党と呼ばれることがあります。しかし、実際には自由民主党の過激な主張は国民を楽しませるためのエンターテインメントという側面が強く、ジリノフスキー党首も道化としての自分の役割を自覚しているフシがあります。
プーチン体制のロシアでは、「統一ロシア」が与党ですが、自由民主党、共産党、「公正ロシア」は「体制内野党」と呼ばれ、プーチン政権から無害なものとして(あるいは複数政党制を演出するためのものとして)その存在を認められています。ジリノフスキー率いる自由民主党は、あくまでもその枠内で党勢を拡大したり、金銭的な利益を追求したりすることを目的としているわけです。
2018年9月のハバロフスク地方知事選挙で、与党候補を勝たせられなかったのは、クレムリンの失態でした。ただ、自由民主党の知事が誕生したことは、必ずしも破局的な事態ではありませんでした。同党は反体制野党ではないからです。しかし、知事の座に就いたフルガルは、既存のゲームのルールを尊重しようとせず、クレムリンを苛立たせます。殺人容疑での今回の逮捕は、その帰結であると考えるのが自然でしょう。
フルガルの他にも、現在ロシアには、シピャギン・ウラジーミル州知事、オストロフスキー・スモレンスク州知事と、2人の自由民主党所属の首長がいます。フルガルはあくまでも「出る杭が打たれた」形ですので、残り2人の自民党知事がクレムリンから迫害されるようなことは、今のところなさそうです。また、ジリノフスキー率いる自民党の本部はハバロフスクのデモには関与していない模様であり、同党としては当地における党の利益が守られるなら、事を荒立てないものと見られます。
プーチン改憲への支持も低調
前々回のコラムで取り上げたとおり、ロシアでは7月1日に改憲の是非を問う国民投票が実施され、有権者の53.0%が賛成票を投じたと発表されました。前々回は、主な地域の投票傾向についても触れましたけど、今回は極東の諸地域に絞って、再度このデータを取り上げてみたいと思います(上図参照)。もちろん、公式発表を鵜呑みにしていいのかという疑問は残るものの、一定の傾向は読み取ることができるはずです。
おさらいをすれば、ヨーロッパ・ロシア部では賛成票が多く(ただしモスクワ市は例外)、シベリア・極東・極北などの辺境地域では支持が少ないというのが、全般的な傾向でした。上の図に見るように、極東では(人口の少ないチュクチ自治管区、ユダヤ自治州を除いて)ほぼすべての地域で、改憲への支持が全国平均を下回りました。極東全体では支持は40.8%に留まり、今回フォーカスしているハバロフスク地方に至っては27.6%と全国屈指の低さです。
極東の中でも、経済面で比較的潤っているサハリン州や沿海地方では、全国平均に近い賛成票が投じられました。特に、沿海地方とハバロフスク地方のコントラストは、注目に値します。以前、「『ロシア極東の首都』の座を明け渡したハバロフスク」の回で述べたとおり、2018年12月にハバロフスクは極東の首都という地位を沿海地方のウラジオストクに奪われてしまったのです。「沿海地方に比べて、我々は冷遇されている」というハバロフスク地方住民の不満が、国民投票の結果にも表れているような気がします。
それにしても、皮肉な状況です。プーチン政権は、極東のことを決して軽視しているわけではないのです。いやむしろ、2012年のAPECサミットに向けウラジオストクを大開発しただけでなく、新型特区など様々な政策手段を駆使して、極東経済の底上げを図ってきました。欧米との関係が冷え込む中で、中国との協力を軸とした「東方シフト」の重要性が増し、極東はその窓口と位置付けられています。プーチン大統領は、毎年9月にウラジオストクで開催している「東方経済フォーラム」を主宰し、アジア太平洋の繁栄をロシア極東の発展に繋げるべく、努力を重ねてきました。
極東の特殊なメンタリティ
このように、プーチン政権としてはそれなりに極東を重視してきたはずなのに、地元民が拒絶反応を示しているのは、なぜなのでしょうか? 以下では、3人の有識者の見解を参照してみたいと思います(いずれも翻訳は大意)。
まず、サハ共和国で2002年から2010年まで首長を務めたシティロフ氏は、経済・社会問題を中心に、次のような見解を述べています。
「極東の人々の生活水準は、ロシアの平均よりもはるかに低い。ソ連時代には辺地手当てがあり、物価、家賃、教育面での配慮もあり、その結果、極東の生活水準は国全体よりも30%ほど高かった。今日では、名目賃金は国全体よりも高いが、生活水準は低い。国の中心とは隔絶されていること、輸送が困難であることから、物価が信じられないほど値上がりした。過去四半世紀、住宅や社会・文化施設の建設は、ロシア平均よりもずっと遅れを取っている。人々の暮らしは、悪くなる一方だ。
極東発展のために、多くのことがなされたのは事実だ。宇宙基地、ガス加工・化学工場、製油所および石油化学工場、造船所、新たな巨大炭田などが建設・整備された。連邦道路も建設されている。しかし、住民はそれを実感していない。なぜなら、極東の企業・住民はほとんどそれらに直接的に参加していないからである。事業を落札するのはモスクワあたりの財閥であり、建設作業には労働移民が投入され、地元民は蚊帳の外である。地元民にとってそうした事業は、生活の邪魔になる騒動にすぎない」
次に、かつてクレムリンの顧問も務めたというチャダエフ氏の見方は、次のとおりです。
「プーチンは、ロシアは超大国であるとか、ロシア経済は安定しているなどと胸を張り、政府主導の巨大な投資プログラムも打ち出している。しかし、庶民の生活はそれとは異なる。その落差は、ロシアのすべての地域において、とても大きい。ただ、大多数の地域では、その差は政治的無関心によって埋められる。ところが、極東においては、自分たちは帝国の辺境、国境地帯に生きているという感覚が生々しく残っており、そこでは従順は美徳ではないのだ。したがって、ちょっとのきっかけで、分離主義までは行かないにしても、住民は抵抗を始める。それを押さえ付けようとする中央の試みは、失敗するのが常である。極東においては、プーチン得意の手法では解決できない問題があるのだ」
最後に、ジャーナリストのジェレニン氏の意見を聞いてみましょう。
「極東が直面している問題は、ロシアの他の地域のそれと同じである。ただ、極東ではそれが、特有の条件によって増幅されている。ここは確かにロシアかもしれないが、違うロシアであり、ロシア語を話していても違うロシア人なのである。極東の住民は、多くが帝政期やソ連時代に当地に流刑されたりした人々の子孫である。皇帝の慈悲には頼らず、まず自分で生きようとする人々だ。彼らは、マガダン、ウラジオストクの先には、もうこれ以上の流刑先はないことを知っている。それゆえに、ヨーロッパ・ロシアの住民にはない、自分で何とかするというメンタリティがある。その意味では、アメリカ西部の開拓者や、流刑地だった初期のオーストラリアと似通っており、自由、独立、帝都への軽蔑といった気風があるのだ。
極東は、1990年代にモスクワから見捨てられ、当地を去った人々もいたが、残った人々は環境に適応し、ヨーロッパ・ロシアではなく、距離的に近い中国・韓国・日本などと商売するようになった。ソ連時代と比べて、モスクワはずっと遠い存在になったのである」
以上、有識者3名の見解を参照してみました。歴史を遡れば、1917年にボリシェビキによる社会主義ロシア革命が起きた後、コルチャーク司令官が率いる白軍が、極東・シベリアの地を拠点に反旗を翻し、内戦に発展するということがありました。果たして、今回のハバロフスク地方の反乱が、極東の他の地域にも飛び火したり、さらにはロシア全体を揺るがすようなことはあるのでしょうか? 今年秋の統一地方選挙、来年の連邦議会下院選挙の動向に注目したいと思います。