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「ロシア極東の首都」の座を明け渡したハバロフスク ロシアの街物語(7)

迷宮ロシアをさまよう
ハバロフスク市の中心部の風景(撮影:服部倫卓)

日本人にも馴染み深いハバロフスク

これまで、ロシア極東地方の政治・行政の中心となってきたのは、ハバロフスクという街でした。ハバロフスクは伝統的に、日本人にとっても最も身近なロシア極東の街だったと言えると思います。ハバロフスク市は1965年から新潟市の姉妹都市であり、1973年には両市を結ぶ直行便も就航しています。またハバロフスク市を中心とするハバロフスク地方は、1969年から兵庫県と姉妹・友好提携を結んでいます。一方、ロシア極東のもう一つの有力都市であるウラジオストクは、ソ連時代には長く外国人に門戸が閉ざされており、訪問することさえかないませんでした。

さて、ロシアでは2000年に「連邦管区」という枠組みが導入され、その一環として極東連邦管区が創設されました。そして、ハバロフスクが極東連邦管区の中心都市とされ、ハバロフスクは名実ともに「ロシア極東の首都」となりました。

ところが、最近になって、大きな情勢変化がありました。プーチン大統領が2018年12月13日に署名した大統領令により、極東連邦管区の中心都市が、ハバロフスクからウラジオストクに移転することになったのです。近年、停滞するハバロフスクを尻目に、ウラジオストクが長足の発展を遂げ、ハバロフスクからウラジオストクへの「遷都」はたびたび取り沙汰されていましたが、ついにそれが現実のものとなったわけです。

ハバロフスクに置かれてきた極東連邦管区大統領代表部(撮影:服部倫卓)

130年以上にわたりロシア極東の中心に

ハバロフスクという街が誕生したのは、1858年のことだったとされています。アムール川に沿って東進してきたロシア帝国の監視所がアムール川とウスリー川の合流点に建設されたのが始まりでした。その後ハバロフスクは、ロシアの極東進出の拠点となっていきます。なお、街の名は、17世紀のロシアの探検家Ye.ハバロフにちなんで付けられました。

ロシアの歴史上、「ロシア極東」という枠組みがおぼろげながらも初めて登場したのは、1884年だったと言えそうです。この年、東シベリア総督府から分離される形で設けられた「沿アムール総督府」が、ロシア極東のプロトタイプになりました。そして、その総本部となったのが、ハバロフスクでした。これ以降、多少の曲折はあったにせよ、帝政ロシア、ソ連、新生ロシアの時代を通じて、ハバロフスクが概ねロシア極東の「首都」である状態が、130年以上続きました。

上述のとおり、ロシアでは2000年に「連邦管区」という枠組みが導入され、ハバロフスクが極東連邦管区の中心都市とされたことで、「ロシア極東の首都」としてのハバロフスクの地位が公認された形となりました。この時代を象徴するのが、1991年から2009年までの長きにわたりハバロフスク地方知事を務めたV.イシャーエフという政治家です。イシャーエフは、2009年には極東連邦管区大統領全権代表に起用され、さらに2012年には新設された極東発展省の大臣も兼任し、ロシアの極東政策の総元締めになりました。ちなみに、極東発展省の本部はハバロフスクに置かれましたが(モスクワの本部と併存)、これはロシアの省庁の本部が地方に置かれた初めてのケースでした。

ついにウラジオストクに屈する

ところが、イシャーエフの栄華は永続しませんでした。2013年8月、イシャーエフは、極東連邦管区大統領全権代表、極東発展大臣の地位から、突然解任されます。新しい全権代表に任命されたのはプーチン側近で極東にとっては外様のYu.トルトネフであり、極東発展相には若手のA.ガルシカが起用されました。

イシャーエフは古いタイプの政治家で、連邦政府を向こうに回して極東の利害を擁護したり、中央から開発資金を引っ張ってきたりといったことには長けていました。しかし、ロシアではこの頃から、ロシア極東とアジア・太平洋諸国との関係を強化し、そのためにもロシア極東の投資環境を改善して投資やビジネスを活性化させるべきだという方向性が強まっていました。ハバロフスクの重鎮イシャーエフは、こうした新時代の要請には合わなかったのです。

それはまた、ロシア極東の発展の中心が、ハバロフスクからウラジオストクにシフトすることも意味していました。アジア・太平洋諸国との関係を強化するためには、どうしても内陸のハバロフスクよりも、太平洋(日本海)に面した港町ウラジオストクの方が有利です。それに拍車をかけたのが2012年にウラジオストクで開催されたAPECサミットであり、このイベントに向けて巨額投資が行われた結果、ウラジオストクは見違えるような発展を遂げ、「ロシア第3の首都」といった呼称も登場します。極東の伝統的な中心であったハバロフスクは、すっかり水をあけられてしまいました。

この2012年APECを境に、「極東の首都を、ハバロフスクからウラジオストクに移すべきだ」という議論が高まりました。実際、元々モスクワとハバロフスクの2拠点体制だった極東発展省は、ウラジオストクにも拠点を追加しました。ハバロフスクの拠点は、廃止こそされませんでしたが、現在ではほとんどもぬけの殻のようです。なお、本年2月に、極東発展省は北極開発の機能も加えて極東・北極発展省に模様替えしましたので、ウラジオストクは北極海への海路の拠点となりうるという意味でも、省の所在地として相応しいような気がします。

こうした中、極東遷都問題にとって決定打になったのが、2018年秋のロシアの統一地方選挙でした。ロシアでは地域の知事は一応は公選ですが、その人選には中央の意向が強く働き、選挙は地元民がクレムリン公認候補を追認するセレモニーと化すのが普通です。ところが、ロシア極東では中央への不信感が高まっており、2018年秋の選挙でハバロフスク地方では、野党の自由民主党の候補が体制側の候補を破って知事に当選してしまったのです。

ウラジオストクを中心とする沿海地方でも、選挙が大荒れの展開を辿り、12月16日に再選挙が実施されることになりました。体制側は、極東政治のエースとも言うべきO.コジェミャコ氏を知事候補として送り込みます。コジェミャコ候補は選挙運動で、取って置きの切り札を切りました。ウラジオストクをさらに活性化するために、極東連邦管区の中心都市をウラジオストクに移すと公約したのです。

実際、上述のとおり、知事選投票のわずか3日前の12月13日付の大統領令により、極東連邦管区の中心都市がハバロフスクからウラジオストクに移転することが、正式に決まりました。その甲斐あってか、選挙でもコジェミャコが勝利。なお、ウラジオストクで入居する建物がなかなか見付からないのか、3月上旬現在も、極東連邦管区大統領代表部はまだハバロフスクに留まっているようです。

アムール・ハバロフスクの今季最終戦の模様(撮影:Sato Vladimir)

アイスホッケーの分野でも凋落の危機に

ところで、ロシアを中心とする国際的なアイスホッケーリーグの「コンチネンタルホッケーリーグ(KHL)」については、以前この連載の「活況を呈すコンチネンタルホッケーリーグ 日本は煮え切らないままでいいのか?」という回で報告しました。ハバロフスクにはKHLに参戦している「アムール」というチームがあるのですが、現在このアムールが下部リーグに降格になってしまうのではないかという心配が持ち上がっています。

KHLでは、現在25チームで開催しているリーグ戦を、1チーム削減して24チームにする方針で、3月下旬頃に下部リーグへの降格チームが決まる見通しです。そして、主な降格候補として現在、アムール・ハバロフスクとアドミラル・ウラジオストクというロシア極東の2チームが挙がっています。

問題は、降格決定の判断材料となる数値指標は、一応は存在するものの、結局はKHL本部のさじ加減で決まってしまいそうな雰囲気が漂っていることです。実際、「プーチン政権とのパイプが太いウラジオストクのアドミラルは、すでにKHL残留を確約された」といった噂も流れているようです。「アムールを下部リーグに降格させた上で、アムールはアドミラルのファームチームになる」といった話も、まことしやかに語られています(以上は、筆者の知人で、ハバロフスクのホッケー事情に詳しい吉田雅之さんのご教示による)。

基準が明確でないだけに、ハバロフスクのホッケーファンの疑心暗鬼は募るばかりです。果たしてハバロフスクは、政治・行政の分野だけでなく、アイスホッケーにおいても、ロシア極東の中心の座をウラジオストクに明け渡してしまうのでしょうか? 純粋に成績不振によるものであればやむをえないですが、プーチン政権によるウラジオ重視策の犠牲になる形でアムール・ハバロフスクが降格するようなことがあったとしたら、やり切れない話です。