プーチンの改憲が成就
前回のコラムでお伝えしたとおり、7月1日は憲法修正を問うロシア国民投票の投票日でした。公式発表によれば、有権者の68.0%が投票に参加し、賛成票が77.9%、反対票が21.3%だったということです。すなわち、有権者の53.0%が賛成票を投じた計算になります。かくして、憲法修正は国民の賛意を得たこととなり、修正憲法は早くも7月4日に発効しました。
憲法の新規定により、既存大統領の任期をカウントしないことになったので、プーチンはいわば「新人」として2024年の大統領選に出馬できることになりました。そこから2期務めれば、最長で2036年まで大統領を続けることも可能になったわけです。
今回の国民投票では、新型コロナウイルス感染対策で、投票所の混雑を回避するため、6月25日から30日までの事前投票期間が設けられました。投票参加者の多くがこの事前投票を利用し、7月1日に投票を行った有権者はむしろ少数派だったとのことです。また、モスクワ市とニジェゴロド州ではインターネットを利用した電子投票も導入されました。
反体制勢力、リベラル系のメディアや有識者は、今回の国民投票で体制側による大掛かりな不正や票の改竄があったとして、痛烈に批判しています。ロシアではこれまでも同様の指摘はありましたが、今回の投票における不正の規模は前例のないものであり、投票は完全な茶番だったというのが、彼らの主張です。上述の事前投票も、不正の温床になったと指摘されています。
ちなみに、体制から独立した調査機関として定評のあるレバダ・センターが、6月27~28日に実施したロシア全国調査があります。それによれば、回答者の22%が「すでに事前投票を済ませた」、50%が「これから投票に参加する予定」、25%が「投票に参加しない」と答えました(3%が分からない・無回答)。また、「すでに事前投票を済ませた」という人の68%が「憲法修正に賛成した」、「これから投票に参加する予定」という人の54%が「憲法修正に賛成する」と答えています。
全国規模の本格的な出口調査が実施できなかったので、真相は闇の中です。ただ、筆者としては、今回の投票では体制側によるえげつない動員が行われ、投票・開票に無視できないレベルの不正があった疑いは濃いけれど、それでも投票参加者の過半数が賛成票を投じたことは事実ではないかと理解しています。
プーチン政権には固定的な支持基盤があり、今回の投票においてもその基礎票が威力を発揮したのでしょう。その最たるものが、年金生活者です。ソ連という超大国へのノスタルジーをいまだに抱えた彼らにとって、エリツィンが破壊した国家秩序を立て直してくれたプーチンは、やはり頼りになる指導者です。プーチン政権は2018年に受給年齢を引き上げる年金改革を発表し、国民の怒りを買いましたが、すでに年金をもらっている人たちは影響を受けません。ロシア版のシルバー民主主義が機能していると言えそうです。
また、軍・治安関係者や公務員なども、プーチン体制の支持層と位置付けられます。さらに、ロシアには企業城下町が多く、そういったところでは労働者が職場単位で投票に動員されたと指摘されます。
地域別の数字から見えてくるもの
次に、地域別の投票状況を概観してみることにしましょう。上図は、注目される地域をピックアップし、有権者のうち何%が投票に参加したか(上段の数字)、何%が賛成票を投じたか(下段の数字)を示したものです。
上述のとおり、投票・開票の不正が横行したとも指摘されるので、中央選管による公式発表をどこまで信用していいかというのは、悩むところです。ただ、ある地域の数字が不正により膨らんでいるとしたら、それはそれでその地域の土地柄を反映していることになるはずです。
大まかに言うと、今回の投票では、ヨーロッパ・ロシア部では賛成票が多く(ただしモスクワ市は例外)、シベリア・極東・極北などの辺境地域では支持が少ないというのが、全般的な傾向でした。
非常に目立つのは、肝心要の首都モスクワ市において、改憲への支持がきわめて低調だったことです。しがらみのない自由な市民の多いモスクワは、権威主義的なプーチン体制への反発が最も強いところ。それに加え、今般のコロナ危機でも感染が爆発し、不自由な生活を長く強いられたことが、政権への不満増大に繋がったのでしょう。一方、プーチンの出身地でありながら、やはりリベラルな市民の多いサンクトペテルブルグ市では、今回の投票に限ってはそれほど政権批判のムードは強くありませんでした(あくまでも公式発表の数字ですが)。
ロシアでは以前から、イスラム系の共和国において地元ボスが君臨し、その差配により選挙で体制側が大勝するという現象が見られました。上の図で、チェチェン共和国、ダゲスタン共和国における賛成票がきわめて多くなっているのも、そうした現象でしょう。ダゲスタンなどはコロナ感染拡大で危機的な状況に陥ったはずなのに、それでも体制への忠誠心を票という形で示した形です。
2014年にウクライナから併合した(むろん国際社会からは承認されていない)クリミア共和国で、賛成票が多かったのは、理解できます。今回の憲法修正案の中には、他国への領土の割譲を禁止する条項が含まれていました。クリミアの住民には、自分たちのロシア帰属を憲法の新条項によって固定したいという願いがあり、それが数字に反映されたと解釈できます。
ただし、その割には、上図に見るとおり、極東サハリン州における憲法修正への支持は、それほど熱烈なものではありませんでした。日本が返還を求めている北方領土は、ロシアの行政区画上はサハリン州に属しているので、領土割譲禁止条項を含む改憲への賛成票は、サハリン州ではもっと多くても不思議ではないのですが。最近、極東では選挙で体制派候補が大苦戦する現象が続いており、今回のサハリン州の数字が意味するのは、「領土の不安を上回るほど、中央への不満が強かった」といったところかもしれません。
今回、賛成率が最も低かったのは、極北に位置する人口希薄なネネツ自治管区でした。以前、「ロシアの地域格差は何と62倍! 極端な貧富の差が生じるからくりとは」でお伝えしたとおり、ネネツ自治管区はロシアで最も「豊か」なはずの地域であり、その地域で改憲支持が最低だったというのは、興味深い現象です。
プーチンよ、晩節を汚すな
今回の国民投票で、確かにプーチン政権は投票者の過半数の賛成票は獲得できたのかもしれません。しかし、それはなりふり構わない強引な手段で票をかき集め、どうにか見栄えのする数字を作り上げたにすぎません。むしろ、政権と国民の溝が、これまでにも増して深まったという印象です。
今やプーチン政権の明確な支持層は、年金生活者、軍・治安関係者、そして企業城下町の労働者などに限られます。プーチンは、ひたすらそうした古いロシアを再生産して、政権を維持していくつもりなのでしょうか? 本来であれば、首都モスクワをはじめとする大都市の市民、若者、ハイスキル人材などが、国の成長を担うはずです。政権がそうした社会層にソッポを向かれて、ロシアは発展できるのでしょうか?
確かに、1990年代にエリツィン政権がもたらした混乱を収拾し、国家体制を立て直したことは、プーチンの大きな業績です。ロシアはもはや欧米にこびへつらう国ではなくなりました。しかし、2008年に終了する第2期政権で、プーチンはその歴史的役割を果たし終えたのではないでしょうか。2011年にプーチンが大統領職への復帰の意向を表明すると、モスクワ等でそれに反発する大規模デモが発生しました。結局2012年に第3期政権が始まったものの、上の図を見ても、この時期、国民のプーチンを見る目は厳しくなっていたことが分かります。
プーチンの賞味期限は、切れかけていたのです。その状況を一変させたのが、ウクライナ領クリミアの併合であり、多くの国民はこれに拍手喝采を送りました。しかし、クリミア効果にしても、永続するはずはありません。国民は、欧米との対立が長期化する中で低迷する景気に苦しみ、2018年に年金改革が発表されると一気に政権への批判を強めました。外国人の目から見ると、「いまだに国民の過半数がプーチンの働き振りを是認しているなんて、むしろ高い支持率じゃないか」と思えるのですが、ロシアという国の構造からするとすでに危険水域なのです。
端的に言えば、プーチンは時代に追い越されたのだと思います。プーチンが実際に2024年以降も政権を維持するつもりなのかについては、専門家の間でも見方が分かれています。もしもプーチン体制がさらに長期化することになれば、ロシアにとっても、プーチン本人にとっても、悲劇でしょう。
プーチンは、安倍総理と違って(と言ったら失礼ですが)、すでに数えきれないほどのレガシーを残しています。ウラジオストクの大開発、ソチ冬季オリンピック、サッカーワールドカップ、天然ガスパイプラインおよび液化天然ガスプラントの建設、そしてクリミアの「奪還」(もちろんこれは国際社会には大迷惑でしたが)など、枚挙に暇がありません。
多々問題はあったにせよ、2024年に悪あがきをせずに退任するのであれば、おそらくプーチンはロシアの歴史に名君としてその名を刻むことになるはずです。プーチン最後の大仕事が、2024年の政権移行になることを、切に願います。民主的な選挙が理想ですが、そうでなければ、せめてしっかりした人物に政権を禅譲してほしいものです。