ロシアの地域総生産という指標に着目
我が国では、内閣府が「県民所得」という統計をとりまとめて発表しています。国内総生産(GDP)が一国全体の経済規模を示すものであるのに対し、それを都道府県の単位にブレークダウンしたのが県民所得ということになります。そして、都道府県別の経済発展水準を示すのが、1人当たりの県民所得という指標です。
もちろん、こうした統計は日本だけでなく、世界各国が出しています。ロシアも例外ではなく、「地域総生産」という指標がそれに該当します。先日、ロシア国家統計局が最新の2018年のデータを発表しました(地域総生産は他の指標に比べて発表されるのが遅いので、今頃2018年の数字が出たわけです)。今回は、このデータを使いながら、他国との比較も交えつつ、ロシアの地域格差の問題について考えてみたいと思います。
最大62倍の格差
以下では、各国の地域格差を検証するために、各国における1人当たり総生産の上位5地域と、下位5地域を図示してみたいと思います。その際に、日本の読者の皆様に分かりやすく、なおかつ比較もできるように、数字は当該年の実勢レートで日本円に換算して示します。
まず、ロシアを見てみましょう。ロシアは85の「連邦構成主体」(地域)から成る連邦国家で、その内訳は州が46、地方が9、共和国が22、自治州が1、自治管区が4、特別市(連邦的意義を有する市)が3となっています。85の中には、国際社会がロシアによる編入を認めていないクリミア共和国とセバストーポリ特別市の2つも含まれていますが、今回は単に統計的な考察なので、その2つも視野に入れることにします。
85のうちの上位5地域と下位5地域は、下図に見るとおりです。全国平均は102万円で、図ではそれを点線で示しています。何と言っても特徴は上と下の格差が大きいことで、ネネツ自治管区の1,225万円とイングーシ共和国の20万円を比べると、実に62倍もの開きがあります。以下で日・米・中の事例を参照しますが、それらと比べてロシアの地域格差は際立っています。なお、首都のモスクワ市は251万円で6位であり、惜しくもベスト5入りを逃しています。
それに対し、ロシアとまったく対照的なのが、日本です(日本だけ2016年なのでご注意を)。下図に見るとおり、我が国では首都の東京都こそ突出しているものの、それ以外の都道府県はほとんど、どんぐりの背比べ。工業出荷額が多い都道府県ほど上に来るのが日本のパターンなので、製造業の集積しているところが優位ではありますが、上と下の格差はわずかです。東京都と沖縄県を比べてもその差は2.4倍であり、世界的に見ればきわめて地域格差が小さい国に位置付けられると思います。是非は別として、地方交付税や公共事業を通じた再分配政策が、効いているのでしょう。
下図に見るアメリカも日本と構造的には似ており、首都が突出し、それ以外の州は概ね平準的です。ただし、州の独自色が濃いアメリカでは、地域格差は日本よりもだいぶ大きくなります。この国の場合は、東海岸の州が上位を占め、南部や農業地帯の州が下位に来る傾向が見られます。もっとも、最下位のミシシッピ州の419万円でも、日本の全国平均の322万円よりはるかに高く、日本はずいぶんアメリカに水をあけられたものだと思います。
最後に、中国の事例を見てみましょう。中国本土では一級行政区は31あり(内訳は22省・5自治区・4直轄市)、そのうち上位5省と下位5省を示したのが下図になります(「一級行政区」では面倒なので「省」と総称させていただきます)。
中国では、やはり北京市、上海市、天津市という直轄市が上位を占めますが、江蘇省、浙江省という経済発展著しい沿海部の省もそれに次ぐ水準を達成していることが注目されます(これらの省はすでに日本の発展水準に近付きつつある)。一方、下位に位置するのは一連の辺境系の省ですが、意外にも新疆ウイグル自治区は83万円、チベット自治区は73万円で下位5省には入りませんでした。なお、現在世界の注目が集まっている湖北省は、全国平均をやや上回る111万円です。
首位の北京市と最下位の甘粛省との格差は、4.5倍。正直言うと、筆者はもっと格差が大きいのかと想像していました。かつて沿海部と内陸部の巨大な地域格差が指摘された中国でも、近年は「西部大開発」の効果などで、格差が縮小する方向にあるのでしょうか? 機会があれば、専門家に伺ってみたいものです。
いずれにしても、日・米・中といった主要国と比べても、「最大62倍」というロシアの地域格差が、どれだけ途方もないものか、お分かりいただけると思います。
人口希薄な資源地域がもたらすひずみ
ロシアの1人当たり地域総生産を示した上図で、上位5地域には共通点があります。それは、辺境に位置し、人口が希薄で、天然資源(主に石油・天然ガス)を産出するという点です。特に、ハンティ・マンシ自治管区は石油の、ヤマロ・ネネツ自治管区はガスの一大産地であり、それでいて人口は少ないので、1人当たりの額を計算すれば、当然これらの地域が上位に来るわけです。
ただ、それにしても、近年ずっと首位の座にあるネネツ自治管区の存在は、特異だと思います。確かにここは、今後の増産が期待される油田地域ですが、現時点でその石油生産量はロシア全体の2%程度にすぎません。それでも、1人当たり地域総生産でこの地域がトップになってしまうのは、分母となる人口がわずか4万人程度しかいないからです。
はっきり言って、自治管区という単位が残っていること自体が、不自然と言わざるをえません。自治管区は先住民の自治という名目でソ連時代から続いている枠組みですが、こういう人口のごく少ない(しかも今日ではロシア人が多数派となっている)行政単位を残すのは非効率なので、プーチン大統領は2000年代に上位の地域による吸収合併を進めました。しかし、資源が豊かな地域には利権があるので、ネネツ、ハンティ・マンシ、ヤマロ・ネネツ、チュコトという自治管区は生き残り、むしろ自主権を強めたのでした。こうして、名目的には民族自治を、実質的には利権の保持を目的とした人口希薄な自治管区が存続し、ロシアの地域総生産の統計に大きなひずみをもたらしているわけです。
一般論として言えば、1人当たり地域総生産の高いところは、「豊かな」地域ということになります。しかし、ロシアでベスト5の顔触れをみると、住みたいとはとても思えないようなところばかりです。自然環境は過酷で、娯楽は乏しく、物価は高い。先日の「まだだいぶ遠いロシア全地域制覇への道」というコラムで述べたとおり、筆者にはロシアの全地域を訪問するという夢があるので、ネネツ自治管区やチュコト自治管区にもぜひ一度は行ってみたいと思っているものの、住むのは絶対に嫌で、1週間滞在するくらいが限界です。
もう一つの問題は、こうした辺境地域で資源が産出され、地域総生産という統計にはカウントされても、必ずしも地元にお金が落ちるわけではないという点です。法人税は本社の所在地で支払われるため、大企業が本社を構えることの多いモスクワ市が財政的に潤い、油田や鉱山のある辺境地域にはわずかな恩恵しか及ばないということになります。
上位5地域の中では、サハリン州はまだしも環境が恵まれています。大陸棚石油ガス開発の効果に沸いたサハリン州は、2009年に1人当たり地域総生産で首都モスクワ市を追い抜き、それ以降、モスクワとの差を年々広げています。しかし、皮肉にもそれをもたらした要因の一つは、サハリン州からの人口流出でした。ここ数年は人口もようやく安定してきているものの、サハリン州が本当に「豊かな」地域であれば、逆に人々を惹き付け、人口が急増してもよさそうなのですが。