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デジタル社会の反乱でつまずいた独裁者ルカシェンコ

迷宮ロシアをさまよう
警察の暴力に抗議し、大統領選の結果を拒否する野党のデモ現場を行くベラルーシ内務省の部隊員=2020年8月14日、ミンスク、ロイター

ルカシェンコ体制の命脈は尽きた

8月9日投票のベラルーシ大統領選挙の結果、中央選管の発表によれば、現職のルカシェンコ大統領が約80%、対抗馬のチハノフスカヤ候補が約10%を得票し、ルカシェンコが6選を果たした、ということになっています。しかし、もはやこの数字を信じている人は、ほとんどいないでしょう。投票終了直後から、投票・開票の不正に抗議する市民と、治安維持部隊との激しい衝突が続いています。

本稿を執筆している8月14日の時点では、情勢は混沌としています。ただ、筆者はルカシェンコ政権の命脈は事実上すでに尽きたと考えています。市民を武力で押さえ付けて、当面の間、最高権力者の座にすがりつくことはできるかもしれません。しかし、大多数の国民が明確に拒絶反応を示している中で、ルカシェンコが国を統治することは、もはや不可能だと思います。国際的な孤立も不可避です。遅かれ早かれ、ルカシェンコは独裁者に似つかわしい悲惨な末路を辿ることになるでしょう。同盟国のロシアがルカシェンコ体制を支えて延命させることは考えられますが、それはロシアにとっても危険な賭けです(今のところベラルーシ国民に強い反ロシア感情はないが、ルカシェンコ政権に肩入れしたら一気に風向きが変わりかねない)。

ところで、ベラルーシ大統領選をめぐる論調をサーベイしている中で、個人的に注目したものの一つに、アレクサンドラ・コマチェンコという民主活動家がユーロニュースに寄せたコラムがありました。この中で彼女は、次のように論じています。「社会がよりデジタル的になるにつれ、古いスタイルの方法で世論に影響を与える可能性は失われていく。政権当局は、国営テレビ、新聞といった伝統的なプロパガンダの手段を利用してきたが、進歩的な有権者に山のように情報を伝えてくれる新たなチャンネルやソーシャルメディアによる挑戦に直面するようになった」

筆者も、コマチェンコさんの言う「社会のデジタル化」は、ベラルーシを読み解く重要な分析視角になると考えていました。そこで今回のコラムでは、デジタル社会、IT産業という観点に絞って、ベラルーシで生じてきた変動について考察してみたいと思います。

ITでも国の主導性を強調したルカシェンコ

古い話になりますが、ルカシェンコ大統領は2006年に行った演説の中で、概略次のように述べました。

「(ベラルーシで)携帯電話の加入者数が急増している。同部門は、全世界で最も機動的で、急成長している。強調したいのは、我が国では、すべての携帯端末、全携帯システムが、国家に帰属しているということだ。住民向けにサービスを提供するという分野でも、国家には競争力があるということを物語っている。これは非常に利益率の高いビジネスだ。最大手の1社だけで、昨年国庫に1億ドル以上の税収をもたらし、膨大な量の慈善事業も行っている。別の事業者は、完全に国営で、同社はベラルーシ全土を携帯通信網でカバーし、最も貧しい国民層にこのサービスを提供することになっている。この点こそ、携帯事業発展の眼目である」

当時これを読んで、筆者は訳が分からなくなりました。携帯電話というのは情報通信革命の産物であり、そこでは分割民営化、規制緩和、自由競争、市場開放などがキーワードになるというのが我々の一般的な理解です。それに対し、ルカシェンコは携帯電話を、国家主導の経済体制を堅持し、家父長主義的な福祉国家を達成するための手段として位置付けていたのです。

情報通信革命は、独裁的な政治体制を掘り崩す可能性を秘めているはずです。ところが、ルカシェンコ体制では、そのようなツールが奨励されているだけでなく、国がエレクトロニクスやソフト開発、IT産業を後押ししようとしていました。こうしたことから、この当時から筆者は、「デジタル社会と独裁政治は共存できるのか。もしかしたらベラルーシのケースは全人類的な実験になるかもしれないな」などと、漠然と考えていたのです。

大統領候補ツェプカロ氏のインタビュー

2020年大統領選の底流の一つが、デジタル社会VS独裁者という構図であったことを物語る事実があります。反体制側の主要候補の一人であったバレーリー・ツェプカロ氏が、かつて「ベラルーシ・ハイテクパーク」の創設をルカシェンコ大統領に説き伏せ、自らその総裁に就任したものの、結局は大統領の不興を買い、解任された人物だったことです。

実は筆者は、ツェプカロ氏がハイテクパークの総裁を務めていた2015年4月に、同氏にインタビューしたことがあります。インタビューは、筆者の勤務先の会報である『ロシアNIS調査月報』2015年6月号に掲載しましたが、ベラルーシにおけるデジタル社会と民主化という今回のテーマを考える上で、今読んでも得るところがあると思います。そこで、以下でインタビューの内容を抜粋して紹介することにします。

なお、ベラルーシ・ハイテクパークは、2005年創設。首都ミンスク市に所在し、オフショア・プログラミングのメッカとして世界的に注目されています。ここを拠点に、「ワールドオブタンク」という世界的なヒット・ゲームが生み出されました。日本の楽天が同パークのサービスを活用しており、大前研一氏も早くからここに注目していました。

ツェプカロ氏は、1965年ベラルーシ西部のグロドノ生まれ。ベラルーシ工科大を卒業した科学技術のエキスパートであると同時に、モスクワ国際関係大を卒業し外交官としてのキャリアも歩んだという、稀有な経歴のエリートです。ベラルーシ外務第一次官、駐米大使、科学技術担当の大統領補佐官を経て、2005年からベラルーシ・ハイテクパークの総裁を務めていました。ところが、2017年3月のルカシェンコ大統領の決定により、総裁から解任されます。その後、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、ジョージアなどでイノベーション経済創造に向けた助言を行っていたようです。2020年5月、ベラルーシ大統領選への出馬を表明。しかし、選管からは候補者登録を拒絶され、身の危険が迫ったため、7月下旬には子供を伴って国外に逃れました。投票終了後の8月11日には、事態を収拾するための「救国委員会」の設置を表明しています。

では5年前のインタビューの一部をどうぞ。

ツェプカロ氏(撮影:服部倫卓)

服部 ツェプカロさんは、外交官とテクノロジーのエキスパートという、2つの顔をお持ちですね。

ツェプカロ はい。私自身はコンピュータ・プログラミングのプロパーの専門家というわけではないのですが、ハイテクパークの創設に関して基本的な構想を提唱しました。他方、投資家と交渉をしたり、国際会議でプレゼンをしたりする上で、外交官としての経験が役立っていることも事実です。

服部 ツェプカロさんは、2002~2005年に科学技術担当の大統領補佐官を務め、2005年にハイテクパークの総裁に就任したとのことです。ということは、ツェプカロさん自身が、ハイテクパークを作るべきだと、ルカシェンコ大統領を説き伏せたということでしょうか。

ツェプカロ そのとおりです。1年半ほどをかけて、大統領をはじめとする政権幹部に、このようなハイテク・イノベーションパークが必要であると訴え、調整を図りました。大統領からゴーサインが出て、しっかりやるようにと指示されました。私が大統領補佐官でなかったら、大統領にそのような働きかけを行うことは、不可能だったかもしれません。ハイテクパークが実際に稼働を始めたのは2006年でした。

服部 ハイテクパークは、会社組織になっているのですか。

ツェプカロ いえ、ハイテクパークの管理局自体は、会社ではなく、国家機関です。もちろん、入居しているのはすべて純粋な民間企業であり、ハイテクパークと入居契約を結んでいます。2万人以上が働き、その大多数がエンジニア/プログラミストで、彼らの9割は英語が話せます。ハイテクパークの成長率は年間40%前後に及び、雇用も年3,000人のペースで増えています。ハイテクパークのサービスの輸出先は、ヨーロッパ:43%、北米:40%、ロシア等のCIS:14%、アジア:2%といった内訳になっています。

服部 非常に高い成長率ですね。

ツェプカロ ベラルーシは2012年に初めて、権威あるIT調査会社Gartnerの選定する世界のオフショア・プログラミング国家トップ30に入りました。2013年にベラルーシは、国民1人当たりのIT輸出額でインドや米国を上回りました。ベラルーシ・ハイテクパークの5つの入居企業が、Gartnerが選ぶ世界のアウトソーシング企業ベスト100に入りました。中でも最も有名なのがEPAM社で、本社は米国に置かれていますが、開発拠点はベラルーシ・ハイテクパークに置かれています。2012年にEPAMがニューヨーク証券取引所に上場された際には、NYSEにベラルーシ国旗が掲げられました。

服部 欧米の顧客が圧倒的に多い中で、ベラルーシと欧米との政治的な対立関係は、ビジネスの妨げにはならないのですか。

ツェプカロ まったく影響がないとは言えません。特に、イメージ面では否定できません。しかし、我々が注力しているのは、環境を整備して投資家や発注者を誘致することです。その結果、西側の名だたる企業がベラルーシ・ハイテクパークを活用しているわけで、その事実が我々の存在意義を証明しています。ハイテクパークは、官民パートナーシップの成功例だと思います。コンピュータ・プログラミングは小規模な新興企業が多いので、顧客が発注をして前金を支払うと、それが持ち逃げされてしまうのではないかといった不安が付き物です。実際、ウクライナやロシアではそのような事例が発生しています。その点、我々のような国が関与したハイテクパークであれば、発注者に安心感を与えることができるわけです。ビジネスでは、政治云々よりも、このような信頼関係の方が大事です。

服部 お隣のロシアの経済特区には技術導入型特区というのがあり、その役割はベラルーシ・ハイテクパークと似た面があると思います。ロシアの特区の眼目は、国がインフラに投資をし、企業が入居するための物理的な環境を整備する点にありますが、国の巨額投資にもかかわらず、技術導入特区はあまり上手く行っているとは言えません。ベラルーシ・ハイテクパークでも、国はインフラに投資をしたのでしょうか。

ツェプカロ いえ、国からの直接の拠出はありません。大統領の決定により銀行融資が提供されましたが、それ以外は国の資金援助はなく、むしろ国庫への納入を通じて国に貢献しています。我々は最初から、財政に依存しない形の方が、活発で創造的な仕事ができると考えていました。ロシアではイノベーションセンター「スコルコボ」の入居企業にグラントを出したりしていますが、我々にはそうしたものは一切ありません。入居企業の相談には乗りますが、グローバル経済なのだから、自ら金融機関にビジネスモデルを示して、自力で資金調達するように促しています。

服部 ハイテクパークで働く人材は、どういったところから供給されるのでしょうか。

ツェプカロ 教育、人材育成に力を入れることは、ハイテクパークの活動原則の一つです。各大学と共同で、60以上の共同研究を立ち上げ、また15の大学の支部がハイテクパーク内に置かれています。プログラミストだけでなく、多様な人材を育成しています。人材の再教育も手掛けていて、たとえば外国語を専攻していたような女性でも、数学の素養さえあれば、プログラミストへの道に再挑戦できます。

服部 ベラルーシ・ハイテクパークのプログラミストの平均的な給与水準は?

ツェプカロ 実は、ポーランド、チェコ、スロバキアあたりのそれと比べると、すでに少し高くなりました。むろん、西欧に比べれば、まだまだ低いですが。平均値で言えば、月額1,800~1,900ドルといったところです。2000年代の後半には、我々は「安くて質の良いものを作る」と言っていましたが、今は「安くて」とは言えず、単に「良いものを作る」ことを売りにしています。以前は完全に下請けだけでしたが、EPAM社あたりはすでに顧客にソリューションを提供する立場です。

服部 ベラルーシ・ハイテクパークの主要なライバルは、どこですか。

ツェプカロ そうしたものはありません。我々は自分たちの道を進むだけです。現在、むしろ問題は、我々の名声が高まり、需要に応えきれなくなりつつあることです。「ベラルーシに仕事を頼みたい」と名指ししてくる顧客は、もう3~4年も一貫して増えています。ですので、どこかと競合するというよりも、自分たちで人材を育てて、然るべくマネジメントしていくことが肝心だと思っています。

服部 結局のところ、ベラルーシ・ハイテクパークの成功の秘訣は、何だったと思いますか。

ツェプカロ ベラルーシに限らず、旧ソ連全般に、「学習が大事である」という教えが、国民に染み付いています。ベラルーシでは、企業によってソフトエンジニアリングスクールが立ち上げられ、そこで人々が再教育を受けたり、別の学業と並行してプログラミングを習得したりといった流れがありました。そのようにして技能を身につけた人材が、成長を支えたのだと思います。ちなみに、ソ連崩壊前後の時期に、約100万人ものユダヤ系住民が、旧ソ連からイスラエルに移住しました。彼らの元々の職業は建設労働者であったり農民であったりしたわけですが、イスラエルではそのような人材に対する需要がなかったので、彼らにITの教育を施し、米国企業がそこにプログラミングを発注するというトレンドが生じました。ベラルーシのソフトエンジニアリングスクールは、それをモデルに立ち上げたものです。

服部 これまでベラルーシは、製造業、とりわけ自動車・トラクター・家電などを中心とした機械産業の集積地として知られていました。しかし、今回お話をうかがったように、コンピュータ・プログラミングの分野が急激に成長しています。ひょっとしたら今後ITがさらに成長して、機械産業に取って代わるほどの存在に躍り出るような、そんな可能性もあるのでしょうか?

ツェプカロ すでに今日の時点で、ベラルーシ・ハイテクパークのGDPへの貢献度は、ベラルーシの主要機械工場をすべて合計したものよりも、上になっています。確かにそれらの工場の生産高・輸出高は大きいのですけれど、生産のためには膨大な輸入も必要です。というわけで、ハイテクパークはすでに大きな貢献をなしているのです。

ベラルーシ・ハイテクパークの外観(撮影:服部倫卓)。

デジタル技術をつまみ食いしただけだった

以上がインタビューの一部でした。話を訊いて感じたのは、この人はどうにかしてベラルーシを内部から変えていきたいと思っているのだろうな、ということ。駐米大使や、ハイテクパークの総裁として、国際経験が豊かだったツェプカロ氏だけに、一層の改革・開放をルカシェンコ大統領に進言する場面もあったと想像します。しかし、結局はルカシェンコ政権と袂を分かつこととなりました。

端的に言えば、ルカシェンコにとって関心があるのは、IT部門がもたらす税収や輸出収入だけだったのでしょう。IT化、デジタル化が進めば、ベラルーシ社会が世界に開かれ、新しい価値観の世代が育ち、市民が自由に情報をやり取りするようになることは不可避ですが、ルカシェンコ体制はその変化とは相容れず、そこで今日見るような軋轢が生じました。

他方、中国のように、デジタル技術が全体主義的な監視・統制の基盤になっている例もあります。あるいは、ルカシェンコ政権もロシアや中国から導入したデジタル技術を、市民の弾圧に活用しているのかもしれません。ただ、「インターネットを全面的に遮断」という荒っぽいやり方を見ても、あまり洗練されているようには思えませんでした。

その観点から興味深かったのは、M.ゴリュノフという評論家の次のような指摘でした(翻訳は大意)。「ルカシェンコ体制で良かった点は、ルカシェンコが野良仕事を愛するあまり、ベラルーシを最初のデジタル独裁国に転換する機会を逸したことである。もしも彼が2000年代に邪悪なIT専門家たちを招聘し、全面的な監視国家を作っていたならば、今日ベラルーシ人はデジタル・モンスターと対峙することになっていただろう。幸いにも、ルカシェンコが愛したのはニンジン、ビーツ、乳牛だった。2020年にルカシェンコ体制が依拠していたのは、紙の新聞、テレビ、警棒だった。実際、先日ルカシェンコは、『新聞に収穫作業に関する記事が少ない』と不満を述べていた。大統領の息子ニコライが、マサチューセッツ工科大でデジタル技術を学んだりするのではなく、父親の下で農作物の収穫を教わっているのは、ベラルーシにとって朗報だ。ベラルーシが直面しているのは、習近平ではなく、ブレジネフのような独裁なのである」