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モルドバ大統領選で「鉄の女」が勝利 ロシアの頭痛の種がまたひとつ

迷宮ロシアをさまよう
モルドバ大統領選の第二回投票で勝利し、記者会見に出席したマイア・サンドゥ氏=2020年11月16日、モルドバ・キシニョフ、ロイター

小国ながら見逃せないモルドバの大統領選結果

モルドバという国は、かつてのソ連構成国の一つで、1991年暮れのソ連邦解体とともに独立を果たしました。地図に見るとおり、ウクライナとルーマニアに挟まれた小国です。そのモルドバに関しては、以前「モルドバ・バトルロイヤル 欧州最貧国で何が起きているのか?」と題するコラムで論じました。

そして、モルドバでは11月に大統領選挙が実施され、その結果、国のトップが代わることになりました。親ロシア派として知られたドドン現大統領に対し、親欧米派のサンドゥ前首相が地滑り的勝利を収めたものです。新旧大統領は、1223日に交代する予定となっています。

モルドバはウクライナ、ジョージアとともに、2014年に欧州連合(EU)と連合協定を締結しました。しかし、2016年にドドン大統領が登場すると、モルドバは2018年にロシア主導のユーラシア経済連合のオブザーバー国となるなど、親ロシア路線に舵を切ります。その頼みのドドンが大統領の座から滑り落ちてしまったのですから、旧ソ連空間の盟主を自任するロシアにとっては、またひとつ頭痛の種が増えた形です。

サンドゥ候補の予想外の完勝

振り返ってみれば、前回2016年の大統領選挙でも、ドドンとサンドゥが対決し、その時には僅差でドドンが勝利しています。その後、ドドン大統領の下で20196月にサンドゥが首相に就任しましたが、コアビタシオン(異なる路線が共存する政権)は半年も持たず、同年11月にサンドゥ首相は退陣しています。そして、今回両者は、再び大統領選挙で相まみえることとなったわけです。

モルドバ社会では、まだ左派、親ロシア派の一定の支持基盤があり、事前の世論調査ではドドン優勢も伝えられていました。しかし、111日に第一回投票が実施されると(投票率42.8%)、サンドゥが36.2%を得票してリードを奪い、ドドンは32.6%で後塵を拝することになりました。

こうなると、上位2人による決選投票に向けて、3位(16.9%)に終わったウサティ氏の出方が鍵を握ることになります。ウサティの支持票は、決選投票ではドドンに流れるのではないかという見方がありました。ところが、ウサティは決選でサンドゥに投票するよう支持者に訴えます。同氏の「我らの党」の政策路線はドドンの出身母体である社会主義者党に近いものの、ウサティとドドンの個人的な関係は険悪であり、ウサティは腐敗した現政権に与することはできないとの立場を明確にしたのです。

1115日の決選投票に向けて、ドドン陣営の士気は上がらず、ドドンはかえって失言で墓穴を掘りました。今回の選挙では、後述のとおり在外投票が鍵を握ったのですが、ドドンは決選投票前に彼らの怒りを買う不用意なことを述べてしまったのです。対するサンドゥは、ロシア語話者の権利を保証すると述べて一部の有権者にあった不安の払拭に努めるなど、無難に選挙運動をこなしました。

1115日の決選投票の結果(投票率52.8%)、サンドゥが57.8%、ドドンが42.3%を得票し、サンドゥが地滑り的とも言える勝利を収めました。最近のベラルーシやアメリカの例もあるので、現職が負けを認めず混乱が長期化するシナリオも懸念されたものの、ドドンは翌16日にはサンドゥの勝利を認めて祝意を寄せました。同日には、プーチン・ロシア大統領もサンドゥに祝電を送っています。かくして、拍子抜けするほどあっさりと、モルドバ大統領の交代が決まってしまいました。

我々が外からモルドバ政治を見る時に、つい親ロシアのドドンVS親欧米のサンドゥという図式で捉えてしまいがちですが、現実にはそれだけが争点なのではなく、一般有権者はむしろ自分の生活に身近な経済・社会の問題を重視するものです。その点、ドドン率いる社会主義者党の政権が、国民の望む経済、雇用、年金、賃金などの問題を改善できたとは言えません。サンドゥは未知数ではあるものの、有権者の多数派は、彼女の掲げる変化に期待してみたくなったのでしょう。

さらに、過去十数年ほどでモルドバはすっかりオリガルヒ(政商)支配の腐敗した国になってしまい、国民はうんざりしていました。今回、サンドゥが選挙公約で真っ先に掲げたのが、司法改革と汚職撲滅です。それに対しドドンは、既得権益の保持に汲々とし、政商プラホトニューク氏との裏取引も疑われました。これも、国民の目にドドンがサンドゥよりも見劣りするようになった一因と思われます。

焦点となった在外有権者

モルドバは人口350万人あまりの小国ですが、そのうち100万人近くが外国に滞在していると見られています。欧州最貧のこの国には良い働き口が乏しく、労働人口の多くが糧を求めて外国に流出しているのです。そして、この要因は今回の大統領選挙でも重要なファクターになりました。

出稼ぎ労働者が外国で稼いだお金を本国に送金することを「レミッタンス」と呼びますが、モルドバの経済および家計を支えているのがまさにこの収入です。上図は、レミッタンスがどの国から来ているのかを示したもの。図は内訳が明らかになっている2017年で終わっていますが、その後も総額の数字は出ており、2020年時点では169,900万ドルと推計され、これは対GDP15.1%に上ります。モルドバは、世界で15番目に出稼ぎ依存度の高い国となっています。

ざっくり言うと、在外国民100万人のうち、半分はロシアを中心とした旧ソ連のCIS(独立国家共同体)圏で働き、残りの半分は欧米で働くという構図です。しかし、上図に見るとおり、ロシアからの送金は2015年に落ち込み、その後も回復は遅々としています。ウクライナ危機を背景にロシア経済に変調が生じ、通貨ルーブルも大幅に下落したことが背景にあります。それに代わって、EU圏への出稼ぎが相対的に比率を高めました。

その際に、モルドバ国民の言語はロマンス諸語のルーマニア語ですので、言葉の通じやすいEUのロマンス諸語の国が主たる働きの場となります。隣国のルーマニアはそれほど豊かな国ではないので、ルーマニアへの出稼ぎこそ限定的ですが、ルーマニア語とイタリア語が似ていることを活かし、多くのモルドバ人がイタリアで働いています。そういえば、筆者が大学時代にルーマニア語を習った時に、先生は「イタリア語ができればルーマニア語は7割は分かる」とおっしゃっていました。図では省略しましたが、やはりロマンス語系のスペイン、ポルトガルで働くモルドバ人も少なくありません。

注目すべきことに、今回の選挙では欧米に滞在する在外モルドバ人がきわめて活発に参加し、決選投票では、投じられた票全体の16%ほどが在外票だったようです。そして、決選投票では在外票の実に92.9%がサンドゥに向かい、ドドン支持は7.1%にすぎませんでした。サンドゥはモルドバ国内の投票でも僅差でドドンを上回ってはいましたが、彼女に完勝をもたらしたのは欧米の在外票だったのです。一方、ロシアで働いているモルドバ人であれば、親ロシア路線のドドンを支持してくれる可能性が高そうですが、彼らは関心が低くほとんど投票に出向きませんでした。

欧米で働くモルドバ人と、ロシアで働くモルドバ人が、数の上ではだいたい同じくらいでも、政治意識には大きな差があり、それが本国の選挙結果をも少なからず左右する状況になっているわけです。欧米の自由な環境が、モルドバ人を覚醒させているのでしょうか?

議会選挙を急ぐ「鉄の女」

というわけで、モルドバとしては初めて、女性が大統領になることが決まりました。マイア・サンドゥは1972年、モルドバのリシペニという小さな村に生まれ、現在48歳。これまで独身を貫き、キャリアに身を捧げてきました。

2010年にアメリカのハーバードケネディスクールを卒業し、2012年まで世界銀行で勤務。本国に戻り、20122015年に教育大臣を務め、大胆な学校改革を推進しました。201512月、後に行動・団結党となる政治団体を立ち上げ。20161011月の大統領選に親欧米路線を掲げて立候補するも、この時は上述のとおり左派・親ロシア派のドドンに惜敗しました。それでも、20196月から11月にかけては首相を務めています。妥協を許さず信念を曲げないその政治姿勢から、サンドゥは「鉄の女」の異名をとっています。

大統領選挙には鮮やかに勝利したサンドゥですが、モルドバは議院内閣制の国であり、彼女が直ちに大きな権力を行使できるわけではありません。101議席の議会で最大議席数を誇るのは、ドドンの出身母体である社会主義者党。同党が37議席を占め、現在のキク内閣もそれに基盤を置いています。それに対し、サンドゥの行動・団結党は、わずか15議席。サンドゥは早期に議会を解散して前倒しの総選挙を実施したい意向を表明していますが、憲法上は大統領に議会を解散する権限があるわけではなく、議員たちの抵抗が予想されます。

このように、モルドバの政治制度では、議会に多数派となる自前の勢力を持たない大統領は、できることが限られています。うがった見方をすれば、ドドンが大統領選での負けを認めあっさりと引き下がったのは、議会と内閣を握っている自分が有利であり、これから巻き返したり駆け引きをしたりする余地はまだまだあるという自信からなのかもしれません。

EUベクトルが強まることは不可避か

今回のモルドバ大統領選で、「EUか、ロシアか」という東西選択の問題が、主たる争点であったかは別として、重要な文脈となったのは事実です。そして、勝ったのは確信的な親欧米派のサンドゥであり、ロシアとしては一歩後退であることは間違いありません。ちなみに、サンドゥは2019年に首相として働いた短い期間中に、EU本部のあるブリュッセルと、ルーマニアの首都ブカレストは訪問しましたが、ロシアを訪れる機会はありませんでした。

当然、サンドゥとしてもロシアと事を荒立てたいわけではなく、建設的な協力関係を望んでいます。しかし、サンドゥが思い描くモルドバの国家建設と、EUおよび北大西洋条約機構(NATO)への接近政策を突き詰めれば、ロシアの地政学的な利益に必然的に抵触することとなります。

たとえば、ロシア語系住民がモルドバからの分離・独立を掲げている未承認国家「沿ドニエストル共和国」(上掲地図でやや薄い緑になっている地域)の問題では、サンドゥはモルドバ本国への統合を見据え、ここに派遣されているロシアの平和維持部隊の撤退を求める方針であり、これがモルドバ・ロシア関係の火種になる恐れがあります。

そして、モルドバの場合には、もう一つ複雑な要因があります。モルドバ人は民族・言語的にはルーマニア人と同根であり、モルドバ国土の主要部分はかつてのルーマニア領土です。それゆえ、ルーマニア側にはモルドバとの国家統一を目指す考えが、根強くあります。

モルドバ側は総じてより慎重であり、特にドドンに代表される左派、中道派はモルドバ独自の国家アイデンティティを守ろうとしています。他方、親欧米派にはルーマニアとの統一に前向きな立場も見られ、サンドゥもかつて「もしも国民投票が実施されたら、私はルーマニアとの統一に賛成する」と述べたことがあります。モルドバの親欧米派はEU加盟を希望しているものの、EU側がモルドバを加盟候補国に位置付けてくれる見込みはなく、「ならば、すでにEUに入っているルーマニアに編入してもらうしかない」というのが、統一賛成派の論理です。

大統領の座がドドンからサンドゥに移るとはいえ、これでモルドバの東西選択の問題に最終的に決着が着いたとは言えないでしょう。ドドンもプーチンも、巻き返すことはまだ可能だと思っているはずです。しかし、もし仮にルーマニアとモルドバの国家統一が現実のものとなったら、ロシアの失地回復は永遠に不可能になります。いつになるかは分かりませんが、来たる議会選挙において、サンドゥの行動・団結党が過半数を握ったりすれば、ルーマニアとの統一に関する議論が本格化し、ロシアとの間で新たな軋轢が生じる可能性があります。

ただ、長い目で見れば、モルドバがロシアの重力圏を離れ、EUにますます接近していくことは、必然の流れなのかもしれません。今回の大統領選で、欧米に滞在する在外モルドバ人がサンドゥを熱烈に支持する様子を目の当たりにして、改めてそのような思いを強くしました。

上図に示した貿易のデータを見ても、10年くらい前までは、モルドバのCIS諸国との輸出入高(その大部分は対ロシア)と、EUとの貿易高は、ほぼ同じくらいでした。しかし、2000年代に入って、対CIS貿易は、対EU貿易に水をあけられるようになります。モルドバがEUと連合協定を結んだ2014年以降、差はさらに大きくなっています(ただし、モルドバの対EU貿易は、かなり対ルーマニア貿易に偏っている)。

2014年の連合協定を受け、ロシアは実質的な報復措置としてモルドバ産品に一方的に関税を導入し、また一時はモルドバ名産のワインを輸入禁止にしました。逆に、ドドン大統領が登場して親ロシア政策を始めると、ロシアはモルドバ産の農産物・食品に対する関税を時限的な特例として免除するという、実に露骨な対応をとってきています。しかし、そうした恣意的な政策の結果として、ロシアとモルドバの貿易が不安定化し、モルドバの貿易パートナーとしてEUの比率の方がはるかに大きくなっているのですから、ロシアの自爆としか言いようがありません。