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ニュースの主体だった女性たちを忘れまい 作家チョ・ナムジュさん

現地発 韓国エンタメ事情 更新日: 公開日:
チョ・ナムジュさん©Choi-Seung-do

――「彼女の名前は」のもとになった女性たちへのインタビューはいつ頃行われたのでしょうか?

2017年に1年間、京郷(キョンヒャン)新聞で隔週でコラムを連載しました。その原稿を手直しして、韓国では2018年に出版しました。主に京郷新聞で連載した2017年にインタビューをし、何編かは新たに書いた2018年に補充のインタビューをしました。本の中で最初に出てくる「二番目の人」の資料調査とインタビューは2018年の初めでした。

―― 年齢や職業も様々な女性が登場しますが、インタビューをする時、どういう人選を心掛けたのか、教えてください。

新聞の連載だったため、第一の基準が時宜に合っていることでした。連載当時、国会の清掃労働者が直接雇用となり、学校の非正規職のストライキがあり、放送局MBCの代表理事が解任され、THAAD(サード、高高度迎撃ミサイルシステム)配備地域のおばあさんたちが上京し、反対を訴えました。もちろん、それらの現場に女性だけがいたわけではありません。しかしながら、間違いなく女性がいて、その女性たちのことをそのまま記録に残したいと思いました。時間がたてば、「事件」と「ニュース」だけが残り、その主体である女性たちの努力と役割が見えなくなり、忘れられていくのではと心配になったんだと思います。また、新聞掲載時期に合わせてテーマを決めたということもあります。新学期にはワーキングマザーを、学校の休み期間には孫の世話をするおばあさんを、妊婦の日の頃には妊婦を取材して書くという風にです。

「82年生まれ、キム・ジヨン」が一人の女性の人生についての話を縦につづった物語なら、「彼女の名前は」は一つの時期に様々な年齢の様々な女性たちの話を横につづった物語です。

――チョ・ナムジュさんが感じられる、#MeTooで変わったこと、変わらないことはどんなことでしょうか?

今、韓国社会の構成員、特に韓国の女性たちはとても重要な時期を過ごしていると思います。署名をして、抗議して、街に出ることで、結果がついてきます。性差別的なメディアのコンテンツや発言などは減り、女性が中心になった物語が大衆文化でも、文学でも比重が大きくなっています。#MeTooで訴えられた加害者に対する処罰も続いています。

もちろん、その反動もあります。正直、今は後退しているようでもあります。各種性犯罪は依然として起きていて、その罪に対する処罰が軽いのも変わりません。最近はすでに「憲法不合致」の判決が出ている堕胎罪を事実上維持することにした改正案の立法が予告され、多くの人たちに挫折と怒りをもたらしました。しかしながら、声を上げることで世の中が変わるということを直接経験してきたので、敗北意識や冷笑で終わらないことを信じています。

©Minumsa

――28編の中で、韓国の読者の反響が大きかった話があれば、その理由とともに教えてください。

読者との交流やインタビューの中では「公園墓地にて」と「彼女へ」について言及する人が多かったです。「公園墓地にて」は病気の母を介護した独身の娘の話で、「彼女へ」はガールズグループのメンバーが好きな女性ファンの話です。いずれも特定のニュースが素材となった話ではないという点が興味深く感じました。具体的な事件を通して大きなイシューとなったことのない話ですが、多くの読者が関心を持ったテーマだったようです。家庭内の女性構成員、特に独身の娘に介護の負担が集中する現実について、また、若い女性芸能人が求められることと彼女たちの女性ファンが抱く悩みについて、です。今も時々新聞の企画記事やテレビのドキュメンタリーなどを通して、このテーマが言及されるのを見ます。

――「二番目の人」のような、今後の被害者を減らすための闘いは強要はできないけども尊いと思います。これにまつわるインタビューの時に感じたこと、書きながら込めた思いがあればうかがいたいです。

ハリウッドで始まった#MeToo運動ですが、韓国も例外ではありませんでした。特に2018年初め、安兌根(アン・テグン)検事長(当時)、安熙正(アン・ヒジョン)忠南道知事(当時)ら社会的地位のある大物の性暴力が告発され、大きな反響を呼び起こしました。しかしながら、韓国の女性たちが声を上げ始めたのはこれより以前でした。すでに2016年ごろ、「#〇〇内性暴力」というハッシュタグをつけて、特定の職業集団などの中で性暴力の被害を訴え始めていました。

数年にわたる告発と闘争、法廷での攻防、加害者から逆に名誉棄損などで訴えられることもあり、疲弊もしましたが、より長く準備して効果的に対応し、互いに慰め合う方法を学びもしたと思います。負けないことと同じくらい、皆が健康に生き残ることも重要だと思います。悲しい現実ではありますが。

――ろうそく集会による成功体験は、「みんなで声を上げれば変えられる」という勇気につながり、1年後にわき起こる#MeTooの原動力にもなったように感じました。チョ・ナムジュさんから見て、いかがでしょうか?

市民がろうそくで政権を交代させたことは、自分は平凡で力がない個人だと思っていた人たちを社会と政治の領域に引っ張り出したように感じました。特に1987年の6月民主抗争などデモの文化を直接経験してこなかった若い世代にとっては、より強烈に感じられたのではないでしょうか。勝利の経験は次の一歩を踏み出す力と勇気になるもので、だからこそ、小さくても勝利の経験を積むのは大事です。もちろん、ろうそく集会によって生まれた政権がすべてをあるべき姿にし、市民の経験が公的な原動力にだけ作用するとは言えません。実際、様々な疑念と失望の時間を過ごしていますが、それでも考え続けて、前に進もうとするしか方法はないのですから。

©Choi-Seung-do

―― 日本では映画「82年生まれ、キム・ジヨン」が10月に公開されました。映画の感想や、原作者としてどのように関わられたのか、教えてください。

映画は、より希望のある結末だったと言えます。小説が出版され、映画が公開されるまでの変化によるものだと思います。小説が出版されたのは2016年、私が書いたのは2015年ですから、おそらく2015年の視点と感情と展望で小説を書いたでしょう。そして映画は2019年公開でしたから、その間に人々の視点も感情も展望も変化したのではないかなと思います。重い気持ちで映画館を出ることにならず、良かったです。

シナリオなど映画の制作には関わりませんでした。プロデューサーと監督を信じ、純粋に観客の立場で映画を鑑賞しました。監督は原作を読んで意味を見出した読者たちを裏切らない映画を作ろうと思ったと話していましたが、小説の問題意識を尊重してくださったと感じます。感謝しています。