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40代だって遅くない エンジニアが日本を飛び出して手に入れたもの

アジアで働く
プログラミング教室で子どもたちにゲームを説明する志知さん

スマホのカメラで目の前の風景を映し出しながら、画面をタップすると、そこにシンガポールのシンボル「マーライオン」が浮かび上がってくる。目の前に見えている風景のどこにでもマーライオンが出てくるのが、なんとも不釣り合いで思わず笑えてくる。

シンガポールに住むITエンジニア・志知淳一さん(49)が手がけたアプリ「オールウェイズ・ウィズ・マーライオン(いつもマーライオンと一緒)」は、カメラに写る風景のどこにでもマーライオンを映し出して写真を撮れるアプリだ。使われているのはゲームアプリ「ポケモンGO」で知られる拡張現実(AR)と呼ばれる技術。スマホのカメラが映し出す風景の空間構造を計算し、そこにマーライオンの3次元イラストを重ね合わせていく。

志知さんがつくったARアプリの画面。実際の風景にマーライオンの立体イラストが重ねられている=7月、西村宏治撮影

「こんなこともできるよ、という技術の見本といった意味合いでつくっている部分もあります。まだ趣味の段階ですね」。昨年は、海外の仲間と開発した別のゲームを台湾のゲーム見本市に出展した。最新技術を学び続けること。それがエンジニアの楽しみでもあり、生き残っていく道でもあるという。

マーライオンが表れたスマホの画面

志知さんの本業は、企業会計などを扱うシステムの設計やメンテナンス。IT企業に勤めるサラリーマンだ。日本で育ち、大学、大学院を出て就職。海外には長く縁がなかった。

実はITエンジニア自体、めざしていた職ではなかった。専攻は航空宇宙工学。ロケットの開発に携わるのが夢だったが、日本でロケット開発にかかわれる仕事は、ほんのわずかしかなかった。そこで、実験や数値解析のためにコンピューターのプログラムを組んでいた経験を生かし、大手のシステム会社にエンジニアとして入社した。

手がけたのは、政府の通関システムなど、エンジニアが何十人もかかわる大型のシステム。仕事そのものは好きだったが、数年のうちに社内での出世とは違う道を考え始めた。「上司を見ていると、人事もやるし、営業もやる。お客さんと飲みに行ったりすることもよくある。それよりは、ずっと現場にいたいなと思い始めたんです」

昨年には、シンガポール人の仲間と開発したARゲームを台北ゲームショウに出展した=志知淳一さん提供

結局5年で退職し、コンサルタント会社を経て、企業向けのシステムを開発する外資系のIT企業へ移った。会社内で様々な職種を経験させる日本企業とは違って、外資系では職種別の採用が多かったからだ。そしてそれが、海外との本格的な出会いになった。

転職先は、ドイツに本社を置いていた。志知さんは国内案件の担当だったが、トラブルなどがあればドイツの本社とのやりとりも必要だ。また、日本と海外の拠点が協力して進めるプロジェクトもあった。次第に海外が身近になり、自分も挑戦したいと思うようになったという。

だが、声がかかることはなかった。海外のプロジェクトに呼ばれるのは、大学時代から海外に留学していたような人材ばかりだったからだ。

問題は、語学だった。「技術に語学は関係ないというポリシーでしたし、自動翻訳もすぐに実用化されると思っていたので、学生時代からあえて語学の勉強に時間を割いてこなかったんです」

実際には、自動翻訳の精度は思ったほど上がらなかった。さらに人工知能(AI)や新たなプログラミング言語など、最新テクノロジーについても、英語の方が情報が早く手に入りやすいと感じるようになっていた。

「語学をしっかり学んで、海外での仕事に挑戦したい」――。そんな思いが抑えきれなくなったのは、その外資系企業に移って5年ほどたったころ。エンジニアを求めている会社は国を問わず多いし、自分の技術も通用する。そんな手応えもあった。会社を辞め、オーストラリアに3カ月間の短期留学に出た。

だが、そこで思い知らされたのは逆に「英語ができなさすぎること」だったという。もっと勉強しなければ。そうは思ったが、さすがに年齢が気になった。「当時もう40歳目前です。さすがに会社を辞めて英語だけを1年も2年も勉強するのは、ちょっと厳しいなと」

そこで考えたのが、英語のほかに中国語を学ぶことだった。英語ができるひとは多い。せっかく勉強に時間を割くなら、英語プラス何かを身につけたいと考えた。留学先にはシンガポールを選んだ。昼は中国語学校でみっちり中国語、さらに夜は英語の勉強を続ける。そんなプランを組み、単身シンガポールへ。2010年4月、39歳になる年のことだった。

意識したのは学校での勉強に加え、外国語しか通じない環境に身を置くことだ。住む場所を調べ、不動産会社に連絡をし、契約の交渉をするといった身の回りのことから、すべて体当たりの英語でこなしていった。シンガポール人や中国人などにも友達の輪を広げ、空いた時間はひたすら彼らと話すようにした。

昨年には、台北ゲームショウにも出展した=志知淳一さん提供

9カ月の学校生活で身についたのは、語学もさることながら、なにより「外国人とやりとりをする度胸と根性」だったという。その勢いのまま現地で就職活動を続け、英語での面接などを経ていまの会社に就職した。「海外で就職できたのは、技術と経験を持っていたことが大きい。伝えるべき内容を持っていれば、多少は語学が不自由でも相手が聞く耳を持ってくれるんです」と言う。

だが、それは逆に言えば、技術が生命線となる仕事だということでもある。

「70になろうが80になろうが、エンジニアは一生勉強です。それもまた、楽しいんですよね」

そんな自分磨きの場のひとつが、ゲーム開発だ。平日は定時に仕事を終え、家事。その後に開発の時間を取り、週末も研究や開発に使う。週に40時間はゲーム開発にあてようと考えている。「ゲームは、その時代の最新テクノロジーが真っ先に採用されていく分野。それが面白いんです」。ARも、いまはゲームなどに使われているが、これから様々な分野に応用されていくとみている。

そして、さらに最近力を入れるようになったのが、プログラミング教育だ。

8月2日、志知さんは、シンガポール中心部にある日本人の子ども向けの学習サロン「SELF」で、ゲーム作りを中心としたプログラミング講座に臨んでいた。

講座では、小学生たちがゲーム開発用のツール「Unity」を使って、ルーレットづくりに取り組んでいた。C#と呼ばれるプログラム言語を使って、まずはお手本通りにプログラムを書く。それがすむと今度は子どもたちが、プログラムに入力する数値を動かしたり、使う画像を変えたりしてゲームを自分なりに進化させ始める。中にはルーレットをふたつ並べてみるといった工夫を始める子どももいる。

「実際にプログラムを組んでいくことで、すごく実践的な勉強になる。自分の書いたプログラムでゲームが動けば達成感もあるし、ゲームで遊べる楽しさもある。子どもたちはどんどん先へ進んでいきますよ」。志知さんはそう言う。

子どもたちにプログラムの内容を説明する

プログラミングはいま、世界各国で学校教育にも採り入れられている。プログラミングの考え方を学ぶことに重きを置いた教育も少なくない。だが志知さんは、小学校高学年ぐらいになれば、大人と同じような環境で実際にプログラムを組んでみたほうが身につくことが多いと考えている。「○○に必要だから」ではなく、もっと多くのひとに、プログラミングの楽しさそのものを知ってほしい。活動を支えているのは、そんな思いだ。

学習サロンSELFの代表、有岡瑛志さん(36)は「志知さんは、自分の技術をしっかり持っていて、プロフェッショナルとしての意識が高い。それになにより開発が好きで、それを楽しんでいる。それが子どもにも伝わっています」と言う。

外資系企業に勤めたことをきっかけに、海外をめざした志知さん。いまではエンジニアの仕事そのものは、世界のどこでも同じだと感じるようになったという。

現在は新型コロナウイルスの流行のために難しいが、将来的にはゲーム開発やプログラミング教室などの活動も、地域を限らずに広げていきたいという。すでにゲーム開発では、国を超えた仲間も増えてきた。昨年はシンガポール人の開発者と共同開発したゲームを台北ゲームショウに出展。いまはロシア人のデザイナーと、また別のゲームの開発を続けている。

「シンガポールに来たおかげで、自分の世界が広がったな、というのは感じています」と言う志知さん。「エンジニアは技術さえあれば、語学は後からでも何とかなる。自分が海外に出たのは実質的に40代です。若いひとは、もっとどんどん挑戦してほしいなと思います」