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さよなら「ジム・クロウ法」
2010年に無罪になり、汚名を晴らしたグレンさんは、その8年後、ある運動に全身全霊を注ぐことになる。グレンさんの運命を分けたルイジアナ特有の法律を廃止するチャンスが到来したのだ。
4年に1度の大統領選の中間年に行われる2018年11月の中間選挙の投票用紙に、州民投票として「10対2ルール」を廃止すべきかどうかという質問が追加されることとなった。だがこの法律は、ルイジアナに長年住んでいる人でさえも、知らない人が多かった。そのため、グレンさんは自分の経験について多くの記事を投稿したり、メディアに出たりすることで問題を提議し、廃止を呼び掛けた。
選挙当日、集会所に大勢が集まり大画面で中間選挙の開票経過を見守った。大多数が「10対2ルール」の廃止に賛成という結果が発表された。120年も続いたこのシステムに、遂にピリオドが打たれた瞬間だった。「この目で見て感じたあの幸福感を言葉で表すことはできない。この運動に取り組んで本当によかった」。周囲は「バイバイ、ジム・クロウ!」と書かれたケーキでお祝いする人や、同様のプラカードを掲げて喜ぶ人たちの歓声に包まれていた。
舞台は米連邦最高裁に移った。2018年より前に「10対2ルール」によって有罪判決が確定していた男性が、このルールの違憲性を主張してルイジアナ州を訴えたためだ。今年4月、最高裁は過去の判決を翻し、「評決が満場一致でない場合でも有罪が決められる法律は違憲」とした。意見陳述でゴーサッチ判事は、「この法律の起源は明白だ。白人の至上主義を作り上げるためだ」と明言し、ルイジアナ州は「人種別の人口を綿密に計算した上で、黒人の陪審員の存在を無力にするため『10対2ルール』を作り出した」と述べた。この判決により、この法律を維持した最後の1州、オレゴンも同法の廃止を余儀なくされた。
魂の傷
15年間の投獄を経て、グレンさんは2つの意味で違う人間になった。1つは、19歳で刑務所に入ったグレンさんは「アンゴラ」で成人したということ。「刑務所で育てられたようなものだ」とグレンさんは言う。弁護士になりたかったこともあり、勉強して、受刑者間での揉め事を裁く裁判の法廷弁護士役を務めた。月曜から金曜まで、毎週3、40人の受刑者を弁護した。毎回法廷で弁護士として宣言する言葉は、今でもすらすら出てくる。刑務所に入ったばかりの自分は人間として未熟だったと自覚しているが、15年間で人生に対する考え方が変わり、物事を冷静に見る目を培った。
2つ目は、魂に傷がついてしまったということだ。無実でありながら殺人の責任を問われ、有罪判決を宣告される。そんな道を誰が望むだろうか。目撃証言をした男性は自身の刑を逃れるために、偽証と自分の人生を引き換えにした。その証拠を隠蔽した警官や検察官は、不正行為を償わないどころか、逆に昇格した。家族は「全て忘れろ」と言うが、こうした理不尽によって魂に負った傷をどうすれば忘れることができるのだろう。
振り返れば、自分の身にふりかかったことに驚きはない。最悪の事態も、ある程度は予測がついた。それは物心ついた頃から、警察の恐ろしさに怯えて育ったからだ。警官を見るたび、自分は不当に投獄されるか、殺されるかのどちらかだと思っていた。できるだけ関わらないよう、警察を見かけると必死で逃げていた。今でもドアから一歩外に出れば、どんな「罠」が待ち受けているかという恐怖にかられる。呼び止められ、抵抗していないのに、道端で警官に頭を踏みつけられたこともあった。100キロ以上の大きな体が頭にのしかかった時の重さを今でも覚えている。
黒人として生きることとは
麻薬、銃、貧困、死……これらといつも隣り合わせだった。逆境の中で、物事を手取り足取り教えてくれる人などいなかった。「周囲の人の失敗から学ぶこと」がサバイバルの秘訣だった。4歳下の弟は、行き場を失い麻薬に溺れ、4年前、麻薬の過剰摂取によりこの世を去った。子供の頃からの友人の多くも、すでに命を落とした。目撃証言をした男性も、真犯人と疑われた男性も、殺害された。
グレンさんの故郷、ジェファーソン郡では黒人に対する警察の暴力や発砲が後をたたない。今年3月、14歳の少年が警官に撃たれる事件が起きた。友達が運転する盗難車に乗っていた少年は、警察に止められた後、指示に従ったにも関わらず、背中を撃たれたという。少年は両手を後ろに組んで地面にうつ伏せになった状態で警官に撃たれたと言ったため、母親は事件の経緯を求めている。警察側が未成年を理由に事件を公開しなかったことで、更なる波紋を呼んだ。続いて5月、ミネアポリスでジョージ・フロイドさんが死亡した2日後には、グレンさんの友人が警官に撃たれ死亡した。
権力を持つ者は、マイノリティー(少数派)に対し、好き勝手にふるまう。たとえ黒人を殺しても罪に問われないと思っている。黒人は、そのようにして自分たちを貶めるシステムの中で生まれる。貧乏であればなおさらだ。成功することがないように組織的にデザインされたシステムの中に黒人は吸い込まれてしまう。黒人として生きるということは、スタートラインで最後に走り出すようなものだ。誰かに追いつくには、何倍もの努力が必要だ。グレンさんは、終わりが見えない悲劇についてこう語った。
グレンさんは今、建築や造園の仕事をして生計を立てている。車の修理から、キャンドルやTシャツの製作など、趣味も多岐に渡る。
逮捕の翌日に生まれた娘は、もうすぐ28歳の誕生日を迎える。不動産の仕事の合間に、よく会いに来てくれる。
いつかこの町を出たいというグレンさんは、将来の夢についてこう語る。「残りの生涯を穏やかに生きることができればそれでいい。自分は人種など関係なく、一人ひとりを尊重したい。同様に自分のこともリスペクトして欲しいからだ。警察よ、頼むから私たちを殺すのをやめてくれ」
魂に傷がある限り、戦いは終わらない。
グレン・デイビス・ジュニアさんのこれまでの話 「黒人として生きるとは⑦」「黒人として生きるとは⑧」もどうぞ