3月初旬、私はいつものようにサンフランシスコで人気沸騰のカフェやレストランをメディアに案内していた。ITバブル経済で盛り上がる街の飲食シーンは、どこも賑やかさで溢れていた。それから2週間後、街から人が消えた。車で埋め尽くされていた市内の道路はバスレーンの赤いペイントが剥き出しになり、レストラン、バー、カフェは強制閉店。テイクアウトのみが許可された。まるで映画さながらの「ゴーストタウン」シーンを誰が想像できただろうか。
3月16日深夜、サンフランシスコは全米に先駆けロックダウンが発令され、街の機能がほぼ止まってしまった。通常であれば、市内の平日昼間人口は通勤、出張、観光者を合わせて約95万人。この人たちが消えたことでまず打撃を被ったのは、彼らの胃袋を満たしていた飲食業だ。突然のロックダウンで高額の家賃と人件費を抱えるレストランやカフェは、止むを得ず従業員を解雇したり閉店したりすることが相次いだ。だが、その中で模索しながらも生き残りをかけて戦う日本のレストランオーナーがいた。
大成功のレストランがロックダウンで経営危機
それは、サンフランシスコの人気店、「ひのでやラーメン」だ。同店は今年で開業4年目を迎える。埼玉県の和食屋「ひのでや」の4代目、栗原正生氏が「日本の伝統である『出汁』『旨み』の文化を世界に広めたい」と10年の計画期間と日本での実績を経て2016年、米国進出を果たした。「出汁を広めるには人が足を運びやすいカジュアルな店」と、この10年、ラーメンブームがヒートアップするアメリカで、初となる「出汁ラーメン」で勝負した。
その頃、アメリカでラーメンと言えばとんこつが主流。「出汁」という新しいスタイルに誰もが首を傾げた。しかし埼玉県の高級和食店「彩々楽」(ささら)を成功させ、「東京吉兆」やアメリカ大使館の料理長まで務めた栗原氏のラーメンは別格だった。たちまち「出汁ラーメン」の噂は広がり、「ひのでやラーメン」は、半年を待たず常に行列ができる店に成長した。
開業3年目となる2019年、さらに飛躍し、IT企業が連なるオフィス街に2号店、金融街に3号店、そしてテキサス州に新しく4号店をオープンした。全4店舗は破竹の勢いで繁盛。経営は軌道に乗り、アメリカンドリームにタッチした瞬間、新型コロナウィルスによる都市封鎖でテイクアウトの店以外は閉店に追い込まれた。
落胆と迷走ーー店を閉めるか戦いに挑むか
店を閉めるべきかーー突然の非常事態にテイクアウトやデリバリーも経験したこともない、アメリカで4年目の経営者にとって試練が始まった。サンフランシスコは全米一家賃が高く、人件費もトップレベル。「ひのでや」の従業員はアメリカ全店舗で50人あまり。人の動きが止まった今、経営は続けられない。しかし店を閉めると言うことはアメリカからの撤退を意味する。撤退してしまえば、膨大な資金と時間を費やしやっとの思いで成功させた「ドリーム」失うことになる。栗原氏は、「出汁の文化を世界に広めたい」と目標を持った14年前の初心を振り返った。志半ばで終わるわけにはいかない。では、彼はどのように動いたのか。
第1週目:【テイクアウトへの切り替え、情報収集、ミーティング、データの集積、計画書作成】
先行きが読めないので、最初は正確な情報の把握に努めた。「幸いこの街には飲食店を経営する同胞の先輩方がたくさんいます。テイクアウトに切り替え変えた店を訪ねて彼らのやり方を学んだり、アドバイスを頂いたり、情報交換をしました」と栗原氏。一方、店では毎日従業員とミーティングを持ち、存続するためにはどのような方法があるか、売掛データを弾いた。そして、6ヶ月の生き残り計画を立てた。「僕たちは戦闘準備をし、アメリカで戦う決心をしました。もちろんその先の事はまだ分かりませんが、やるしかない」
第2週目:【人員削減、店舗縮小、デリバリー契約】
一度目標を持つと行動は早かった。厳しい選択だったが人材削減は避けられず、50人いた従業員を6人に絞った。店舗は1店舗のみを残し、あとの3店舗を閉めた。1箇所にまとめる事で、食材の管理、役割分担、会計を集約した。だが、店開けてはいたが、テイクアウトの客は来なかった。
次の一手は、デリバリー企業4社との契約。広告目的も兼ねて『ウチ、やってますよー!』と世間にアピールするためだ。「実際にはマージンを取られるので、あまり儲けは出ません。でも食材を調理し、回して行く事が大切だと思ったんです。でなければレストラン事業が再開した時にすぐに回復できないからです」。すると狙い通り徐々に申し込みが増えた。
第3週目:【書類の提出、SNSの活用、商品券発行】
1週目には1桁しかなかった注文は一気に増えた。SNSや近所の人の口コミ、各デリバリー会社の広告、ネット、地元新聞の「テイクアウトできるレストラン」リストにも掲載され、拡散されたからだ。1日80件程度のオーダーが入るようになった。静まり返っていた店の雰囲気は明るくなり、キッチンに活気が戻ってきた。「やると決めた以上は、忙しくするしかない」と栗原氏。ウェブサイトのリニューアルなど、これまで集めた情報やアドバイスをひとつひとつ形にしていった。地元のファンは、「コロナ騒動後も存続してほしい」と発行したばかりの商品券を買って支援していた。
アメリカのCOVID-19 経済救済プラン
国の救済措置も始まった。中小企業向けの救済プログラム(PPP)は、従業員の給与2.5ヶ月分を融資するもので、その使途の75%以上が従業員の人件費や社会福利費に充当される場合は全額返済免除となる。その他にも、災害一時金、ブリッジローン(早急に現金が必要な措置)、負債補助など四つの柱がCOVID-19救済措置だ。「このような緊急事態時に、アメリカは簡潔と感じました。一方、日本にある3店舗のレストラン経営も今大変な状態です。申請の手続きが煩雑で時間もかかり、お役所仕事だと感じます」。栗原氏は再オープンを目指し、希望が繋げられる限りの書類提出に走った。
4週目:【パッケージの見直し、加工商品を新発売】
「今まで『ひのでや』は地域の人に支えられて成長してきました。今度は僕たちが微力ながら返すべき」と栗原氏は、第一線で活躍する公共サービスの従事者達にボランティアでデリバリーを始めた。この危機的状況に食事を受け取る人々の笑顔に救われるんです」と地域とのつながりを改めて大切に思えたという。
テイクアウトのパッケージを真空パックに変え、ラーメンの長期保存が可能となった。さらに、スーパーなどでは手に入りにくい「ひのでや」オリジナルの冷凍食品を全米チェーンの「Mituwa」と地元ストア「Mira」で販売開始。販売店の店主と販売開始を祝う栗原氏の顔には、危機的状況を戦い抜くベテラン経営者としての自信が伺えた。サンフランシスコ、ベイエリアでは多くのレストランがこのような活動をし、市民が地元ビジネスをサポートし、社会が一体となり”戦う”現象が起きている。
ロックダウンはすでに2ヶ月目になるが、さらに1ヶ月の延長を強いられ、戦いは今後も続くことになる。私にとってレストランとの繋がりはフードライターとして、案内役として、また生活の一部として欠かせない場所。以前、「シェ・パニーズ」のアリス・ウォーターズ氏のインタビューで、「レストランは特別な空間。人が働いている音、食事を作る音と匂い、お客さんのおしゃべり、人とのコミュニケーションがあり、これら全部が特別の空間を創り出している」と言ったのを思い出した。
人と人とが隔離された生活が続く今、レストランやカフェが持つ役割がとても大切に思える。「アフターコロナ」にはきっと街の様相も私達の生活も変わっているのだろう。美食の街、サンフランシスコを再び案内する日が来る事を心から願っている。