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新型コロナでの五輪延期論をも味方につけるロシア プーチンは国益を譲らない

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
ロシア政府が急遽開設した新型コロナウイルス対策の特設サイト(https://xn--80aesfpebagmfblc0a.xn--p1ai/)

プーチンも動いた!

前回3月17日のコラムでは、ロシアでは今のところ新型コロナウイルスの流行は比較的軽微であるということをお伝えしました。15日までの情報にもとづいて執筆したものでしたが、実はその後、ロシアでの状況は大きく変わりました。感染者数は加速的に増加し、22日までに367人に到達。もちろん、感染の中心地とされているような国に比べれば、まだ桁違いに少ないものの、ロシアももはやパンデミックと無縁ではなくなってきたことは確かでしょう。

そして、プーチン政権は16日、3月18日から5月1日までの間、外国人の入国を原則禁止することを発表しました。航空機やトラック、船舶、鉄道の乗員や、外交・公用目的の入国といった例外を除き、一般の外国人は基本的にロシアに入れなくなってしまいました。これに伴い、外交・公用などを除くすべてのビザ(労働、私的訪問、留学、商用等)の受付および発給も停止されています。

割と最近まで、ロシアでは商店の品不足といった情報も、それほど伝えられていませんでした。筆者が「スーパーマーケット」「トイレットペーパー」「品不足」といったロシア語のキーワードでネット検索してみても、ヒットするのは外国についてのニュースや、あるいはソ連時代のモノ不足に関する昔話ばかりでした。しかし、ここに来て様相は大きく変わっています。筆者の勤務先のモスクワ事務所からの情報によると、このところマスクや消毒液の品薄状態が続いているほか、消費者が買い溜めに動いているようで、缶詰、米、ソバの実、パスタなど保存の利く商品を中心に品薄となっているということです。

なお、この間3月19日には、モスクワで79歳の女性感染者が亡くなり、各種報道では、「ロシアで最初のコロナウイルスによる死亡例」と伝えられました。しかし、冒頭の画像に見るように、ロシア政府が開設した新型肺炎の特設サイトでは、いまだに「死亡者ゼロ」とされています(右下にある0という数字がそれです)。ロシア当局は、当該の女性患者は元々抱えていた疾患により亡くなったのであり、コロナウイルスが原因ではないという立場をとっているようです。しかし、こういうグレーな事例があると、「本当はロシアの感染者はもっと多く、実は死亡者も多数出ているのではないか?」と疑いたくなります。

五輪中止・延期を最も望んでいるのはロシアでは

ところで、新型コロナウイルスの大流行に関連して、筆者が注視している問題の一つが、東京オリンピック・パラリンピックにおけるロシア選手団の処遇です。2019年12月9日、世界反ドーピング機関(WADA)は、ロシアがドーピングに関連する重要なデータを改竄したと認定し、今後4年間の五輪・パラリンピック、世界選手権などへの同国選手団の参加を禁止することを決定しました。したがって、ロシア選手団は東京五輪には参加できず、ドーピングに関与していないと認定された選手だけが個人資格で出場できるのみとなったわけです。

ところが、コロナ感染が広がったことで、世界各国の言論界やスポーツ界から、東京五輪の中止または延期を求める声が数多く寄せられています。23日にはついに安倍総理も延期の可能性を認めました。万が一、中止などということになったら、ロシアという国にとっては、「願ったり叶ったり」でしょう。夏季五輪の歴史に、「ドーピング問題でロシア選手団は参加できなかった」という不名誉な1ページを刻まなくて済むからです(もちろん、ドーピング問題をクリアし個人資格で参加しようと決意を固めているロシア人アスリートの思いは別でしょうけれど)。また、仮に東京五輪が延期ということになっても、ロシアにとっては好都合だと思います。ドーピング問題に対応するための時間が稼げるからです。

昨年12月のWADA決定を受け、ロシア側はスポーツ仲裁裁判所(CAS)に異議を申し立て、ロシア選手団の参加資格回復を求めて争っています。そうした中、CASの置かれているスイスでもコロナ感染が広がり、3月中旬に予定されていたロシアのドーピング問題に関する審理は、当面4月下旬または5月上旬へと延期されました。世界的に人の移動すらままならなくなっている中で、果たして本当にその時期に審理が可能なのかも不透明です。東京五輪が今年夏に開催されることを前提に、当初はCASでも迅速にロシアのドーピング問題についての判断を下す構えでしたが、関係者の間では五輪延期を見越し、「もう急がなくてもいいのではないか」というムードが広がっていると言います。

ロシア当局は一頃まで、自国のスポーツ界がドーピングに手を染めていたことを実質的に認めつつ、「他の国もやっているのに、ロシアだけが批判されるのは、欧米による政治的なロシア・バッシングだ」といった悪びれない態度をとっていました。しかし、さすがに昨年12月のWADA決定が効いたのか、今年に入ったあたりから、反省・善処モードへと舵を切りました。1月の内閣交代で、ドーピングの権化たるムトコ氏(スポーツ相を経て副首相を務めていた)がついに閣外に去ったのも、その表れだったかもしれません。今年2月に就任したユルチェンコ・ロシア陸連会長も、ロシア人とは思えないほど平身低頭に徹しており、ドーピング隠蔽の事実を認めた上で謝罪の意を表しています。

もちろん、ロシアが犯してきた違反行為は重大であり、CASの裁定でWADAの決定が覆るようなことがあるのかは、分かりません。それでも、世界がコロナウイルスによって麻痺してしまったことによって、皮肉にも、ロシアには時間的余裕が生じました。これからロシアがその時間を活かして、自国スポーツ界の浄化に最大限の誠意を示せば、ロシア選手団が東京五輪・パラリンピックにフル参加するようなことも、あながち不可能ではないかもしれません。

これだけの脅威に直面しても大国は自国ファースト

グローバリゼーションは、不可逆的に進展していく。そう信じていた人は、多いと思います。しかし、今回の新型コロナウイルスの問題ほど、そうした見通しに冷や水を浴びせたものはないでしょう。感染の世界的な拡大をもたらしたのは、グローバルな人の移動です。そして、危機に直面したことで、世界各国は軒並み、自国の国境を実質的に閉鎖するという古色蒼然とした方法により、この問題に対処しようとしています。それを背景に、米トランプ政権に代表される自国第一主義が、さらに幅を利かすようになってきました。

ロシアと欧米の関係は、2014年以降続いているウクライナ危機をめぐって、険悪化したままです。筆者はここ数年、「ロシアと欧米の関係は、いつになったら修復されるのか?」と尋ねられると、「それは、ロシアと欧米にとっての共通の敵が現れた時ではないか」と答えてきました。筆者は一時期、ISIL(自称「イスラム国」)がそうした共通の敵になるかもしれないと、注目していたことがありました。しかし、その後の中東情勢は、そうした期待が甘かったことを物語っています。

そうした中、国際社会が新たに直面した、新型コロナウイルスの災禍。ロシアと欧米どころか、全人類にとって共通の敵のはずです。しかし、ウイルスをめぐってアメリカと中国が非難を応酬していることから見ても、この問題に国際的な協調で立ち向かうというよりも、災厄すらも自国の国益(あるいはもっと狭い自政権の利益)のために利用しようという大国のエゴが優勢であるとの印象を拭えません。

残念ながら、ロシアも例外ではないようです。EUでは、西側諸国で新型コロナウイルスによるパニックを発生させるために、ロシアのメディアがフェイクニュースを拡散していると指摘。米国防総省も、ロシア政府系メディアによるフェイクニュース拡散を非難しています。

ただ、注目すべきことに、ロシアはパンデミックに苦しむイタリアに救援の手を差し伸べました。プーチン大統領は21日にイタリアのコンテ首相と電話会談した上で、医療スタッフおよび物資をイタリアに送ることを決定しています。ちなみに、イタリアは欧米諸国の中では、ロシアとの政治的関係が比較的良好な国です。

その一方で、先日、50万セットものコロナウイルス検査キットを、米空軍機がイタリアのブレシアという街から米メンフィスに輸送するという出来事がありました。米空軍では、「世界的な需要に対応するために国々が協調したという素晴らしい事例だ」と説明しているのですが、当然のことながら、感染に苦しむイタリアから検査キットを奪う暴挙だとする批判も上がったようです。

興味深いのは、ロシアのメディアが、プーチン政権の提供する対イタリア支援と、この米空軍機が検査キットを運び去った一件を、セットのようにして報じていることです。ロシアは、我が国の東日本大震災の際にも、迅速に手厚い支援を提供してくれた国であり、今回のイタリア救援も、主として善意にもとづいて提供されていると、信じたいものです。それでも、せっかく支援を提供する以上は、ロシアはそれを国内向けおよび世界向けのプロパガンダ題材として、最大限に利用しようとするでしょう。