韓国では「ロケ弁」にあたる言葉はあまり聞かない。よく聞くのは、「パプチャ(ご飯車)」。移動式の調理車両で、映画の出演者やスタッフは、できたてほやほやのあったかいご飯が食べられる。パプチャがない場合も、近くの食堂に入って食べることが多く、韓国ではお弁当はあまり好まれない。
そのパプチャ、ではないが、昨年の春、福岡でチャン・リュル監督が映画「福岡」を撮ると聞き、出演者やスタッフの「炊き出し」にボランティアで参加した。もちろん、記者として撮影の様子を取材するのも目的だったが、間近で出演者が食べているのを見られて、映画ファンとしても幸せな時間だった。
その時取材したのは、主演の3人、パク・ソダム、ユン・ジェムン、クォン・ヘヒョが福岡の街を歩いてきて古本屋に入っていくシーン。役名もそのまま俳優の名前、ソダム、ジェムン、ヘヒョだ。
韓国で古本屋を営むジェムンは、常連客ソダムの誘いで福岡へ旅に出る。そこには、ジェムンの大学時代の友人ヘヒョがいた。ジェムンとヘヒョはかつて同じ一人の女性に思いを寄せていたが、それが理由で疎遠になっていた。
という大まかなあらすじだけで、福岡の古本屋はどんな意味のシーンなのか気になったまま、1年半を過ごした。
「福岡」は今年9月、アジアフォーカス・福岡国際映画祭の開幕作として上映されたが、日韓関係悪化の影響で両国での劇場公開が難しくなっている、とも報じられた。ここ数ヶ月、確かに韓国での日本映画の劇場公開はかなり厳しい状況だ。「福岡」は日本映画ではないが、タイトルからして日本をイメージする作品ではある。福岡で「福岡」を見逃した私は「もしかして本当に見られないのでは?」と心配していたら、11月、ソウル独立映画祭の開幕作として上映され、やっと見られた。来年韓国での劇場公開もほぼ決まったという。
チャン監督は中国吉林省出身の朝鮮族だが、映画監督としては韓国を中心に活動してきた。興行面で大きく成功するような作品ではないが、人気俳優たちが好んで監督の作品に出るのは、独特の作家性を持つためだろう。チャン監督作は海外でも注目を浴びてきた。
主演の3人の名を聞いただけでも見たい映画だ。クォン・ヘヒョは日本でも「冬のソナタ」のキム次長役で知られるが、映画やドラマで「味のある役」で活躍を続けている。ユン・ジェムンも毎度個性あふれる役で魅了してくれるが、特に「福岡」のようなだらしない役がよく似合う。そしてパク・ソダムは、ポン・ジュノ監督の「パラサイト」での名演で今年一躍世界中で愛される女優となった。
そういえば、ユン・ジェムンとパク・ソダムはチャン監督の前作「群山:鵞鳥を咏う」にも出ていた。「群山」の韓国での公開時に監督にインタビューしたが、監督は「『福岡』は『群山』の続きのような作品」と話していた。
見てみると、「続きのような」という曖昧な表現になるのがよく分かる。パク・ソダムは「群山」で歌った日本語の歌を「福岡」でも歌い、「群山」で肌身離さず持っていた日本人形を、やはり「福岡」でも手にする。だからといって同一人物かというと、そうとも言えない。
さらに「群山」で何度か言及された詩人、尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩がやはり「福岡」にも登場する。尹東柱は日本統治下の朝鮮から日本へ留学したが、治安維持法違反の疑いで捕まり、福岡刑務所で獄死した。尹はもともとチャン監督と同じ中国吉林省の出身。監督が福岡に興味を持ったきっかけの一つは尹の存在もありそうだ。アジアフォーカス・福岡国際映画祭でたびたびチャン監督の作品を上映し、監督の来福の機会が多かったことも、福岡での映画作りにつながった。
ところでチャン監督の作品の魅力は、「空間」にある。私が撮影風景を取材した福岡の古本屋も、その空間を監督が気に入ったから、と聞いた。ワンカットワンカット、空間の撮り方に引き込まれる。
そして、監督の手にかかれば、空間の境界はあやふやになっていく。映画の冒頭で出てくるのは韓国の古本屋だったが、福岡の古本屋とも「つながっている」ようにも感じる。ここは福岡だけど韓国なのかもしれない。そうなると3人の存在自体があやふやになってくる。そんな不思議な感覚にとらわれるチャン監督作は、映画を「見る」というよりも「体験する」に近い。
日韓の境界があやふやな「福岡」のような映画が日韓関係悪化の影響を受けるのはアイロニーだ。日本の劇場でも「福岡」が体験できる日が来ることを願う。