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ベトナムに絵本を広げたい 親友の夢が私の夢に 目指せ100作品

アジアで働く 更新日: 公開日:
日本の絵本をベトナム語に翻訳し、低価格で販売する勝恵美さん(右)とレ・ティ・トゥ・ヒエンさん=鈴木暁子撮影

海外で働くことに興味はあるけれど、言葉や環境、治安など、ハードルがいっぱいありそう。どうやって乗り越えたらいい? 海外で働く醍醐味は? 展望は? アジア各国の現場で活躍する先人たちに、そのリアルを教えてもらおう。

ベトナムの首都ハノイの事務所の棚には絵本がずらりと並ぶ。「からすのパンやさん」「ばばばあちゃん」シリーズといったロングセラーから、「パンダなりきりたいそう」など近年の話題作まで、日本で愛されてきた絵本のベトナム語版だ。スタッフとともに日本の絵本をベトナム語に翻訳し、2017年からこれまでに40作品をベトナムに紹介してきた。3年後に計100作品を目指している。

「『小さいころあの絵本が好きだったんだ』と、いつかベトナムの人が話すのを聞くことが今の夢かな」

勝さんたちが制作・販売する日本の絵本は、厚紙などを使わない簡素なつくりだ。貧しい地域にも広がるようにと、1冊2万5千ドン(約117円)に抑えている。低価格でも制作の手は一切抜かない。手書きフォントの文字が使われていれば、雰囲気を生かすためにベトナムの小学1年生の子どもに手書きしてもらって作り上げるこだわりようだ。

「ごしごし、ぐりぐり、ぎゅーっ」といった日本語の擬音をどう表現するといいか、テング、ダルマといった単語をどう説明するか、毎回、四苦八苦しながら作業している。会社のスタッフは計15人。事務所ではハノイ暮らしで身につけたベトナム語で、てきぱきと指示をする。

ハノイで共同経営する会社の事務所に立つ勝恵美さん(右)とレ・ティ・トゥ・ヒエンさん=鈴木暁子撮影

じつは、ベトナムは日本のような「絵本文化」がある国ではない。国産の絵付きの本は歴史や伝説をもとにした内容が多く、絵本作家を名乗る人もわずかだ。家庭や保育園などで絵本の読み聞かせをすることが多い日本と違い、読み聞かせのやり方を知らない大人も多い。ベトナム語では絵付きの本は「チュエン(お話し)チャイン(絵)」と呼ばれるため、「絵本ってマンガのことでしょと言われたこともありました」。

ハノイに暮らして17年。絵本を仕事にするようになったのは2年前。きっかけは親友の一言だった。

「ベトナムに日本の絵本を広げたい」。親友のレ・ティ・トゥ・ヒエンさん(41)にこう提案された。5年前のことだ。日本語を学んだヒエンさんは、出産のお祝いに日本の友人から絵本をプレゼントされたのをきっかけに、絵本の世界に引き込まれた。

ヒエンさんが一番好きな絵本は「14ひきのあさごはん」。「生き生きとした登場人物たちに親しみを感じる。どの絵本も色が鮮やかで、想像力がわく。こんな本はベトナムにはない」と言う。帰国する日本人駐在員らが出品するバザーなどに顔を出しては日本の絵本を買い求め、独自に約100作品をベトナム語に翻訳。自分の子どもに読み聞かせていた。

でも、その提案を聞いて勝さんは思わず「そりゃ無理よー」と答えた。日本の出版社や絵本作家にコネクションもまったくない。それに、出版のライセンスを取得するには、ものすごいお金が必要なはずだ。

だがあきらめなかった。「今度は私が親友ヒエンの夢をかなえる番だ」と思ったからだ。ベトナムに来たばかりの頃、ひょんなことで日本語ができるヒエンさんと知り合いに。「うちでルームシェアをしない?」と声をかけられ、女性5人で共同生活をした。それからずっと助けられてきた。できることからと、まず一緒に、絵本をベトナムの子どもたちに読み聞かせる活動を始めることにした。

ハノイの国際交流基金の事務所を借り、子どもたちを集めた。学校もないような山奥の村まで出かけ、絵本を読み聞かせることもあった。子どもたちが目をキラキラさせて絵本に身を乗り出す姿を見ながら、勝さんははっとした。「私と同じだ」。

ベトナム語に翻訳した絵本を子どもたちに読み聞かせるモア・プロダクションのスタッフたち=勝恵美さん提供

勝さんが育ったのは岐阜県瑞浪市の山奥。学校まで歩いて1時間かかった。楽しみにしていのは、週末、1日数本しかないバスに乗って、母親と市の図書館に行くことだった。わくわくしながら、図書館用のバッグに何冊も本を借りて帰った。

一番好きだった絵本は「そらいろのたね」。どんどん大きくなるおうちに、森中の動物や子どもたちが集まってくる。「絵本は私の好奇心を育ててくれた。だからベトナムでいろんなことに挑戦できたんだと気がついた」

絵本業界は未知の世界。だが勇気を出し、絵本出版で知られる福音館書店に電話をかけた。東京の本社を訪ね、「ベトナムに絵本を普及させたい」という思いを説明した。ベトナムの絵本市場に関心を持つ出版社側の思いと合致し、思いがけず、「まず3冊出版してみましょう」ということになった。

この時、ベトナムの富裕層だけが手にとれるような高い絵本を作るのではなく、低価格の絵本にするアイデアをくれたのは、いつも相談にのってくれていた早稲田大名誉教授の坪井善明さんだ。本の価格が安くなれば、絵本作家に支払われる額も少なくなる。だが、多くの作家がベトナムに絵本を広げたい思いに理解を示してくれた。ベトナムに事務所がある日本企業に活動を紹介し、スポンサーを募集。集まった支援金を使って絵本の価格を抑えることができた。

2017年には、坪井さんや梅田邦夫駐ベトナム日本大使の協力もあり、当時の天皇陛下とともにハノイを訪問した美智子さまとの面会がかなった。「頑張って」と背中を押され、ベトナムでの絵本普及の取り組みが、さらに広く知られるきっかけになった。

日本の絵本に魅せられたヒエンさんと長男。「自分の子どもだけに読むのはもったいないと思った」=鈴木暁子

勝さんが初めてベトナムに来たのは、日本のCM制作会社で働いていた2000年のことだ。大学時代に覚えたカメラで撮影旅行をするため、まだ「掘っ立て小屋」のようだったハノイのノイバイ空港に降り立った。ところが、悪質なタクシーにつかまってお金をぼったくられ、旅のさなかに大事なカメラは盗まれ、北から南に鉄道で向かううち体調も悪くなり、さんざんな思いをした。

それでも、困ったところに「大丈夫か」と駆けつけ、病院につれて行ってくれたり、おせっかいを焼いてくれたりするのもベトナム人だった。「ベトナムのパワーに負けた敗北感にうちひしがれました。でも、思い通りにならない国、そしてとっても人間くさい国にいつのまにか魅せられてしまった」

2002年に再訪したとき、ここでしばらく働こうと決めた。もともと海外暮らしを経験したい思いもあり、東京暮らしで感じていた寂しさもあった。ベトナムでは人とのふれあいに、「自然の中で暮らした子ども時代みたいに、楽しく生きている感じがした」。

会社を辞めて通っていた写真の専門学校を休学し、ベトナムへ。半年だけのつもりで、ネットで求人募集を見つけたフリーペーパーを発行する企業の戸をたたき、系列旅行会社でアルバイトを始めた。その後、写真撮影ができる勝さんに声がかかり、希望がかなってフリーペーパーの編集部に異動すると、ハノイの話題を取材・編集する担当の仕事を任され、ハノイ事務所の開設から運営まで手がけた。

他にもやってみたいことが膨らんできた時、こう言ってくれたのは親友のヒエンさんだった。「私が必要でしょう。5050%の対等な関係で、2人でやれることをやっていこうよ」。フリーペーパーの編集者時代も同じ職場で働き、ともに歩いてきたヒエンさんが会社の共同経営者となり、2013年に独立した。

設立した「モア・プロダクション」で、広告代理業や人気のカフェ「安南パーラー」を運営するほか、写真家として各地で撮影会を開き、ベトナム航空の日本語版機内誌にコラムも書く。「自分がやりたい!ということを、深く考えず、直感的に日々やっていたら、ここまで来てしまった」。これが夢を実現させるヒントだ。

日本の石油会社とベトナムで実施している童話コンテスト。小学生の受賞者に拍手を送る勝恵美さんたち=鈴木暁子撮影

今年は60回以上絵本の読み聞かせの会を開いた。ベトナム人の読み聞かせボランティアも30人育成中だ。日本の石油会社が支援する童話コンテストも始まり、今年は小学生が作った「はっぱのちょうちょう」というお話が優秀賞に選ばれた。ベトナムにじわじわと、独自の絵本文化が育ち始めている。

ベトナムでの絵本普及に向けた取り組みが評価され、今年7月には日本の外務大臣表彰を受けた。まだ43歳。これから何をしたらいいのか、正直プレッシャーも感じている。「これからは自分のためだけじゃなく、ベトナムに恩返しをしていきたい」