ハノイではいま、あちこちで贈り物用の月餅(げっぺい)が売られている。今年は9月13日が旧暦の8月15日にあたる中秋節だからだ。日本ではお団子をお供えしてお月様をめでる、といったイメージがあるが、ベトナムでは中秋節といえば子どものための日だ。
ベトナムには「子どもの日」は別にある。1925年にジュネーブの会議で決まったという国際子どもの日(6月1日)がそれにあたる。でも、中秋節も子どもが楽しむための日、とみなされているようだ。ポコの通うインターナショナルスクールではこの時期になると、生徒が子ども用のアオザイを着て学校に行き、歌や踊りのショーを見て楽しむ。私たちの住むサービスアパートでも、毎年中秋節のお祭りが恒例イベントになっている。小さな庭に果物と飾りが用意され、たくさんのごちそうが住人の家族に振る舞われる。子どものために獅子舞やマジックが披露され、風船でつくった剣や動物、お菓子もたくさんもらえるので、みんな楽しみにしている。
ちなみに子ども用のアオザイは黄色や青などの派手な色のもので、ハノイ市街地で千円未満で買うことができる。けっこう「やわ」なつくりで、ポコは学校の催しで思い切り体を動かした後、びりびりに破れた状態で帰ってきたことがあった。
この時期になるとよく耳にするのが、「中秋節に子どものための催しを始めたのはホーおじさんだ」という話だ。ホーおじさん(Bac Ho)とはベトナムの「建国の父」と呼ばれる初代国家主席、ホー・チ・ミンのことだ。ベトナムでは、すべてのお札にその肖像が印刷されている。子どもを大事にしたことで知られるホーおじさんは、中秋の催しに、たくさんの子どもを招いたといわれる。先日もテレビを見ていたら、子どもによじのぼられ、長いひげをいじられてもにこにこ笑っている、かつてのホーおじさんの映像が放送されていた。今でも、学校にはホーおじさんの絵や写真が掲げられ、小学生は必ず「ホーおじさんの五つの教え」を学ぶ。すなわち、「国と人々を愛する、よく学びよく働く、団結して規律を守る、清潔にする、謙虚・誠実・勇敢に」だ。9月5日に新学期が始まったベトナムの学校の中庭では、集まった子どもたちに先生が「ホーおじさんの教えを守りましょう」と語りかけ、子どもたちは大きな声で「サンサン!(はい。用意はできています)」と答えていた。
ホー・チ・ミンは今年9月で、亡くなってからちょうど50年だ。ホーおじさんと呼ばれていることは知っていたが、逝去から50年もたつのに、本当に親しまれているのか、とベトナムに来るまでは思っていた。
だが、最近再び注目されている彼の「遺書」を読んだり、市民や研究者の話を聞いたりして、「親しみ」の理由がなんとなくわかった気がした。「社会主義ごりごり」のリーダーとして庶民を抑え込もうとした人ではなかったからだ。1945年に読み上げた独立宣言は、なんと「すべての人はみな平等な権利を持って生まれた…」「人は生まれながら自由であり……」という、米国の独立宣言とフランスの人権宣言の引用から始まる。亡くなる数年前から用意していたという遺書にも、例えばこう書いている。「党員は清廉さを保ち、指導者であり人々の忠実なしもべとしての価値を証明しなければならない」「私が亡くなっても大きな葬儀は避け、国民のお金と時間を無駄にしないでほしい」
若いころにフランスや米国、英国、アフリカなど世界中を旅し、グローバルな視点を持っていたという。この国では、党が市民の活動を抑え込もうとしたり、ネット規制を強めようとしたりする動きもある。かと思うと、お隣の中国から連想する社会主義とはまた違うゆるさもある。不思議の国ベトナム。そのあいまいさこそ、彼が残したものかもしれない。
「遺体は火葬して、遺灰を北部、中部、南部に埋めてほしい」と遺書に書き残した内容は守られず、ホーおじさんの遺体はソ連(当時)の技術で永久保存され、今もハノイの「ホーチミン廟(びょう)」で公開されている。これからベトナムがどこへ向かっていくのか、子どもたちが幸せであるようにと、今年の中秋節もどこからか見守っているだろうか。