気温40度。ハノイはいま暑い盛りだ。
夏が来て、ベトナムの多くの子どもたちと同様、我が家のポコも6月半ばから8月半ばまで幼稚園が夏休みになった。初夏だけのさわやかな味覚、生ライチを買いに、休みが取れた日には産地まで出かけたりはしたが、用事のない日のポコは暇をもてあましている。
「ててててでーんぞい! ててててでーんぞい!!」
ベトナム語で「旧正月(テト)がきたよ!」という、えらく季節はずれな歌を熱唱していたかと思えば、ひとりスーパー戦隊ごっこに没頭。「ぼくとたたかって」「プールにいこうよ」「牛乳ちょうだい」と、やかましい。夏休み前が懐かしい。幼稚園は本当にありがたいと思う。
ハノイでの仕事を前に、まず、日中ポコが通える幼稚園を探さなければならなかった。調べてみると、ベトナムでも選択肢はいろいろあった。
日本人が約6200人(2017年10月時点)暮らすハノイには、小・中学生向けの日本人学校のほかに、「さくら」「なかよし」などの名前がついた日本式幼稚園が現在5園ある。何カ所か見学させてもらうと、おそろいのシャツを着た日本人の園児が、日本語でおしゃべりしながら、のびのびと遊んでいる。まるで日本にいるような安心感だ。「お子さんはただでさえ外国で環境の大きな変化を体験します。せめて園では余計なストレスを感じさせずに過ごさせてあげたい」。日本人の園長先生の言葉に、その通りだとうなずいた。
ベトナム人の子どもが通うベトナム式の幼稚園に通うこともありえた。でも、検討することすらできなかった。幼稚園の評判も、どんなことをしているのかも、情報がほとんど得られなかったからだ。もし通っていたら、ポコは今ごろ、発音が難しいベトナム語をぺらぺら話し、ベトナムの習慣をばっちり身につけていたかもしれない。私にとっても、この国にどっぷりつかる足がかりになっただろうなあ、とは思う。だがいかんせん、私たち夫婦はベトナム語もベトナム暮らしも初心者。ハードルが高かった。
もう一つの選択肢が、公用語は英語で、幼稚園クラスももうけているインターナショナルスクールだった。ハノイには英国系、米国系、シンガポール系、ここと米ニューヨークにしかない国連国際学校などのインターナショナルスクールが少なくとも6校あり、幼稚園をふくめれば十数校にのぼる。家から歩いていける場所にも、たくさん学校があった。ベトナム式はあきらめたものの、せっかく家族で海外に暮らすこの機会に、日本とは違うものに触れてもよいのではないか。おとっつあんとそんなことを期待して、インターナショナルスクールを選んだ。
そんな親の理想に振り回されたのは、日本語しか話したことのない当時4歳のポコだった。インターナショナルスクールの幼稚園に初めて登園し、先生やクラスメートに英語で話しかけられたポコの衝撃は、どれほどだったろう。みんなが何を言っているのかわからない。初めて会う子ばかりでお友だちもいない。玄関にひっくりがえって、「いきたくないよー!」と大泣きする朝が数週間続いた。
そんなポコをなだめたり、だっこしたりして通わせたのは、おとっつあんだ。私はまたも出張で、大変な時期に家をほとんど留守にせざるを得なかった。午後になっても幼稚園で泣きつづけるポコに、当時の担任だった英国人男性の先生はiPhoneをさっと取り出し、「オトウサン スグクル」と、翻訳機能をつかってなぐさめてくれたという。
ポコが今も東京の保育園にいたなら、怖い思いをすることもなく、自分の言いたいことをお友だちに伝え、彼らしく毎日を過ごしていたに違いない。私がハノイにいる日、仕事の後にお迎えに行った。言いたいことをいえず、少し離れたところで様子をうかがっているポコを見ると、胸がキーンと痛んだ。
この頃、同じ幼稚園にいる日本人のお友だちにはとても助けられた。お母さんも一緒にご飯を食べに行ったり、遊びに行ったりしながら、ポコはだんだんとハノイでの毎日に慣れていった。ハノイに来て9カ月ほどたった2017年8月、ポコは、小学生になっても通える別のインターナショナルスクールに転園した。やはり最初は「えいごがわからないからいきたくないー」とぐずったが、新しい環境が気に入ったようで、すぐに慣れた。英語が母語ではないお友だちと一緒に、英語の補助指導を受け、少しずつ、英語でおしゃべりができるようになった。
「家で英語を勉強する必要はありません。むしろ日本語で話をしてください。母語を理解できてこそ、外国語の理解も進みます」と米国人の先生はいった。「私自身も移民で子どものころ英語に苦労したの」。そう励ましてくれた。
ポコ6歳のお誕生日会には、ベトナム、日本、オーストラリア、韓国、中国、カナダ、スウェーデン、米国、デンマーク、オーストリアなど、様々な国の出身の20人近いお友だちが遊びに来てくれた。ポコの好きなスーパー戦隊のケーキを用意し、みんなで食べた。たくさんもらったプレゼントの中で、スウェーデンのお友だちは、故郷の児童文学作家リンドグレーンの「長くつ下のピッピ」の本を贈ってくれた。ポコはいまこのお話に夢中だ。
サッカーワールドカップで日本とポーランドが対戦するというとき、どっちを応援する?と聞くと、ポコは、「ポーランドは○○の国だよ、ぼくは両方おうえんするんだ」と、クラスのお友だちの名前をあげて答えた。せっかく覚えた片言の英語もベトナム語も、いったん日本に帰ればすぐに忘れてしまうかもしれないけれど、ベトナムと、行ったことのないたくさんの国に対して覚えた親しみだけは、どうか忘れずに、大きくなってほしいなあ。