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満鉄の「負の歴史」が観光資源になるか?瀋陽鉄路陳列館と撫順の鉄道

鉄輪で行く中国・アジア
今年5月から一般公開が始まった瀋陽鉄路陳列館。旧満州国を駆けた南満州鉄道(満鉄)の花形列車あじあ号を牽引したパシナなど、日本にゆかりのある機関車も数多く展示されている=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影

展示されている車両で目をひくのは、満鉄あじあ号の客車を牽引した「パシナ」751号機と757号機。それぞれ鮮やかな青と緑に、ぽってりと塗られている。いずれも全長26メートル、車輪の直径は2メートルもある。最高時速130キロ、平均でも70~80キロ。日本国内の特急を上回る速度で、ロシアに近いハルビンから旧満州国の首都だった新京(現長春)をはさんで、大連までの約950キロを走らせていた。機関車に続いて、荷物車、三等車、食堂車、二等車、展望車が連なった。

「あじあ号」を牽引した蒸気機関車「パシナ」。いずれも1934年に製造され、車体は全長約26メートル、車輪は直径2メートルもある=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子
1935年に旧満鉄の工場で製造された展望車。「あじあ号の最後尾に連結される場合が多かった」と紹介されている。戦後は中国でビジネスクラスとして2008年まで活用された=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影

751号機は満鉄の大連工場で、757号機は日本の現川崎重工業の兵庫工場で、1934年に製造された。パシナ全12両のうち現存が確認されているのは、この2両だけである。「日本型蒸気機関車の横綱」(川崎重工業)と位置づけられ、流線形の車体は新幹線の源流ともいわれる。戦況の悪化で1943年に運行停止に追い込まれたが、戦後は80年代前半まで中国国鉄の旅客列車を率いて走っていた。

1970年代に「戦利品」である751号機のボイラー担当として乗務していた男性は回顧録で「美しい雄姿にひきつけられた」「走りは安定している。故障も少ない」と絶賛し、「中国が高速鉄道の時代に入っても忘れがたい思い出」(瀋陽鉄路陳列館講述的故事〈一〉)と語る。中国では「日本軍国主義の中国侵略の証」(中国鉄路総公司ホームページ)との責を負いながらも、「日本の(新幹線につながる)高速鉄道の第一世代の試験的列車」(同)と評価されている。

中国、日本、米国、チェコ、旧ソ連など8カ国で製造された蒸気機関車が並んでいる。手前の2両が「あじあ号」を牽引した車両「パシナ」=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影

2万平方メートル近い広大な展示場には、あじあ号以外にも、日本、米国、チェコ、旧ソ連、ドイツ、ルーマニア、ポーランド、そして中国製の蒸気機関車や客車、貨車がずらりと並ぶ。信号機や切符、中国国鉄の歴代の制服なども展示されている。奉天(現瀋陽)駅を発着していた旅客列車の時刻表が目にとまった。韓国・釜山行きの列車もある。日本語で「守れ信号 車も人も」「横断は右を見て左を見よ」などと標語が書かれている。

説明のパネルには、中国東北部を舞台とする鉄道にかかわる歴史が中国側の視点で語られている。日本との関係にとどまらない。清朝が1891年に敷いた鉄道から始まり、ロシア帝国が中国東北部に建設した東清鉄道、日本が退いた後の内戦下で1949年まで続いた国民党による鉄路の支配、1952年まで中国内の鉄路の一部を旧ソ連と共同管理させられていたこと、中国で「抗美援朝」と呼ばれる朝鮮戦争時に果たした鉄道の役割などについて、写真を交えて紹介されている。

1950年代初めの朝鮮戦争で爆破された鉄橋の修復工事に取り組む中国の人々。中国東北部は北朝鮮と接しているだけに、朝鮮戦争にまつわる展示が中国の他の鉄道博物館よりも多い=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影

長く待たれた一般公開

陳列館の前身にあたる蒸気機関車博物館が2003年に開館して以来、日本の鉄道ファンから一般公開が長く待たれていた。私は長年の念願がかなって2017年夏、日本中国文化交流協会の訪問団の一員として「鉄学者」でもある政治学者原武史さんらと見学する機会を得た(この時の記事は、こちら)。

そのおり、一般公開に向けて準備を進めている状況を陳列館幹部から聞いたにもかかわらず、実現までに2年近くかかった。思い返せば、1928年に中国東北部の実力者張作霖が日本の軍人に爆殺されたのも、満州事変の引き金となった31年の柳条湖事件も、瀋陽近くの鉄道が舞台だった。満鉄が日本の中国東北部支配の道具だったことは言うまでもない。「瀋陽鉄路陳列館講述的故事<一>」によると、中国人が大連駅長に初めて就いたのは1952年になってからのこと。満鉄時代は日本人が、戦後もしばらくロシア人が占めていたという。一般公開に手間取ったのは、中国が「恥辱」とする日本による侵略を初めとした複雑な歴史を抱える地域にあることと無縁ではなかろう。

周恩来首相(当時)が1952年、旧ソ連との共同管理が残っていた中国内の鉄道の権利がすべて中国に移されたことを告げるニュースの映像が流れていた。中国東北部の鉄道は、国境を接するロシアとの因縁も深い=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影

失敗作も展示

さて、60両あまりの展示車両のうち1両だけ、添えられた説明に「退役」ではなく「運行停止」と書かれた車両がある。いわばお務めを果たした「任期満了」ではなく、問題が発生してやむなく運行をとりやめざるをえなかった車両である。

中国が「純国産最高速列車」とうたった「中華の星」だ。白地の車両に屋根が水色。先頭車両の「顔」の部分はカモノハシのくちばしのようだ。

中国の純国産をうたって開発された「中華の星」。試験走行では最高時速321.5㌔を記録した。2005年夏から約1年間のみ、瀋陽―河北省山海関を運行していた=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影

万里の長城の東の方にある河北省山海関と瀋陽の間(約400キロ)を05年8月から1日一往復だけ走っていた。試験走行では最高時速321.5キロを出したはずなのに、実際の上限は160キロにとどめていた。私も05年11月に乗ってみたことがある。当時の乗車記録を引用する。

「地元でもあまり知られていなかった。全9両の車両に人影はまばらで、お客は数十人いたかどうかだった。車内は『中華の星』にふさわしく、通路には紅いじゅうたん、客車を隔てる自動ドアはガラス張りで高級感を漂わせる。国産ワインが並ぶミニバーや食堂車もある。もっともこのワインは飾りで、まだ販売していなかった。手持ちぶさたな車掌さんたちは座席で本を読んでいる」(『愛国経済 中国の全球化』著・吉岡桂子、2008年)

しかし、電気系統、信号システムなどでトラブルが相次ぎ、2006年には運行をとりやめざるをえなくなった。「中華の星」の失敗を通じて、中国は「純国産」では乗り越えられない技術の壁を確認する。日欧から技術を買って高速鉄道を開発する路線に大きくかじを切るきっかけになった。北京の鉄道博物館と並んで中国にはめずらしい「失敗作」の展示も、見どころの一つだと思う。

2019年8月現在の情報では、瀋陽鉄路陳列館は毎週火曜日―日曜日、午前9時―16時まで開いている。入場料は大人80元(約1200円)。1時間弱の有料ガイドは中国語のみ(人数に応じて値段が変わり、ふたりなら約800円)。

入り口わきに小さなお土産店があった。蒸気機関車の模型や図録、陳列館の名前入り急須、車両型鉛筆削りなどを売っていた。中国の高速鉄道の模型はあったが、なぜかパシナはない。私は展示車両が描かれたトランプを買った。1箱5元(約80円)とお得感がある。パシナ751機は「スペードの8」だったが、757機はない。最近まで大連に保存されていたので、追加が間に合わなかったのだろう。鉄道グッズは総じて地味で、カフェや食堂もなく、商売っ気を感じさせない。ただ、広い館内を歩くと、のどが渇くので飲み物は持参した方がよいと思う。

瀋陽鉄路陳列館の土産物店で買ったトランプ(5元=約80円)。満鉄あじあ号を牽引したパシナ751機も登場する=2019年7月4日、遼寧省瀋陽市、吉岡桂子撮影

炭鉱の町、お隣の撫順市へ

瀋陽市を訪ねたついでに、隣接する撫順市にも出かけてみた。巨大な露天掘りで知られる炭鉱都市である。私にとっては、戦前に中国へ渡った祖父の仕事の関係で母がうまれた町でもある。

「石炭の都」撫順周辺では前漢の時代から露天掘りが始まったとされる。アジア最大の露天掘り炭鉱とされる「西露天鉱」の周囲には貨物列車が走っている=2019年7月5日、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影

車で一時間ほど走ると、まだ背の低いトウモロコシ畑の向こうに、林立するマンションやオフィスビルが見えてきた。14年ぶりの再訪だが、かつての畑まで街が広がったようだ。中心部に近づくと、炭鉱の町は変わらず空気が悪い。霧がかかったように白っぽく、すぐにのどが痛くなった。

中国国鉄の撫順駅の前を通った。古い駅舎らしきものは残っていたが、使われていない。近くに高架の鉄道に対応した駅舎が新設されていた。架かっていたはずの古びた木造の陸橋も見当たらない。前回は市内を走る列車にも乗った。ただ、残念なことに10年ほど前に旅客の運行は停止されてしまっていた。

撫順駅の旧駅舎。高架用の新しい駅舎が近くに設置され、展示場の看板が出ていたが、中はがらんとしていた=2019年7月5日、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影

撫順の鉄道は、20世紀初めにロシアが敷設したが、日露戦争を経て日本が炭鉱の資源とともに奪い、拡張した。満鉄傘下で電化され、炭鉱や製油工場からの輸送を担った。戦後は一時、国民党の管理を経て、中華人民共和国の成立とともに撫順砿務局鉄路運輸部(現撫順砿業集団運輸部)が運営する。

地元紙遼寧日報ネット版によると、貨物に限らず、全盛期の1980年代半ばには162の客車が走り、毎日平均15万人、市内の旅客輸送の6~8割を占めた。中国では「通勤電車」のさきがけといってよい存在である。軌道は1435ミリの標準軌で、総延長300キロを越え、駅も数十カ所あった。

撫順市内を走っていた電車。2010年までに旅客は運行停止になった。日本をルーツとする車両を含めて様々な種類が混在して走っていただけに、日本のファンには残念がられている=2005年7月、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影

長く日本をルーツとする車両も活用されていた。この車両の歴史については「撫順電鉄 撫順砿業集団運輸部―満鉄ジテとその一族」(著・岡田健太郎、2017年)が写真も豊富で非常に詳しい。日本にも根強いファンがいたのだが、バスなど自動車輸送におされてしだいに赤字に陥る。貨物輸送を残し、旅客は運行を取りやめた。

ところが、ここにきて観光客の誘致のため、露天掘りの炭鉱などをめぐる旅客列車を復活させる構想が浮上している。今年に入って試験運転をしたそうだ。露天掘り炭鉱の観覧台で出会った地元の夫婦も「具体的な日程は聞いていないが、遠くないはずだ」と教えてくれた。

だが、すんなりとは進みそうにない。朝日新聞は2006年3月から瀋陽支局をおいている。現地で取材を続ける第5代支局長の平井良和記者は「5月に地元政府の幹部が視察に訪れた時には観光向けに整備した車両が実際に走り、地元メディアも『試運転』と報道したが、その後、担当部局は『何も決まっていない。これから研究していくというだけだ』と一転して腰が重そうな反応。そう簡単ではなさそうだ」と話している。瀋陽鉄路陳列館が一般公開に至るまでの経緯を振り返ると、炭鉱観光の列車も気長に待つしかない。

もし、観光列車が走ったら乗りに行く外国人客は、ほとんどが日本人だろう。瀋陽の陳列館もそうだった。懐旧の世代と現代のテツたちと。中国東北の鉄道は、重い歴史を背負い、今に生きる。