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斎藤優奈さん「外国人の私だから見つけ出せる イタリア伝統のすばらしさ」

行け!イタリアの風にのって ~若手音楽家の手紙~ 更新日: 公開日:
トリノ近郊の城で開かれたオペラガラコンサートで伴奏する斎藤優奈さん=2018年10月、ファビオ・アルノーネ氏撮影、斎藤さん提供

ミラノのスカラ座、ベネチアのフェニーチェ劇場、ナポリのサン・カルロ劇場……。イタリア国内には、世界的に有名な歌劇場から地方都市のものまで含め、数十の歌劇場があると言われます。シーズンを通じて公演がある大きな劇場のほか、音楽祭やオペラ研究所の修了公演などを行っているところもあります。日本に比べるとオペラ公演数は多いですが、コレペティートルが仕事を得るのは、非常に難しいのが現状です。

コレペティートルが終身雇用で劇場の専属となるための採用試験が行われるのは、ごくまれです。短期契約で働く場合も、オーディションに合格し「順位表リスト」の上位に入る必要があります。さらにこのオーディションの応募条件には「イタリア国籍を持っているかEU市民であること」となっていることが多く、私のような場合は、こうした合格者だけでは足りない時などになって初めて、チャンスが巡ってくるのです。

トリノ近郊の城で開かれたオペラガラコンサートで伴奏する斎藤優奈さん(中央)=2018年10月、ファビオ・アルノーネ氏撮影、斎藤さん提供

私は2017年にスカラ座のオペラ研修所を修了し、イタリアでプロとしてやっていくのかどうかの選択に迫られました。イタリアでは歌劇場に専属の仕事は少なく、フリーランスとして、一つの演目を数回公演するといった「プロダクション」ごとに契約するのが普通です。研修生だった時は日々の授業や仕事に追われていましたが、いざ卒業すると生活リズムが不安定になり、1年間ぐらいスランプに陥りました。オーディションに応募できたとしても、大きな劇場であれば応募者は100人を超えます。しかもオーディションに呼んでもらえるのはそのうち20~30人。ドイツでは、研修所を修了するまではオーディションに呼んでもらえることもありませんでした。

実際、研修所が終わったら帰国する、という人も多くいます。でも私がそうしなかったのは、なんとしても本場でオペラの仕事を続けたかったから。この国で勉強を続け、プロの自営業者としてやっていこうと心に決めました。

ミラノ・スカラ座の研修所で、世界的なオペラ歌手のレナート・ブルゾン氏とそのマスタークラスに参加した歌手たち。左端が斎藤優奈さん=2015年11月、斎藤さん提供

オペラはイタリアでも、歌舞伎のような伝統芸能とみられています。子供が学校でオペラについて学んだり、誰でもベルディの「椿姫」のメロディーを知っていたり。日本よりも少し距離が近いかもしれません。若い人も歌劇場に招待すれば喜んで来てくれますし、劇場がおしゃれなところとして認識されているように思います。

でも、イタリア人は自分たちの国の伝統文化のすばらしさをあまり自覚していないのではないでしょうか。外国人の私は、その美しさを、作品に尊敬の念を持って読み込むことから見つけ出すことができます。私は「イタリア人にはならない」と心に決めていて、こうした仕事は、ある意味日本人だからこそ得意な部分かもしれません。それをイタリア人の歌手や裏方の人々と共有して、一つのプロダクションを作り上げていく。コレペティとして常に成長できる、今の仕事がとても好きです。

チロル音楽祭のスタッフやオーケストラの団員とクリスマスパーティー。左端が斎藤優奈さん=2018年12月、斎藤さん提供

さて、私は伝統芸能に外国人として関わっているわけですが、イタリアでも外国人が仕事で活躍することを快く思わない人がいます。イタリアも、かつては多くの国に渡った移民の国で、移民に寛容だったはずなのですが、昨年、ポピュリズム政党が政権を握り、一定の支持を得ていると言うことは、「移民のせいで仕事が奪われている」といった反感が街の空気としてあるということです。もちろん私が仕事を続けていられるのは、周りが仲間として受け入れてくれるからで、日本での経験や、生活についてとても興味を持ってくれます。

日本人は評判が良くて、私が日本人と分かると手のひらを返したように愛想がよくなるのも、私は好きではありません。人種で人を判断されると、外に出て人に会わずに、引きこもりたくなります。特に若者の間には、仕事や生活への危機感があるから移民に対して反感が起こるのでしょうが、私から見れば、「情報を自分から探して判断している人」が少ないように思います。政府は、移民という目につきやすい存在を「敵」にすることで、この国の中の様々な問題に対して意識をそらせたいのかな、と思ってしまいます。

オペラはヨーロッパの芸術で、いくら勉強してもイタリア語が母語になるわけでもなければ、イタリア人の血を手に入れられるわけでもありません。日本人であるというコンプレックスがあるかもしれませんが、そこは愛と情熱でカバーして、ずぶとく生きて行こうと思います。