総人口(約1300万人)の半分以上に当たるおよそ700万人が緊急の人道支援を必要とし、約228万人が近隣の国々に難民として逃れ、これとは別に約187万人が国内避難民と化し、もはや国家崩壊の危機にある──と書けば、「一体、どこの国の話?」と思う読者もいるのではないだろうか。
これはアフリカの南スーダン共和国の現在の状況である。2017年5月まで陸上自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた国だ。
これほど深刻な人道危機が起きているにもかかわらず、その危機が現在の日本で人々に知られているとは到底思えない。なぜか。一つ考えられるのは、陸自が撤収した途端に、新聞もテレビも南スーダンについて、全くと言っていいほど報道しなくなったことである。
■日報問題で注目されたが
2011年7月に独立した南スーダンは、新政府の統治能力が極めて脆弱だったため、独立と同時に国連PKO「国連南スーダン派遣団(UNMISS)」が展開した。最大時で世界のおよそ70カ国から約1万9000人の軍人、警察官、専門家らが派遣され、その活動は今も続いている。しかし、治安の安定を目指す国際社会の取り組みにもかかわらず、2013年12月には政府内の権力闘争が武力衝突へ発展し、以後は首都ジュバを含む国内各所で戦闘が断続的に発生している。日本政府は2012年1月に国連PKOへ陸自を派遣し、その活動は2017年5月の撤収まで約5年半に及んだ。
日ごろアフリカのことに特段の関心を持たない人であっても、南スーダンには陸自が派遣されていたので、その国名を見聞きしたことのある人は少なくないだろう。
メディアの報道の傾向について研究している大阪大学大学院のヴァージル・ホーキンス准教授が中心となって運営しているウェブサイト「Global News View(GNV)」による興味深い調査結果がある。
GNVが2016年の1年間に『朝日新聞』の国際ニュース面に掲載された全ての記事の中から、アフリカの59の国と地域の名が見出しに登場した記事計109件を抽出し、国・地域別に分類したところ、最も多く登場した国は南スーダンの28.2%で、エジプト21.4%、リビア13.6%、チュニジア6.8%、ケニア3.9%、南アフリカ共和国3.9%──と続いた。
陸自が派遣されていた2016年時点では、『朝日新聞』紙上でアフリカの国と地域の名前が登場した記事全体の4分の1以上が南スーダンに関する報道だったのである。
ところが2017年5月に陸自が撤収すると、状況は一変する。
筆者は『朝日新聞』『読売新聞』『毎日新聞』の3紙の報道についてデータベースを用いて調べてみた。分析対象は3紙の東京本社発行版の朝・夕刊。期間は自衛隊撤収前後の2017年3月~9月である。南スーダンの政情、内戦、日本政府と国際社会の対応に関連した記事を探すため、『朝日新聞』と『毎日新聞』については1面、総合面、政治面、経済面、国際面、社会面を検索対象とし、スポーツニュースなどは除外する。『読売新聞』はデータベースの条件設定方式が他の2紙と異なるため、すべての面に掲載された記事を対象に検索した。以上の条件設定で「南スーダン」を含む記事の数を検索したところ、次のような結果が出た。
表を見ると、陸自が撤収した2017年5月以降も多数の記事が掲載されており、撤収を境として日本メディアの南スーダンへの関心が低下したようには見えないかもしれない。
しかし、問題は記事の数ではなく内容である。陸自撤収後の6月、7月の3紙の記事内容を精査すると、南スーダンの現地情勢に関する報道は皆無に近く、ほぼ全ての記事が陸自の「日報問題」に関連した記事なのだ。
■メディアがアフリカを取り上げる「例外」とは
南スーダンの首都ジュバでは、2016年7月7日~12日に激しい戦闘があった。ジャーナリストの情報公開請求に対し、防衛省は当初「日報を破棄された」としていたが、その後、日報が保管されていたことが発覚した。陸自が組織的に日報の存在を隠蔽していた疑いが強まり、2017年7月28日に当時の稲田朋美防衛大臣、黒江哲郎事務次官、岡部俊哉陸上幕僚長が引責辞任した。これがいわゆる日報問題である。
陸自撤収後の2017年7月に南スーダンに関する多数の記事が3紙に掲載されたのは、稲田大臣の辞任に関する記事が多かったからであり、南スーダン内戦の人道危機が報道されたからではない。だから、日報問題の余韻が残る8月こそ3紙ともにそこそこの数の記事が掲載されたが、9月になると、記事は激減した。
そして上記の表にはないが、筆者が2018年の南スーダンに関する報道を調べてみたところ、同国の人道危機は深刻化の一途をたどっているにもかかわらず、各紙とも壊滅的な状況であった。『朝日新聞』の場合、同国の状況を伝えた記事は年間で4本であった。
日報問題は組織的な情報隠蔽であり、メディアに問題を追及する社会的責務があることは諭をまたない。だが、日本のメディアは南スーダン内戦を、もっぱら自衛隊派遣と日報問題という国内問題の延長として捉え、報道してきた。その結果、陸自の撤収、閣僚の引責辞任という政治イベントの終了とともに、南スーダンという国と紛争そのものへの関心を失っていったのだろう。
筆者は南スーダン内戦に関する報道だけでなく、日本の新聞とテレビが1990年代以降のアフリカや中東の紛争について、何をどれくらい報じてきたかを詳細に調べたことがある。
そこで分かったことは、70年以上昔の「過去」の戦争体験を語り継ぐことに今も膨大なエネルギーを投入し続けている日本のメディアが、大勢の人々が命を落としている世界各地の「現在進行形の戦争」については、「一部の例外」を除いて相対的に低い関心しか示さないという事実であった。とりわけテレビ報道に、その傾向が著しかった。
「一部の例外」とは、「自衛隊派遣」と「米国の関与」である。とりわけ、日本のメディアは、米国が部隊派遣や和平仲介などの形で関わっている紛争については熱心に報道するが、米国が足抜けした途端に報道が激減する。イラク戦争もアフガニスタン戦争もシリア内戦も、米国が本腰を入れている間は社を挙げて特ダネ競争を繰り広げたが、米国の関与が低下した途端に現場の特派員任せになり、記事も減っていった。
紙の新聞には紙面の広さという物理的な制約があり、テレビのニュースには時間的な制約がある。世界各地で起きている森羅万象の出来事を全て報道することは不可能であり、メディアはニュースに優先順位を付けざるを得ない。それはインターネットによる情報流通が主流となった現在でも変わらない。
しかし、メディアによるニュースの優先順位の付け方がこのままでよいのか、という問題はあるだろう。南スーダンの総人口の半分以上が人道危機に瀕している中、自衛隊派遣と日報問題に集中する報道の仕方はメディアの「内向き志向」を、米国の関与を重視する報道の仕方は「米国偏重」を象徴してはいないだろうか。