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海外赴任を命じられ、一度は辞表を出した その先に開けた最上級の皮革との出合い

私の海外サバイバル
栗山勝徳さん(栗山さん提供)

私のON

エチオピアの首都、アディスアベバの郊外で革製品の工場の責任者を務めています。昨年4月に前任者から引き継ぎました。エチオピア産の羊の皮革は、世界でも最上級の品質を誇ります。その皮革を使ったシャツやジャケット、バッグなどを生産しています。

ヒロキアジスの工場内。職人がエチオピア産の羊革を丁寧に縫い上げていく(栗山さん提供)

もともとは、自営業者として皮革製品の生産と卸の事業を営んでいました。しかし、2000年ごろには日本での生産が難しくなってしまった。そんなとき、皮革品の小売りを手がけていたいまの会社に声をかけられ、新たに生産部門を立ち上げるために入社しました。当時、小売り側には「仕入れ先がなくなってしまう」という危機感がありました。

入社後、日本で独自製品の生産に乗り出しました。しかし日本で縫製業を続けるのは、もはや難しくなっていました。続けたくても、職人さんが亡くなったり、「高齢なので、もうやめさせて欲しい」と言ってきたりしていたのです。他社の海外工場への生産委託も試みましたが、品質が安定せず、難しかった。最終的に海外に自社工場をつくるしかないという話になり、05年、新しい工場を立ち上げるために、中国に赴任しました。

海外赴任は初めてです。希望したわけでもありません。実は「中国に行ってくれ」と言われたときに、辞表を出しました。中国なんて行ったこともありませんでしたし、中国語もできません。でも「どうしても人がいないから、立ち上げだけでも」と頼まれて、赴任したんです。それから結局、辞めることなく中国工場の代表を続け、17年からはアフリカ工場の責任者も兼任するようになってエチオピアに移りました。

工場は2013年開設。アジスアベバ郊外の雑居ビルに入居している(栗山さん提供)

なぜ辞めなかったのか。ひとつには、工場立ち上げにいろいろな苦労があったからです。海外で事業をしようと思うと、生産面のトラブルだけではなく、現地政府との交渉や、経理の調整など、いろんな問題が起こります。そういうものに一つひとつ対応しているうちに、あっという間に年月が経ってしまった気がします。

でも、なにより大きかったのは、工場や職人たちの成長を見られたことだと思います。中国では、まず応募してきてくれた2人に、縫製の技術を伝えました。そのうちの1人は工場長として、現場を仕切る存在になりました。なによりうれしかったのは、彼らが私の意図をくみ取って、期待以上の品質の製品に仕上げてくることがあったことです。そんな時にできあがった製品を見ていると彼らにも愛情がわいてきます。当初は社員と同じ寮に住んでいましたし、昼食と夕食は工場で彼らと共に食べていましたので、そういう面からも親しみがわいてきたということがありました。

中国での経験を生かすため、前任者の後を継ぐ形でエチオピアに赴任したのが17年です。エチオピア工場は13年に立ち上げたのですが、職人のトレーニングに時間がかかっていました。日本に製品を送っても、検品ではねられることが多かった。ですから私の仕事は、中国での経験を生かして工場の品質を上げていくことです。

こちらに来てみて感じたのは「みんな、まじめだな」ということです。

エチオピア工場の生産技術は、中国に比べればまだまだです。もちろんインフラの差もあります。たとえば、こちらでは丸1日電気が来なくてミシンが動かせない、といったことが起こります。1カ月平均で、稼働率は70%ぐらいでしょうか。中国では電気が止まるといったトラブルはほぼありませんでした。人材面でも、中国では職業訓練校などで縫製を学んだ職人たちも多かったのですが、こちらでは「普通の人よりはミシンを触ったことがある」ぐらいの人もいます。

でも基本的に手先が器用な人が多いし、ちゃんと努力してくれます。そこでまずは個々人に合わせて、苦手なところを集中的にトレーニングしていきました。得意なところは人によって違うからです。

約20人の職人が働く。縫製の腕も上がってきた(栗山さん提供)

中国でもそうだったのですが、実は彼らの大きな問題は、何がいい縫製なのかを知らないことなんです。縫製と言えば、部品と部品を縫い合わせればそれで終わりと思われているようなところがあります。だからまずは何がいい縫製なのか、なぜ検品でダメだと言われたのかをきちんと伝えることが重要です。

何がいいものかが分かるようになれば、自分自身が、一番成長を実感できるようになります。私は話をするのが苦手なので、もっぱら仕事の技術の話を通じて社員とコミュニケーションしますが、私のアドバイスが成長につながれば、そこに信頼関係が生まれます。その積み重ねで、工場のレベルが上がっていく。この1年で、ほぼ問題のない製品を送り出せるようになったと思っています。

もちろんこれからは品質だけでなく、速さも問われることになります。これも中国との比較になってしまいますが、中国の職人たちは貪欲です。1枚でも多く縫えれば、それで報酬が上がるということに気がつくと、1枚、さらに1枚とより速く縫っていく。こちらでは、まだまだのんびりしている人も多い。でも、そうしたことに気づいて、成長していく人たちもいます。

エチオピアの羊革を使ったヒロキのジャケット=左古将規撮影

不安もないではありません。エチオピア経済は、いま急速に成長しています。ITなどの分野が伸びています。こうなってくると、縫製業はまた若者に敬遠されるかもしれない。少なくとも、都市部での事業は難しくなるかもしれません。

それでも、地方部も含めて目を配れば、縫製業に参入してくれる若者もいると思います。なによりエチオピアの羊の皮革の品質は、世界一。その皮革を、これまではそのまま輸出することが多かったのですが、製品化して輸出できるようになれば、国に落ちるお金は何倍にもなります。私たちにとっても、コスト面などで非常に有利ですし、こちらでのビジネスの可能性は大きいと思っています。

私のOFF

中国と最も違うのは、食事でしょうか。中国でもエチオピアでも単身赴任なのですが、中国では日本料理店もありましたし、なにより中華料理も日本人にとって食べやすい料理のひとつですから、毎日食べても困りません。中国では平日は昼も夜も工場の食堂で食べていました。

こちらでは「インジェラ」という料理が主食です。「テフ」というイネ科の植物の粉を練って、さらに発酵させて焼いたものです。ナンのような感じですが、発酵させているので独特の酸味があります。これに、炭火焼きにした牛肉や羊肉、あるいは豆を煮込んだものなどを載せて、手で食べます。私も時々食べますが、酸味のためか、毎日食べるとなるとつらいものです。こちらの日本人に聞いてみると、同じような反応が多いので、日本人にとってなじみの味でないのは間違いありません。

エチオピアのインジェラ=2016年、左古将規撮影

普段は、基本的に自炊です。しょうゆやみりんといった調味料を日本から持って行っています。肉や野菜を炒めたり、カレーをつくったりしますし、昼食用にお弁当もつくっています。ただ肉も、こちらは硬いですね。外国人用のスーパーなどに行くと、外国人向けの柔らかい肉を売っていますので、そういうところに買い出しに行きます。野菜は地元のスーパーで調達します。

夜はバーにも出かけます。英語が通じることが多いので、気さくに話しかけてくる人がいたり、顔見知りができたりということもあります。治安については、もちろん周囲に気を配ってはいますが、思っていたほど心配なできごとはありません。他のアフリカ諸国に比べるとかなり安全な方ではないかと思います。

普段の娯楽はあまりないのですが、楽しみは、年に何度かあるお祭りです。こちらはエチオピア正教という独特の宗教ですので、私にはなじみのないお祭りばかり。たとえば1月のティムカット祭は古い言い伝えを再現するお祭りで、あちこちで独特の衣装を着た地元の人たちのパレードのような光景が見られます。

毎年1月に行われるティムカット祭の様子(栗山さん提供)

こちらに知り合いもできて、観光ではなかなか見られない一面を見に行くことができるのも楽しみですね。現地語のアムハラ語も、勉強中。まだあいさつ程度ですが、アムハラ語で話しかけるとものすごく喜ばれますし、地元の人との距離が一気に近くなった気がします。学ぶ人も少なく、学ぶための教科書があまりないのですが、少しずつ、習得していきたいと思っています。

毎年9月に開かれる「マスカル祭」は、キリストが十字架を発見したことを祝う宗教行事。夕刻になると、人々がろうそくを手に広場に集まる(栗山さん提供)