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ロシアのラグビーは空軍・空挺軍仕込み! W杯開幕戦の日本の対戦相手を知ろう

迷宮ロシアをさまよう
編隊飛行をするロシア空軍。心なしか、ラグビーの陣形に似ているような気がしないでもない(撮影:服部倫卓)

半年後に迫ったラグビー・ワールドカップ

今年日本で開催されるラグビーワールドカップ(W杯)は、9月20日開幕ですので、ちょうどあと半年に迫りました。同大会の開幕戦で日本代表は、ロシア代表を迎え撃つことになります(@東京スタジアム)。

日本が初戦に勝って弾みをつけるためにも、まず「敵を知る」ことが大事でしょう。筆者はラグビーについては門外漢ではありますが、来たる日本VSロシアの一戦に向け、ロシアのラグビー事情につき調べてみましたので、今回はそれをリポートしてみたいと思います。

ロシアではマイナースポーツ

まずは、ロシア語版ウィキペディアの「ロシアにおけるラグビー」というページに依拠しながら、ロシアにおけるラグビーの小史を綴ってみることにします。

ロシアで初めてラグビーの試合が行われたのは、帝政ロシア時代の1886年で、スコットランド人のホッパーという人物の尽力によるものでした。意外にも、サッカーの1892年より早かったそうです。しかし、観客が暴徒化する恐れがあるとの理由で、官憲はホッパー氏のラグビー普及活動を禁止し、以降ロシアではラグビーよりもサッカーの方が主流になってゆきます。

1917年に社会主義のロシア革命が起き、外国人や多くの貴族たちがロシアを逃れました。興味深いのは、亡命貴族の一人であるA.オボレンスキー公のエピソードであり、彼はイングランドでラグビー選手となり、イングランド代表にまで登り詰めました。「空飛ぶ公爵」との異名で、ファンに愛されたそうです。

社会主義革命後の初めてのラグビーの試合は、1923年に行われました。対戦した2つのアマチュアチームは、M.コズロフという同じ人物が監督を務めていましたが、実はこの人物はサッカーソ連代表チームの初代監督でした。ソ連初期のラグビーでは、選手も他の競技と掛け持ちをしているケースが多かったようです。

首都モスクワでは1934年からラグビーのリーグ戦が始まり、1936年にはソ連の全国リーグも開幕しました。しかし、第二次大戦と戦後の復興期には、ソ連ではラグビーの試合は一切行われませんでした。一説には、独裁者スターリンが、ラグビーとアイスホッケーという2つのパワー系スポーツを天秤にかけて後者を選んだなどとも言われますが、真相は不明です。

スターリン死後にラグビーが解禁されると、いくつかのクラブチームが生まれ、1959年に試合が再開されました。本格的なソ連全国リーグ戦が定期開催されるようになったのは、1968年です。ちなみに、この時代にソ連でのラグビー普及に活躍したのが、民族的にはグルジア(ジョージア)人のG.ムレラシビリ氏であり、そうしたこともあって、グルジアはその後、ロシア以上のラグビーどころになってゆきます。

社会主義のソ連邦は1991年に崩壊し、15の独立国へと分裂しました。その最大国であるロシアでは、長らくラグビーの低迷が続きます。自由な体制となり、かつてのスターリン時代のようにラグビーが禁止されたりといったことはなくなりましたけど、その代わりソ連崩壊後の政治・経済的混乱がラグビーにも打撃となりました。多くのロシア人ラガーマンが、より良い待遇を求めて外国に渡り、ロシア国内のラグビーは空洞化してしまいました。この時代で最も有名なのは、イングランドやフランスなどでプレーしたI.ミロノフであり、同選手はロシア代表最多の111キャップを誇ります。

2000年にV.プーチン氏が大統領に就任し、国内の政治・経済を立て直したことで、ようやくロシアのラグビーも安定を取り戻しました。

空軍および空挺軍が基盤に

世界的に、軍や治安部隊がラグビー文化の基盤になることが少なくないようです。実はロシアも然りで、ロシア・ラグビーの発展には空軍および空挺軍(パラシュート部隊)が大きな役割を果たしてきました。

皆さんは、ソ連の旅客機で、「イリューシン」という名前を聞いたことがあるでしょうか。S.イリューシンという高名な航空機設計者にちなんで付けられたものですが、その息子のV.イリューシンも有名なソ連軍の戦闘機テストパイロットでした。1967年から1991年までの長きにわたりソ連ラグビー連盟の会長を務めていたのは、そのV.イリューシン少将です。

興味深いのは、1964年からラグビーがソ連空挺軍の必須スポーツ競技になったという点です。一説によると、空挺軍のV.マルゲロフ将軍が、「孤独の報酬」というイギリスのドラマ映画のラグビーシーンを観て、「これぞパラシュート隊員に必要な競技だ!」とひらめいたのだとか。真偽のほどはさておき、これ以降、空挺部隊から多数のラガーマンが輩出されるようになりました。

ソ連~ロシアのラグビーリーグ戦で、17回という最多のタイトルを誇るのが、「VVAモスクワ郊外」というクラブチームです。このチームは、「ガガーリン記念空軍アカデミー」を基盤に設立されました。前出のI.ミロノフ選手も、VVAモスクワ郊外のレジェンドです。

シベリアのクラスノヤルスクがラグビー王国

伝統的に、ソ連~ロシアのラグビーで発展の中心となってきたのが、モスクワ州モニノ市でした。これは、上述の「VVAモスクワ郊外」が、モニノ市に所在しているからに他なりません。しかし、最近になって、モスクワ州モニノ市の優位は揺らいでいるようです。

ロシアのシンクタンクが、ロシアに80以上ある地域を対象に、球技ランキングというものを発表しています。最新のランキングの中から、ラグビーの指数を抽出して作成したのが、上のグラフです。ロシアで最もラグビーが強く盛んなのは、東シベリアのクラスノヤルスク地方だという結果が出ています。2位は、ちょっと名前が似ていますが、ロシア南部のクラスノダル地方です。

目下ロシアきってのラグビーどころとなっているクラスノヤルスクでは、「エニセイSTM」、「クラスヌィ・ヤル」という二大クラブがしのぎを削っています。クラスノヤルスクのようなシベリアの酷寒の地が、屋外競技であるラグビーの中心地になっているのは不思議ですが、育成年代のトレーニング拠点が同地に置かれていることに起因しているのかもしれません。

日本はロシアに5勝1敗

ロシア代表がラグビーW杯に出場したのは、2011年のニュージーランド大会が初めてでした。今回の日本大会への出場が、2度目となります。ロシアはW杯出場を賭けた2018年のヨーロピアンカップで4位に留まったのですが、上位のルーマニア、スペインが出場資格のない選手にプレーさせたことで失格となり、ロシアにW杯出場権が回ってきたものです。

最新の世界ランキングによれば、日本代表が11位、ロシア代表が20位であり、日本の方が格上と言えます。これまでの対戦成績を見ても、日本の5勝1敗であり、相性も悪くありません。ちなみに、ロシア代表が喫した歴史上最大の大敗は日本相手であり、2010年11月6日に秩父宮で3:75という大差で日本に敗れたものでした。

ただ、2018年11月24日に日本とロシアがテストマッチを行った際には、日本はフィジカルを前面に出すロシアの圧力に押されて大苦戦し、どうにか最終的に32:27で逆転勝ちを収めました。ロシア代表は、純粋にロシア人プレーヤーだけで構成されており、世界的なスター選手の類は見当たりませんが、心身ともに空軍・空挺軍仕込み(?)で鍛えられていますので、決して侮れない相手です。

実を言いますと、ロシアでは15人制の通常のラグビーよりも、7人制のラグビーの方が盛んです。そして、2013年6月には、ロシアは7人制ラグビーのW杯のホスト国となりました。この大会でロシアは上位進出こそ逃しましたが、最後の試合で29:5と日本に圧勝し、「ボウル」を獲得して有終の美を飾りました。7人制はかなりルールが異なるとはいえ、やはりロシア・ラグビーを甘く見たら痛い目に会うかもしれません。