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君主になれない私たち、そこに平等がある マルセル・ゴーシェに聞く「君主制の役割」

World Now 更新日: 公開日:
マルセル・ゴーシェ=マチユー・ボンノム氏撮影

――著書「代表制の政治哲学」では、立法権と行政権を監視する「第3権力」の必要性を強調していますね。

19世紀の歴史を見ると、王権とたもとを分かって共和政を発展させたフランスや米国はむしろ例外です。多くの国では立憲君主制の中で民主主義が育まれた。その後、民主主義が優位に立つ中で、君主制は国家の歴史的連続性を体現する象徴的存在となり、中立的な第3権力の地位を占めるに至りました。

マルセル・ゴーシェ「代表制の政治哲学」(原題は「権力の革命 主権、民衆、代表 1789~1799年)

立憲君主制の下だと、選挙で選ばれた人物は政権を担えても、歴史的正統性を持つ存在にはなり得ません。つまり、市民の代表が絶対的権力を振るって暴走する恐れを、君主が抑え込んでいる。君主の存在は、当選者が相対的な権力しか持ち得ないことを人々に知らしめます。

――君主の存在は、人間一人ひとりが平等である原則に反しませんか。

確かに君主は不平等な存在です。市民がなろうと思ってもなれませんからね。ただ、不平等な君主が存在することで、市民は自分たちが『君主になれない』点で平等だと悟る。不平等な君主が市民の平等意識を保障する。だから、欧州では北欧をはじめとする立憲君主制の国ほど市民が平等なのです。

――第3権力というと、通常は司法権を思い浮かべますが。

司法は不可欠な権力ですが、被選挙者の正統性に疑問を投げかけるだけの政治的な力を持ち得ません。選挙で生まれた権力の上には立てないのです。それを可能にするのが中立的な第3権力です。

――世襲の君主制で、愚かな王様が登場する恐れはありませんか。

大いにあります(笑)。危険な人も、無能な人も、王になり得る。そのような偶然性を受け入れることこそが世襲制の根源的な原則です。もしバカが君主になったら摂政を置くなりの対策を考えればいい。君主制の原則を問い直す必要はありません。

マルセル・ゴーシェ=マチユー・ボンノム氏撮影

――しかし、フランスは革命で王の首をはねてしまいましたね。

そう。だからもう、なすすべがない。フランス人にとって、国王はギロチンにかけるために存在していたのです。国王がいなくなると、今度は大統領を選挙の度に血祭りに上げる。オランド前大統領が再選立候補できなかったのは、いわばギロチンにかけられたのです。フランスという共和国では、選挙で選ばれた人が極めて強い正統性を持つ一方、期待外れだった場合は市民の不満を一身に集める。そのような不安定さも、君主がいないことに起因しています。

EU首脳会議出席後の記者会見に臨むフランス大統領(当時)のフランソワ・オランド。再選を果たせず、この後まもなく退任した=2017年4月29日、ブリュッセル、国末憲人撮影

――君主制は今後どうなるでしょうか。

君主制のよりどころとなる国家がグローバル世界の中でどうなるか次第でしょう。生き延びるか、消え去るか。前者の場合、君主制は存続するどころか、集団アイデンティティーのよりどころとして機能を強めるかも知れない。後者の場合、君主制はもはや、民俗文化の痕跡に過ぎなくなる。英バッキンガム宮殿の衛兵交代のように、中身のない観光資源と化すでしょう。どちらかというと、後者の可能性が強いと思います。

Marcel Gauchet 1946年生まれ。ポスト構造主義後を代表する哲学者、歴史家。フランス社会科学高等研究院名誉研究部長。邦訳書に「代表制の政治哲学」「民主主義と宗教」など。