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政治も映画も反骨貫く 元政治家の監督が撮るジョージア映画『葡萄畑に帰ろう』

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
ジョージア映画『葡萄畑に帰ろう』より

『葡萄畑に帰ろう』は、ジョージアの架空の省「国内避難民追い出し省」の大臣ギオルギ(ニカ・タヴァゼ)が主人公。最新機能を備えた椅子を大臣室に導入して悦に入っていると、国内の避難民を追い出す措置をとるよう首相から命じられ、居留地へ足を運ぶ。だが避難民や支援者バトゥ(ヴィタリ・ハザラゼ)から猛抗議を受け、大きく報じられもして、続く選挙で与党は大敗。ギオルギはバトゥに大臣の座を明け渡すこととなり、椅子を残して大臣室を去る。そこへ、かねて待遇に不満だったギオルギ邸の使用人夫婦レナ(ナナ・ショニア)とアルメン(ヴァノ・ゴギティゼ)や、プライド高き義理の姉マグダ(ニネリ・チャンクヴェタゼ)の思惑が入り乱れて、さらなる災難がギオルギに次々と降りかかってゆく。

ジョージア映画『葡萄畑に帰ろう』より

今作は政治家にとっての椅子=権力の座がモチーフ。シェンゲラヤ監督は「ジョージアに限らず、どこの国でも政治家は権力闘争をする。中世の人々は剣で争ったが、今は少し洗練されて、選挙を通じて権力を争っている。この映画ではあくまで、そうしたどの国でも起こりうる普遍的な状況を描いた」と語りつつ、「ジョージアの政治状況を背景にしている」とも言った。実際、ジョージアの歴代大統領は、同国初の女性大統領となるズラビシュヴィリ(66)に16日にバトンを渡すマルグヴェラシヴィリ大統領(49)こそ任期満了とともに退任するものの、それまでは初代大統領をはじめ、末路は失脚や謎の死、亡命などの連続だった。

ジョージアの波乱の政治史は、シェンゲラヤ監督が政治に身を投じた時期と大きく重なる。

『葡萄畑に帰ろう』のエルダル・シェンゲラヤ監督=本人提供

シェンゲラヤ監督は1989年、首都トビリシでソ連からの独立を叫ぶデモ隊に加わり、「トビリシ事件」と呼ばれるソ連軍の流血の弾圧を撮影して密かに国外に持ち出し、世界に知らしめたという。

1990年にはジョージア最高会議の議員に選出。1991年のグルジア独立宣言後は、初代大統領ガムサフルディアが強権政治をふるうと反対勢力に加わり、ジョージア出身の元ソ連外相シェワルナゼが創設し率いた国家評議会や政党「市民連合」に参加。シェワルナゼが大統領に就任した1995年からは国会副議長を務めたが、シェワルナゼ政権の汚職や選挙不正が明るみに出ると、抗議する野党や民衆とともに反体制側に回った。シェワルナゼに解任されそうになりながらも踏みとどまり、シェワルナゼを退陣に追い込んだ2003年の無血の「バラ革命」を支持した。常に反骨精神を貫いて見える政治活動は、続いて大統領となった反ロ・親米欧路線のサアカシュヴィリ(50)の政権初期、2006年まで続けた。

ジョージア映画『葡萄畑に帰ろう』より

シェンゲラヤ監督は「私の天職は映画監督で、政治家として働いた時もずっと、映画を撮りたいと思っていた。でも政治活動をしている間はとても映画を作れる状況ではなかった。政治家をやめて自由になり、昔と比べて国内の状況も総じてよくなり、映画の世界にまた戻って、いろんな条件が整った今回やっと、ずっと作りたかった映画を撮ることができた」と語る。そもそも政治活動に携わったのも、「当時はジョージア国内が非常に混乱し、私だけではなく知識人たちはみんな政治にかかわらざるを得なかった」ためだという。

結果的にシェンゲラヤ監督は、政治家として権力の「椅子」から転げ落ちた人たちを間近で見たり、自身も「椅子」が奪われそうになったりした経験を重ねた。バラ革命をともに進めたサアカシュヴィリ元大統領も任期中に強権政治ぶりが批判され、シェンゲラヤ監督の政界引退後に失脚、ウクライナに亡命するも拘束されたりしている。サアカシュヴィリの最近の状況について、シェンゲラヤ監督は「まるでこの映画のワンシーンのようだ」と表現している。

『葡萄畑に帰ろう』のエルダル・シェンゲラヤ監督=本人提供

今作に出てくる「国内避難民追い出し省」は架空の省だが、避難民の存在は現実だ。ジョージアからの分離独立を求めたアブハジアや南オセチアでジョージア軍とロシア軍が衝突、2008年にロシアが両地域の独立を一方的に承認したことで、両地域から逃れてきた避難民を想定している。シェンゲラヤ監督は「避難民の人たちは実際、国内にまだたくさんいる。ただ、映画とは逆に、政府は避難民を追い出したりはせず、彼らを支援する省庁をもうけている。架空の省を通して描きたかったのは、まったく不条理なあり得ない状況が起きたらどうなるかということだ」

とはいえ、欧州評議会の2018年4月の調査報告によると、政府支援の恩恵を受ける避難民がいる一方で、相当数の避難民が劣悪な住環境にあり、就職や教育、医療も十分に受けられていないという。ロシアが両地域の境界を「国境」として固定化させようとする中、故郷に戻れず現地の親族たちと分断された状況もなお続く。シェンゲラヤ監督は「私は政治から退いた身なのでなかなか言いにくいが」と前置きしつつ、ジョージア政府の過去の強硬姿勢への批判を込めるかのように言った。「アブハジアにも南オセチアにも、自治を最大限に認める形でジョージアに戻ってもらうよう、平和的に協議・交渉を進めていかなければならない。あくまでも夢で、現実には非常に難しいことだが」

ジョージア映画『葡萄畑に帰ろう』より

ジョージアはロシアが両地域の独立を承認した数日後に、ロシアとの外交関係断絶を発表した。旧ソ連から独立した国としては初のロシアとの断交だった。だが経済的には、一時廃止された両国間の直行便も飛ぶようになり、ギネス世界記録に世界最古と認定されたジョージア産ワインのロシア禁輸も解除、多くのロシア人観光客がジョージアを訪れてもいる。

さらに2018年4月には、この『葡萄畑に帰ろう』が、ロシアのアカデミー賞といわれるニカ賞で外国語映画賞を受賞した。授賞式に臨んだシェンゲラヤ監督は語る。「政治の世界で関係が断絶していても、芸術・文化的なつながりは簡単には消えない。ジョージア同様にロシアにも、両国間に友情や友好関係が必要だと考える人がいる、それが今回のロシアによる授賞で示された」

『葡萄畑に帰ろう』で2018年4月、ロシアのアカデミー賞にあたるニカ賞で外国語映画を受賞したエルダル・シェンゲラヤ監督=本人提供

シェンゲラヤ監督は、父は「ジョージア映画の父」と呼ばれる故ニコロズ・シェンゲラヤ監督、母は国民的俳優だった故ナト・ヴァチナゼと映画一家に育ち、弟は『放浪の画家 ピロスマニ』(1969年)などで世界的に名を上げたギオルギ・シェンゲラヤ監督(81)だ。自身はモスクワの全ソ国立映画大学(当時)で映画を学び、ジョージアで映画製作を重ね、官僚社会を痛烈に批判した『青い山――本当らしくない本当の話』(1983年)で全ソビエト映画祭グランプリを受賞。1976年から2012年までジョージア映画人同盟の代表を務め、旧ソ連時代の1986年には国家映画委員会(ゴスキノ)の検閲を公然と批判し、映画の自由と権利を唱えている。

つまりシェンゲラヤ監督は、映画の世界でも反骨の人として知られてきた。「当時は検閲があって自由に撮れず、我々映画監督たちは、検閲をいかにかいくぐるかに力を入れていた。今は自由に映画を撮ることができ、それはすばらしいことだ」としたうえで、ジョージア政府の文化政策にも批判の矛先を向けた。「自由になったら今度は、資金集めにとても苦労している。ジョージア国立映画センターが資金支援をしているが、予算が非常に少ない。だから最近の若い映画監督の間では、欧州から資金を得るのが一つの流れになっているが、ジョージア政府が彼らをもっと支援しなければならない」

ジョージア映画『葡萄畑に帰ろう』より