「シンギュラリティー」という名の亡霊
テクノロジー企業のトップらが実現すると訴えているシンギュラリティー(技術的特異点)に、私は懐疑的だ。
古くから形を変えて現れては消えるこの亡霊のような仮説が、今また議論になっていることにはいくつかの背景がある。一つは、私たちが今、テクノロジーがあらゆる問題を解決してくれるかのような考えを抱いていること。二つ目は、テクノロジーが進歩すれば、やがて開発者の手をも離れて技術そのものが物事を自ら決められるようになるという考え方があること。最後に、グーグルを始めとするインターネット界の巨人たちが経済的な野心だけでなく、国家に対抗しようとする政治的な野望を抱いていることだ。
巨大テクノロジー企業の支配を恐れよ
AI(人工知能)は人間に取って代わるのではなく、人間のパートナーになる存在だ。本当に恐れるべきなのはシンギュラリティーよりも、巨大テクノロジー企業が世界を支配する力を手に入れることだろう。インターネットの普及に伴い、巨大テクノロジー企業は国を超えた影響力を持ち始めた。かつて、情報の入手や発信には権力が必要だったが、今はネットを通じてあらゆる情報を誰でも発信できる。
このまま社会のテクノロジー化が進めば、世界に国民国家以外の複数の権力が共存するようになる可能性がある。テクノロジー企業がその権力のひとつを握るかもしれない。私が最も恐れるのは、ネットが特定の組織に支配され、民主的なコントロールがきかなくなることだ。
携帯電話が登場した頃は、テクノロジーがもたらす物質的な変化をまだ感じ取れたが、ネットは私たちやモノの内部を変えてきた。1980年代と現代の自動車を比べると、外見こそ似ているが、内部はもはや別物だ。コンピューターがいくつも搭載され、故障してもボンネットを開けてどうにかできるようなものではない。
人間はどうか。友情や評判というのは何世紀も前から大切だったが、今はソーシャルメディアの「いいね!」やシェアで数値化された。ネットやソーシャルメディアを通じて個人のデータや嗜好が把握できるようになり、私生活も何をどこまで保護するか考え直す必要が出てきている。信用という概念をめぐっても、仮想通貨の登場で、既存の中央銀行や国の法律に対する考え方が変わりつつある。
政治に目を向けると、あらゆる情報を手に入れられるようになって広がったのは、民主主義ではなく、むしろ権威主義だった。情報がありすぎて、真実を見分けられなくなっている。
今考えるべきことは、シンギュラリティーのような集団信仰ではなく、テクノロジーの進化で構造が大きく変わる世界をどう生きるかということだ。私たちは、個人や社会、国との関係を作り直す必要に迫られている。(聞き手・宋光祐)
*
Jean-Gabriel Ganascia 1955年生まれ。専門はコンピューター・サイエンス。2016年9月から、フランス国立科学研究センター倫理委員長を務める。近年はIT社会と倫理や政治哲学など、分野をまたぐ問題に関心を広げている。