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女性1人が全役こなす ベトナムのテレビ声優事情

子連れで特派員@ベトナム 更新日: 公開日:
外部のスタジオで声優の仕事をするオアインさん=ハノイ、鈴木暁子撮影

「ぼく千葉に住みたいなあ」。ある日曜日、ポコがしみじみとつぶやいた。ベトナムのハノイにいながら、なぜ千葉?と問いたくなるが、理由はわかっている。この数カ月、ポコは1980年代の千葉を舞台にした日本テレビ系列のドラマ「今日から俺は!!」(現在は終了)にはまってきたからだ。日曜の朝から「いつ始まるの」「あと何分?」と聞いてくる。「ちかった思いを忘れちゃいないぜー」と、番組で流れた嶋大輔の往年のヒット曲「男の勲章」も歌えるようになった。ポコはハノイで日本のヤンキー文化に目覚めた。

日本のテレビドラマ「今日から俺は!!」を楽しむポコ=鈴木暁子撮影

日本の人気ドラマを楽しめるのは、私たちが暮らすサービスアパートに日本番組をオンタイムで見られる機器がついているからだ。地上波、BSはもちろん、WOWOWやスターチャンネルから時代劇専門チャンネルまで、日本では契約していなかった有料チャンネルも見放題。日本人が多く住むサービスアパートで広く使われている。

ハノイの日系企業に勤める男性が、「同僚がこのままではアカンと思いたち、ついにサービスを解約した」と話していた。気持ちはわかる。たまの休日にテレビの前で寝転んでいたりすると、果てしなく日本の番組を見続けてしまうからだ。そうなるともはや自分はどこにいて、何をしているのかわからなくなる。

最近、頼んでもいないのに、朝日新聞ハノイ支局にも同様の機器が取り付けられた。今まで、支局にいるときはベトナム国営放送VTVなど現地の番組か、NHK、CNNやBBCぐらいしか見なかった。今はチャンネルをいじれば「表参道で話題の屋台村と最新カフェ」を紹介する日本の情報番組がやっている……あーダメダメ、あぶないあぶない。

朝日新聞の支局でも日本の番組が見放題に。青く光る小型機器が設置されたためだ。テレビは旧式で画面がぶれている=鈴木暁子撮影

グローバル化というのは、自分がどこにいようとも、限りなくドメスティック(内向き)でいられる時代のことなのかもしれない。私がフィリピンに10カ月滞在した96年、日本で何が起きているのかまったくわからなかった。帰国すると日本でヒットした曲やドラマの話についていけなかった。かわりに、フィリピンでは現地のテレビやラジオの音ばかり耳に入るから、人気歌手や俳優のこともわかるし、サンミゲルビールのCMソングも歌えた。いまはテレビも多チャンネル化し、情報も嗜好(しこう)も多様化している。ベトナムに住みながらも、なかなか現地の「流行」をとらえることは難しい。

というわけで、ベトナムのテレビ番組にはいまだにうとい私だが、ハノイへ来てすぐ「えっ、何これ」と驚いたことがある。テレビで韓国ドラマや海外アニメのベトナム語版を見ると、たった1人の女性声優が、すべての役のせりふを演じていることが多いのだ。

例えば米カートゥーンネットワークのアニメ「We Bare Bears」(邦題「ぼくらベアベアーズ」)の場合、登場する白、茶色、パンダの3匹の熊をはじめ、出演キャラクターすべてのせりふを、1人のベトナム人女性声優が淡々と、あまり起伏のない調子で話す。もしも日本のアニメ「ルパン三世」がベトナムで放送されたらどうなるのか。ルパンの「フージコちゃ~ん」という声も、次元も、五エ門も、不二子も、銭形警部もみな同じトーンの女性の声で演じられるということになる。うーん、見てみたい。

このVTVのやり方は「ボイスオーバー」という手法だそうだ。俳優の口の動きに声を完全にシンクロさせず、元の音が少し聞こえるように残したまま、現地の言葉でせりふをのせていく。日本でよく見る、完全に役の口の動きに合わせ、感情表現を盛り込んで声を演じる、いわゆる吹き替えは「ダビング」というまた別の手法なのだという。

ベトナムではなぜこのボイスオーバーが主流なのだろう。VTVの声優ブー・ティ・キム・オアインさん(51)を訪ねた。もともとアナウンサーとして入社し、90年代後半から海外ドラマや映画の声優を担当してきた。現在は2人の女性同僚とともに声優をしている。

VTVのテレビ番組で声優を務めるオアインさん=ハノイ、鈴木暁子撮影

「コストの問題です」とオアインさん。1人の声優が担当すれば、ドラマ1回あたりの支払いは25万ドン(千数百円)で済む。でも複数の声優が担当する吹き替えになるとコストは数万円規模にふくらんでしまう。「声優に求められるのは声の美しさ。それをクリアする人材がいないのも課題です」とも。そういえば、カンボジアでもボイスポーバーの番組を目にしたことがあるし、「10年前にハンガリーで見た」という人もいる。発展の途中にある国の中には、まだこのボイスオーバーが一般的なところも多いのかもしれない。

韓国ドラマにどうやって声をのせていくか、VTVと民間のオフィスで、オアインさんたちが実際に作業をしているところを特別に見せていただいた。

ボイスオーバーの仕事をするベトナム国営放送の声優

同じベトナムでも、南部ホーチミンでは吹き替え専門の声優グループが活動している。オアインさんによれば、ベトナム戦争が終わった1975年以降、ホーチミンの中国系住民が、中国圏のカンフー映画をベトナム語に吹き替えたのをきっかけに根付いたという。

だが北部のハノイでは、吹き替えが根付かなかったという。VTVは過去にハノイで、海外ドラマ2本を吹き替えで放送したことがあった。そのうちの一つが、日本で80年代に放送された「おしん」だ。ベトナムでも大ヒットし、今でも家政婦を「osin(オシン)」と呼ぶほど定着した。だがオアインさんは「『おしん』がヒットしたのは吹き替えだったからではなく、作品に力があったから。視聴者の意見を聞くと、感情を込めすぎる吹き替えの表現の仕方を、ハノイの人は嫌う傾向があるんです」。数年前、吹き替え番組の制作会社がハノイ市内にできたが、市民に受け入れられず撤退したそうだ。

オアインさんは、「ベトナムがさらに豊かになっていけば、ハノイのテレビ番組でもいずれ専門の声優による吹き替えが定着していくと思います」という。ただ今のところ、「声優になりたい」と志願してVTVに入社する人はいないという。

ハノイにある国営放送VTVの高層の社屋=鈴木暁子撮影

日本で声優というと、コンサートを開く人気スターもおり、若者の憧れの職種だ。昨年9月、声優の麻生美代子さんが亡くなったことを報じた朝日新聞の記事には、長く声を担当したアニメ「サザエさん」のフネさんのイラストが添えられていた。「○○役の声優」の訃報(ふほう)に、年齢を問わず多くの国民が胸を痛め、作品を懐かしむ。声優という職業がこれほど敬愛される日本こそ、世界でもめずらしい国なのかもしれない。

ベトナムにもこんな「声優カルチャー」が根付くだろうか。予兆はある。2011年に、国際交流基金ベトナム日本文化交流センターが、日本の声優の斎賀みつきさんをハノイに招いたことがあった。そのトーク&ミニライブを含む「日本アニメーション映画祭」のチケットを無料配布したところ、初日だけで1,000人以上の若者が行列を作ったという。

ベトナムで10代、20代の人と話すと、「日本のアニメが大好きだから日本語の勉強を始めました」という人がかなりいる。日本には現在約29万人のベトナム人が暮らす。声優という仕事に興味を持ち、日本の学校に通って、ベトナムや日本で声優として活躍する人もそのうちきっと出てくる、と私は想像をふくらませている。