ロシアでも秋は食欲の季節?
ロシアは寒冷な国ですので、季節の感覚が日本とはだいぶ異なります。日本では、「実りの秋」、「食欲の秋」という言葉があるとおり、秋は農作物の収穫や、旬の食べ物などと結び付いてイメージされます。それに対しロシアでは、主食の小麦の収穫が8月の早い時期にほとんど終わってしまうこともあり、秋=豊穣の季節という意識は、日本よりは希薄かと思われます。
ただ、モスクワなどでは、9月終り頃から10月前半くらいまでが紅葉の季節で、「ザラターヤ・オーセニ(黄金の秋)」と呼ばれています。そして、ロシアでは毎年10月にモスクワで、まさに「黄金の秋」という名前の農業・食品産業展示会が開催されています。食品展示会を「黄金の秋」と銘打ち、紅葉の季節にぶつけてくるということは、ロシアにも「実りの秋」、「食欲の秋」という感覚がそれなりにあるのかもしれません。
今年もモスクワの展示会場で「黄金の秋」が開催され、筆者もこのイベントを視察してきましたので、今回はこれについてレポートしてみたいと思います。
初めての体験:臭気漂う展示会場
改めて整理すれば、農業・食品産業展示会「ザラターヤ・オーセニ(黄金の秋)」は、ロシア農業省の主催により毎年10月にモスクワで開催されており、今年は記念すべき第20回だったそうです。ちなみに、ロシアでは職業別の記念日というものが公的に制定されていますが、10月の第2日曜日が「農業および食品産業労働者の日」となっており、「黄金の秋」はそれに合わせて開催されています。今年も、10月10日から13日にかけて、モスクワの展示会場VDNKhでこのイベントが開かれました。
さて、私は最終日の10月13日に「黄金の秋」を視察したのですが、パビリオンに入ったとたん、ただならぬ臭気を感じました。会場を見渡すと、おびただしい数の家畜たちがケージに入れられて展示されているではありませんか。牛がメインでしたが、羊、山羊、馬、鶏、ラクダまでいました。豚こそ見られませんでしたが、屋内にこれだけ家畜がいれば、強烈な臭いがするはずです。そして、家畜コーナーの客層を見ると、親子連れが多く、完全に動物園の雰囲気。
私もロシアの見本市や展示会をかなり数多く見てきましたが、これほどの変わり種には出会ったことがありません。まるでムツゴロウ動物王国に迷い込んだような気分でした。
展示会というよりスーパーマーケット
動物小屋のようなフロアから、別のフロアに移動すると、そこはロシアの各地域や企業が自分のところの食品を展示するパビリオンになっていました。ただし、企業の数は非常に少なく、主役は地域の行政でした。ロシアには州などの地域が80余り存在するのですが、おそらく半分くらいは「黄金の秋」に出展していたのではないでしょうか。
ここでは、主な客層はご婦人たちであり、様々な地域の展示を眺めるだけでなく、熱心に買い求めてもいました。展示会というよりは、安売り時間帯の食品スーパーにでも出かけたような雰囲気です。私が行ったのは最終日だったので、出展者側も展示品を売り切ろうと値引き販売していたのかもしれません。
私は「黄金の秋」は、いわゆるBtoBの企業同士の取引に主眼がある見本市だと想像していたのですが、実際にはかなり違っていました。動物コーナーは親子連れ、食品展示コーナーは主婦層が中心であり、ちょっと拍子抜けでした。
ご当地グルメが存在しないロシアの辛さ
「黄金の秋」におけるロシア各地域の展示を眺めていると、ちょっと物足りなさも感じます。というのも、ロシアは「ご当地グルメ」というものが基本的に存在しない国なのです。もともと地方ごとの文化差があまりない上に、社会主義時代に食品や料理が全国的に画一化されてしまいました。市場経済に移行した今日でも、日本と違って、地元の名物を生み出そうという企業努力はほとんど見られません。「黄金の秋」の各地域の展示を見ても、どこも同じような肉製品、乳製品などが並んでおり、ずっと見ていると飽きてきます。
その点、海に面した地域は有利です。ロシアでは内陸の海なし地域が多い中で、海に面した地域には海産物という武器があります。その代表格が、ロシア最強の食材とも言えるキャビアを擁するアストラハン州でしょう。アストラハン州は、ボルガ川がカスピ海に注ぐ位置にあり、チョウザメの生息域ですので、キャビアが名産になっているのです(上掲写真参照)。これを出してくるのは、ちょっと反則という気もしますね。
また、ロシアの中でも、少数民族の自治地域には、独自の民族文化・食文化があります。今回の「黄金の秋」でも、たとえばアルタイ共和国のブースなどは、大人気を博していました。アルタイ人はシベリアに分布するアジア系の民族です。下の写真に見るように、遊牧民が使う移動式テントのゲルを利用した展示も楽しいですし、森や草原で採れる自然食品の類も大いに来場者の関心を惹いていました。
日本の食文化を紹介
日本の農林水産省は、「グローバル・フードバリューチェーン」という戦略を展開しており、日本が世界各国の農業・食品産業において様々な形で介在することを目指しています。そして、ロシアもその検討対象地域の一つとなっています。その取り組みの一環として、農水省の支援により、「黄金の秋」では日本ブースが開設されました。今回、私が「黄金の秋」を視察しようと思い立ったきっかけも、日本ブースの存在を知ったからでした。
私が「黄金の秋」の会場を見て回った限りでは、外国勢としては、日本ブースとオランダ・ブースがあるだけでした。上述のように、ロシア諸地域の展示はマンネリ気味だっただけに、東洋の文化を伝える日本ブースは異彩を放っていました。普段、ロシアの見本市を見学しに行くと、欧米や中国などに圧倒され、日本は影が薄いことが多いだけに、「黄金の秋」でひとり日本が目立っているのを見て、嬉しく思いました。
日本ブースは、若干内容的に偏っていた印象もありましたが、日本茶、和菓子、北海道の物産などを紹介するもので、非常に多くのロシア人で賑わっていました。また、日本の食文化を紹介するプレゼンテーションが随時開催されていたようで、意義深い試みだと感じました。下に見るのは福寿園による日本茶についてのレクチャーの様子です(福寿園はすでにロシア第2の都市であるサンクトペテルブルグに店舗を開設している)。
ミラトルグ社の牛肉王国
「黄金の秋」では地域の行政による展示が主流で、食品メーカーによる出展はあまり多くありませんでした。そうした中、企業で最も目立っていたのは、食肉の生産者として成長著しいミラトルグ社です。
ロシアの牛肉と言えば、以前は硬くて筋張っており、煮込み料理などには使えるものの、ステーキにすると悲惨というのが常識でした。しかし、ここ数年、ミラトルグ社などが外国からアンガス種の肉牛を導入し、ロシア西部の牧場で高級牛肉を生産するビジネスを拡大しています。その結果、ロシア市場には美味な国産牛肉が出回るようになり、モスクワなどではちょっとしたステーキハウスのブームが起きているようです。
ちなみに、JALのモスクワ~東京便のビジネスクラスでは、2016年から機内食でミラトルグ社の牛肉を使ったステーキを供するようになったとのことで、それだけ品質も確かなのでしょう。つい先日には、ミラトルグ社がロシア国内で「和牛」の生産にも乗り出したというニュースが伝えられました。ひょっとしたら、日本がロシアから和牛を輸入する日もいずれ来るかもしれません。今回の「黄金の秋」では、ミラトルグ社のブースに「農地買います」という案内が出ており(下の写真参照)、飽くなき事業拡大の意欲をうかがわせていました。
ミラトルグ社の牛肉の「高級」振りを痛感
10月のモスクワ現地調査では、私は日本人の学者グループに加わり、ロシアの経済専門家に聞き取り調査を行いました。我々日本人7人は、お世話になった3人のロシア人に、夕食を奢ることになりました。選んだのはモスクワの繁華街にある「ルィブィ・ニェット」というステーキハウスで(店名は「魚はない」という意味)、くだんのミラトルグ社の生産した高級牛肉を味わえる話題の店です。
肉はかなり多くの種類がありましたが、我々は店員に勧められるがままに、3種類ほどをチョイス。ミディアムレアに焼かれた熟成肉は、食べやすく大変に美味であり、ロシアで硬いゴムのようなステーキと格闘する時代は完全に過去のものになったのだなと、しみじみと感じ入りました。盛り沢山の前菜や赤ワインとともに高級牛肉に舌鼓を打ち、ロシアの食を堪能した秋の一夜になりました。
しかし、翌朝、幹事から料金を請求されて、青ざめることに。お会計は、日本円にすると、1人あたり2万4千円だったのです。ロシア人3人を奢ったとはいえ、2万超えとは、もう笑うしかありません。ワインは安いものを選んだのに、これだけ料金が跳ね上がったのは、やはり熟成肉が高くついたからでしょう。たぶん、1回の食事代としては、私の人生で最高記録になると思います。