「安全な国・日本」の裏の顔
日本好きの外国人の友達や知人に、「どうして日本が好きなのか」と尋ねると、だいたいこんな答えが返ってくる。
夜道でも安全。
食べ物がおいしい。
人々が親切。
自然愛好家なら「山や湖が美しいから」、アニメファンは「(三鷹の森)ジブリ美術館へ行って感激した」など、年齢層や趣味で個別の違いはある。でも、「治安の良さ、ヘルシーな和食、おもてなしの精神」が、日本に好感を持つ3大要因といえそうだ。
実際、海外勤務を終えて日本に戻ると、私も同じように感じる。特に女性が異国で暮らす場合、治安要因は重要だ。夜遅くても怖がらずに、最寄りの駅から一人で歩いて帰宅できる環境はありがたい。
各国政府が自国民の旅行者向けにウェブサイトなどを通じて提供する「海外安全渡航情報」をみると、日本の「危険度」は最低レベルに指定されている。添えられたコメントにも、「日本は犯罪が少なく安全ですが、気をつけるに越したことはありません。常識を持って旅行を楽しんでください」的なことが書いてある。
国によっては、「外国人旅行者が睡眠薬強盗にあって身ぐるみはがされ、路上に捨てられる事件が増えている」とか、「銃犯罪が多いので、特定の地域には絶対に近寄らないように」と警告が付けられている。国際的にみて、「日本は治安の良い国」が共通認識なのは間違いないだろう。
日本への渡航情報に「チカンに注意」
その安全な日本で、例外的な「リスク」がある。
痴漢だ。
たとえば、英国政府のウェブサイト。「海外旅行アドバイス」には、《通勤電車内の女性乗客への不適切な接触や「チカン(chikan)」の届け出は、かなり一般的である》と記されている。
カナダ政府の国別情報でも、日本の「女性の安全」の欄に、こんな注意喚起があった。
《朝夕の通勤時間帯に、混雑した地下鉄や電車の中で不適切な接触があるかもしれません》
実際、私の回りにいる日本在住の外国人女性からは「混んだ電車内で、いきなり尻を触られた」「犯人はあっという間に電車から降りたので、追いかけられなかった」などという声をよく聞く。もちろん、東京で通勤通学電車を利用する多くの日本人女性にも、同様の経験があるだろう。
いまや日本を訪れる外国人女性にとって、痴漢(groping)は、「カントリーリスク」になっているのだ。これは、恐ろしく恥ずべきことではないだろうか。痴漢の被害に合うのは女性だけでなく男性にもいるとは思うが、私は今のところ、外国人男性からは被害経験を聞いたことがない。
「日本の痴漢」がいつごろから知られるようになったのかと調べてみると、1995年の米ニューヨーク・タイムズ紙に「東京の満員電車で、痴漢行為が蔓延している」という見出しの記事が載っていた。内容を要約すると――。
《日本は、おそらく世界で最も礼儀正しい社会である。だが、一般的に日本人女性なら少なくとも1度は痴漢を経験している。痴漢行為はニューヨークより東京の方が、はるかに蔓延している。女性たちのほとんどは、このおぞましい痴漢を我慢している》
痴漢行為は、海外でもある。もちろん、「どこででもあることだから日本で起きていい」ということでは絶対にない。痴漢は、あってはならない犯罪だ。
そのうえで個人的な経験を言えば、15年ほど前、当時のイラク戦争がらみの出張で行った中東のレバノンで、ごったがえしたデモ取材の最中に尻を触られた。同じ現場にいた顔見知りのカナダ人の女性カメラマンは、「外国人の女性記者がよくやられる。『今日はケツ、つかまれた?』と聞くのが女性同士のあいさつになっている」と話していた。
インドネシアやフィリピンの乗り合いバスなどでも、似たようなことがあった。帰宅途中のシドニーの電車では、酔っ払いの白人男性にからまれて太ももを触られた。
日本で被害に合ったという外国人女性たちにほぼ共通するのは、「東京で起きたことがショックだった」という声だ。その背景として、「安全で親切な人が多い、この日本で」という意外性と、「混んだ車内でぱっと触って逃げる卑怯さ」があると思う。
「女性は弱い」の潜在意識
日本で痴漢の被害にあったという「フェミニスト」を自認する欧州人の友人からは、こんな意見を聞いた。
「私は痴漢にあうまで、レディースファーストの習慣がない日本が好きだった。女性を特別扱いしないのは、男も女も対等な立場だからだと思っていた。でも、私の認識は間違っていたようだ。日本の男性にとって、女性はそもそも守る必要などない下の立場なのかもしれない。あるいは、存在すら認識に値しないものなのではないか」
確かに、日本はレディースファーストの国ではない。欧米などでは、だいたい「お先にどうぞ」と優先されるし、電車やバスで席があけば高齢者や乳幼児連れの次くらいに女性が譲られる。
日本ではほとんどみられない習慣だが、これに関しては、私は優劣を付けるつもりはない。どこの国にも文化や習慣があり、差別などでない限りは尊重すべきだと思っている。だが、フェミニストの友人は、欧米のレディースファーストの根っこには「女性とは弱く、守られるべき存在だという潜在意識がある」とみたのだろう。
「女性は認識にも値しない」はきつすぎる表現だが、「そうかもしれない」と思ったことはある。駅のホームや地下道などを歩いていると、正面からぶつかってくる男たちがいる。人混みでもよけようとせず、早足でぶつかってくるので、怖い。この人たちにとって、もしかしたら女性は「譲り合い、避け合いの対象」ではないのではないかとすら感じる。
そんな話を日本在住のアジア人女性の知人にしたら、「それは最近、国内外のSNSで話題になった『butsukariya(ぶつかり屋)』ではないか。私も似たような行為をする男に遭遇したことがあるが、本当に怖かった」と言われた。
彼女によると、「ぶつかり屋は、ストレス解消のために意図的に女性を選んでぶつかってくる。自分より小柄で主に若い女性を次々と突き飛ばして、優越感を味わっている」という。それが本当なら、弱者を狙った差別であり、危険な犯罪行為ではないか。
間違いなく言えるのは、こうした行為は、日本が持つプラスのイメージを一転させる破壊力を持つということだ。各国の旅行者向け情報が「日本は安全な国です。以上」で終わった時代には、もう戻れないのだろうか。