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「3分中抜けで処分」問題で考える 報道と固定概念の関係

Re: Discover Japan
「3分早く昼休みを取って処分を受けた」と伝える英ガーディアン(6月21日付)
「3分早く昼休みを取って処分を受けた」と伝える英ガーディアン(6月21日付)

拡散する海外報道

先月下旬ごろから海外メディアが盛んに取り上げ、今でも各国のソーシャルメディアなどで話題になっている日本のニュースがある。

7月4日付の米ニューヨーク・タイムズ紙(国際版)は、こんな見出しで報じた。

「彼は昼休み開始の3分前に席を立った。そして、給与がカットされた」

なんだか、ぱっとしないミステリー本の帯に書かれた宣伝文句みたいだ。でも、内容は以下の通り。

「弁当(bento box)が買いたくて常習的に昼休みを3分早く取っていた神戸市水道局の64歳の男性職員が、半日分の減給処分となった。水道局幹部たちは記者会見を開き、『非常に遺憾であり、申し訳ありません』と言って、4人で深く頭を下げた」

 

この職員は何十回も繰り返し、職場で注意喚起もあったようだ。とはいえ、日本人の私でも「厳しすぎるんじゃないか」と思ったくらいだから、どの海外メディアも「たった3分で減給なんて!」と、驚愕のトーンで伝えたのは言うまでもない。 

Re:discover_固定観念_2
7月4日付の米ニューヨーク・タイムズ(国際版)に掲載された写真。「日本では、公衆の場で、あるいは職場で、居眠りが必要なのは勤勉さと献身の証しだと考える労働者が多い。すべてを捧げて働いている証明だ」と説明している。

共通する「これが日本の典型例」の論調

海外メディアの報道ぶりに共通しているのは、「これがかの有名な、日本の『長時間労働』と『時間厳守』の典型例ですよ」という、一種の日本文化論にしているところだろう。長時間労働に焦点を置き、過労死問題を解説した記事もあった。

特派員として4カ国(フィリピン、イタリア、インドネシア、オーストラリア)の海外支局で勤務した私の経験からいうと、だいたいの国で「日本人というものは、平気で長い時間の残業をする」という固定概念があるように思う。

どの海外支局でも取材や事務の補助をしてもらう現地スタッフを雇っていたのだが、私はいつも、採用面接の最後に「この場で何か私に聞いておきたいことはありますか」と尋ねることにしていた。回答でなく質問の方に人柄が出やすいと考えたからだが、どこの国でも興味深い反応があった。

ジャカルタで面接した20代の女性は、「もし採用されたら、私もあなたと同じような働き方をしないといけませんか」と心配そうに聞いてきた。

「同じような働き方って?」と問うと、「日本人は、朝早くから夜遅くまで、食事時間も削って働く。疲れて死ぬ人もいるとテレビ番組で見たことがある」という。「それは誤解です。過労死の問題は確かにありますが、特に最近はワーク・ライフ・バランスを重視する企業が増えています」と伝えた。

シドニーで面接した20代男性からは、まだ採用するとも言っていないのに「オーストラリアでは労働時間は非常に厳しく定められていて、長時間の残業は違法行為ですから」と牽制された。

 

「長時間労働」は間違いなく負のイメージだが、逆に好印象を与えている日本の固定概念もある。

今回のサッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会で、日本がベルギーに逆転負けした時のこと。イタリアのコリエレ・デラ・セラ紙(電子版)に、こんな見出しが載った。

「日本は品位のお手本だ ロッカールームをきれいにし、W杯に別れを告げた」

Re:discover_固定観念_1
ロッカールームの写真とともに、サッカーの日本代表を称賛したイタリアのコリエレ・デラ・セラ(ウェブ版)の記事(7月3日)

記事はこう続く。

「日本はベルギーに3―2で負け、涙を流してピッチを去った。だが家路につく前、美しい精神をまとった日本代表の選手たちは、ロッカールームをぴかぴかに掃除した。この品位のお手本のような行為は、サッカースタジアムを清掃して帰った日本のサポーターたちにもシェアされている」

ロッカールームの写真も付いていた。(実際には日本代表のスタッフたちがやったようだが)磨いたようにきれいな床と、ごみひとつ残されていないロッカーや椅子。テーブルの上には、ロシア語で「ありがとう」と書かれたカードと、折り鶴らしきものまで置いてあった。

 「固定概念通りの報道」に複雑な思い

時間厳守で長時間労働をいとわず、礼儀正しい人々――。これが、少なくとも最近のニュースをから受ける「日本人」のイメージなのかもしれない。

海外メディアのこの手の報道に接するたび、複雑な気分になる。

まず、「日本人が全員、そういう行為をするわけではないのに」という、うんざりした気持ち。みんなが正午きっかりに弁当を買いに出るわけではないし、私だってがっかりするほど汚れたロッカールームもざらにある。日本にしばらく滞在すれば、すぐわかることだ。

それなのに、いかにも「日本文化である」かのごとく報じるのはいかがなものか。逆に、固定概念を崩すような新しく多様な視点を読者に提供するのがメディアの努めではないか。

 

その一方で、「そういう部分も確かにあるよなあ」とも思うのだ。

たとえば、人身事故や急病人の影響で電車が遅れたとき。アナウンスを聞いて舌打ちしたり、「約束の時間に遅れるではないか」と駅員に怒ったりする人は、間違いなく日本の方が多い。というより、他国の駅では見た記憶がない。時間に絶対遅れたくない事情はそれぞれあるのだろうが、少なくともここまであからさまに、他人の不幸でイライラしなくてもいいのではないかと思ってしまう。

 

実は、「時間厳守」と「固定概念」については、私にも苦い思い出がある。

ローマ特派員だった2005年4月、日本でJR宝塚線の脱線事故があった。107人が死亡したこの惨事は、運転士が約1分半の遅れを取り戻そうとしていたことが一因とされている。

発生の直後、東京のデスクからローマへ電話があり、「イタリアの鉄道会社から事故についてのコメントを取ってくれ」と頼まれた。「イタリアの電車はよく遅れることで有名だから、90秒の遅れを深刻と感じる日本をどうみるか聞いてほしい」という。

だがイタリアで「電車が遅れる」というのは、日本とは度合いが違う。最近は30分を超えると遅延証明書を出すこともあるようだが、私がイタリア北東部の全寮制高校に通っていた1980年代には、2~3時間の遅れなんて普通だった。時刻表上は2時間余りで到着するベネチアへ行くのに、出発遅れや理由不明の途中停車、さらには車両故障による乗り換えなどで、7時間かかったこともある。

そんな国で「90秒の遅れについての感想」なんて言っても、まったく理解されないか、怒られるのが落ちだ。

嫌な予感は的中した。

まず最大手の鉄道会社へ電話し、広報担当の男性に「実は日本で脱線事故がありまして」と、おそるおそる切り出した。「ああ、ニュース速報で流れていたね。お悔やみ申し上げます」と優しい言葉が返ってきた。

思い切って「それで、ちょっとうかがいたいのですが……90秒の遅れを取り戻そうとしたのが事故の原因と言われていますが、どう思いますか?」と聞くと、相手は一瞬、絶句した。

「あなたは私をからかいたいのか、あるいは自慢したいのですか?」と怒り出し、「はっきり言わせてもらうが、日本では時間が一番大切なのかもしれない。でも、イタリア人は命を一番大切にするのだ」と言い放って、がちゃんと切ってしまった。

別の鉄道会社にも電話したが、似たような反応だった。ようやく交通労働組合の書記長から取れたコメントは、こうだった。

「遅刻というものは、なるべくならしない方がいい。してしまっても、焦らない。これくらいの認識でいいのではないか」

 

国際報道に携わる記者として、固定概念に基づく報道は極力避けるべきである。それと、異文化を比較するのは時と場合を選んだ方がいい――。

これは、私自身への戒めでもある。