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「欧州の田舎町」リスボンの激変

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
リスボンの名所サンタルジア展望台に集う観光客=2018年5月15日、©2018 Ana Brigida/The New York Times

 ポルトガルの首都リスボンは、この間まで「欧州の田舎町」だった。古い歴史があるのに、中心街は老朽化がひどく、多くの建物が半ば放置されたまま、しかも広場のいくつかは、娼婦(しょうふ)と麻薬の売人のたまり場になっていた。あの2010年からの欧州債務危機を象徴するような、みじめな姿をさらけ出していた。

 ところが、である。そのリスボンがよみがえってきた。

 財政危機に陥った2011年、ポルトガル政府はEU(欧州連合)と国際通貨基金(IMF)による総額780億ユーロ(1ユーロ130円換算で10兆1400億円)の金融支援と引き換えに、厳しい財政再建策に乗り出した。再建策の一つが、首都の住宅市場を自由化した新たな法律だった。この法律の施行で、リスボンに活況が戻ってきたのだ。

 クルーズ船で大勢の観光客がやってくる。広場という広場は観光客であふれている。東南アジアでよく見る3輪自動車のトゥクトゥクに乗って、丘の街を楽しむ人々も多い。新しいバーやレストランが次々と開店し、どこもにぎわっている。再開発が進み、くすんでいた歴史的な建物は、今や輝いてみえる。

リスボンの街をゆく3輪自動車のトゥクトゥク=2018年5月15日、Ana Brigida/©2018 The New York Times

 欧州全体からすれば、リスボンの復活は「失われた10年」を何とか乗り越えた証しとなった。

 ポルトガルの失業率は半減した。輸出ブームも起きている。そして、外国人投資家がリスボンの不動産に殺到している。ポルトガル政府も50万ユーロ(同6500万円)以上の不動産を買った外国人に、永住権を取得する機会を与える「ゴールデンビザ(黄金査証)」まで発給している。

 しかし、リスボンに暮らす住民にとっては、活況で得をする者と生活基盤を失う者が浮上し、深刻な問題を引き起こしている。

 ポルトガルの平均賃金は今も月約850ユーロ(同11万500円)のままだ。住宅市場の自由化と外貨の大量流入で、リスボン中心部の不動産価格はこの2年間で30%も上昇している、というのに。

 「危機脱却に関する政府の戦略は、とにかく外国投資を呼び込むことだった。財政問題はそれで解決した。しかし、リスボンの住宅問題のように、新たな問題が出てきた」。ISCTEリスボン(University Institute of Lisbon)で都市問題を研究している元国会議員のアナ・ドラゴはそう語る。

 中世の名残のあるモウラリア地区では今、豪華なマンションが建設されている。少し離れた所にある建物は、フランス人などの外国人投資家の別宅として改築されたばかりだ。しかし、その区画のはずれにある狭いバルコニーがついた古い建物は、立ち退きに反対するポルトガル人活動家たちのシンボルになっている。これまでなかった動きが起きているのだ。その向かい側に住んでいる人たちは、法廷闘争で居住権を勝ち取った。そこではサンタクロースの人形がぶら下がっていて、「手ごろな住宅と社会的平等を」とクリスマスの願い事が書かれていた。

リスボン中心部のバイシャ地区では、各地で改築工事が行われている=2018年5月15日、©2018 Ana Brigida /The New York Times

 確かに不動産の所有者をはじめ、多くのポルトガル人はリスボンの復興こそ経済回復の要だと考えている。多くの投資家、それにマドンナ(米ポップ歌手)のような有名人が住宅を買いに来たことで、「問題が出てきた地区もあるが」とリゾートホテル会社 Dom Pedro(ドム・ペドロ)の役員ルイス・コレイア・ダ・シルバは言った。「23年前まで、誰一人こうした地区を救う手立てを講じようとしてこなかった。それを忘れてはいけない」

 ポルトガル人は地主という階層に強い反感を抱いてきた。その起源をたどれば、王制を廃止した1910年の革命にさかのぼる。その後、軍事独裁政権が長く続いたが、リスボンと第2の都市ポルトでは賃貸料は凍結された。74年の革命で独裁政権が倒されてから10年以上たって、新たな契約における定額賃貸制度は廃止されたものの、リスボンの下町の一部は地元民すら避けるようになり、半ば放置された状態になった。

 財政危機で金融支援を受けた2011年の国勢調査が最新だが、それによるとリスボン市内には55万2700人の住民に対して32万2865戸の住宅があり、うち5289戸は空き家だった。その1年後、新借地借家法が施行され、住宅市場が自由化された。

 自由化の範を示すべく、政治家が動き出した。2011年、リスボン市長だったアントニオ・コスタは、市の行政部門を中心部にある歴史的な市庁舎から、麻薬と娼婦で知られたインテンデンテ広場の一角にある元の工場建物内に移した。

 コスタは現在、同国の首相になり、インテンデンテ広場もかつての面影は消えた。カフェや手工芸品を売る店が軒を並べ、あちこちで建設プロジェクトが進んでいる。広場の中央にはちょっとした緑の庭があり、真っ赤な鍛造メタルの囲いで覆われている。ポルトガルで最も有名な芸術家の一人、ジョアナ・バスコンセロスのデザインだ。

 リスボンの変貌(へんぼう)ぶりについて、バスコンセロスに聞いてみると、彼女は「変化のスピードが速い。でも、より良くなってきている」と言った。

 さらに「私の印象では、かつてのリスボンに戻っている。この街は何世紀もの間、多文化都市だったし、交易の中心地として世界とつながっていたのです」と言った。

 とはいえ、物事には常に両面がある。

 ロドリゴ・アザンブジャはポルトガルの伝統的なじゅうたんを織っていた。しかし、2013年に家主が工房の賃貸料を300ユーロ(同39千円)から1200ユーロ(同15万6千円)に値上げしてきた。さらに数カ月前、今度は18年7月までに工房を明け渡すよう通告してきた。

 アザンブジャは2年前にリスボン市が所有していた廃虚化した建物をオークションで買っていた。8月までには何とかその建物を賃貸しないといけなくなった。とりあえず、じゅうたんを織るより自分の建物の1階でワインバーを開こうと思っている。

 「なんだかとてつもない速さで物事が動いている。まるで台風だ。しかも多くはこの台風への備えがまったくできていない」。アザンブジャはそう言った。

リスボンのアルファマ地区。昔ながらの暮らしぶりが残っている=2018年5月15日、©2018 Ana Brigida/The New York Times

 都市地理学者のルイス・メンデスは市民組織 Morar em Lisboa(リスボンに生きる)のメンバーの一人で、住宅の立ち退き問題と闘っている。彼は、このまま変貌していけばリスボンという街の魅力が失われてしまいかねない、と心配している。

 「古くから住んでいる人たちを立ち退かせ、金持ちだけの閉ざされた街になったら、逆に伝統的なポルトガルを期待してやってくる観光客に見せるものがなくなってしまわないか?」。メンデスはそう言うのだった。

 古くからの住民を守る規則はいくつかあるが、実際には厳守されておらず、立ち退きを余儀なくされる住民が出ている。不動産や観光でうるおう者とそうでない者との二重構造が出てきた、と不満を募らせるリスボン市民も少なくない。そうした不満は、次々に登場する新しい派手な店にも向けられ、リスボンが「ディズニーランド化」していると批判している。

 リスボンを訪れる観光客は年間約450万人と、市の人口の約8倍にのぼる。19年には市内だけで約30のホテルがオープンする予定だ。(抄訳)

Raphael Minder) ©2018 The New York Times

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