その名を聞いても、ヘルベルト・トゥルンプ(訳注=Trumpのドイツ語読み)は何も話そうとしなかった。イルゼ・トゥルンプも、ウルズラ・トゥルンプも同じだった。
でも、ウルズラ(71)は最後には折れ、こうため息をついた。「だって、血のつながりは、選べないでしょう」
その名は、ドナルド・トランプ(Donald Trump)。米国の大統領であり、億万長者でもある。世界で最も強大な権力を握る人物だ。ウルズラの夫から見ると、「またいとこ」よりはるかに離れた「またまたまたまたまたまたいとこ(seventh cousin)<訳注=second cousin=またいとこ=をもとに「また」を6回>」になる。
ウルズラは、ドイツ南西部ラインラント・プファルツ州の田舎で暮らしている。ブドウ畑の丘が連なるワインの産地にたたずむカルシュタット(Kallstadt)。人口1200のこの村は、米大統領の父方の祖父母の出身地だ。その隣村で、ウルズラの一家はパン屋を営んでいる。
このあたりでは、米大統領は単に「ドナルド」と呼ばれる。トゥルンプ姓が多く、いちいちフルネームで呼ぶことはない(ちなみに、ここプファルツ地方の方言では、名前の発音は「ドゥローンプ」と聞こえる)。
電話帳をめくれば、足の専門医ベアーテ・トゥルンプが近くの村にいる。あるいは、10代のユスティン・トゥルンプのように、よくからかわれる者もいる。オレンジ色がかったブロンドの髪が、大統領を連想させるからだ。
トゥルンプ姓だけではない。ワイゼンボルン、ガイセル、ベンダーなどの姓も、カルシュタットではトゥルンプ一族と血のつながりがある。
「まあ、村の半分が縁戚関係にあるというところかな」と村長のトーマス・ヤウォレクは笑った。でも、すぐに「自分は違う」と続けた。
大統領の父方の祖父母は、いずれもこの村の出身だ。フリードリヒと妻エリーザベトは、向かい合った家で生まれ育ち、同じ教会で洗礼を受け、数マイル(1マイル=1.6キロ)離れたところで結婚式を挙げた。それから、米国に移住した。
その祖父から大統領が受け継いだものは何か。よく挙げられるのは、髪へのこだわりだ。フリードリヒは移住後、まずニューヨークの理髪店で働いた。それからレストランを営み、カナダ・ユーコン準州で金の採掘者を相手にした売春宿の経営にも乗り出すなどして財を成したと報じられている。
孫のドナルドと同じように、フリードリヒは酒を飲まず、兵役は避けた。異なっていたのは、納税への姿勢だろう。保存記録を見ると、1904年の資産8万マルク(現在なら百万長者になる)に対する税金をきちんと納めていることを誇りにしていたことが分かる。
カルシュタットは、プロテスタントの村だ。住民は自発的に公の場に花壇をつくることに熱心で、ワインの製造業者は116年も前から協同組合方式で生産にあたっている。
そんな村で、フリードリヒの評判はよかった。同じ世代の人からは、礼儀正しい人とされ、「出しゃばらずに静かに暮らす非の打ちどころのない人物」と見なされていた。
一方で、孫のドナルドと村との関係は、これとはかなり異なっている。トランプの先祖の住まいは今も残る。村の大通りに面した青い門の家だが、そんな表示はどこにもない。
観光案内には、名物の豚の胃袋料理が誇らしげに紹介されている。教会のオルガンが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(訳注=1685~1750年)の時代にさかのぼることもしかりだ。しかし、この村の「最も有名な孫」については、無視同然の冷たい扱いだ(墓地の墓石に刻まれている「トゥルンプ」という名前を除けば)。
「名前を観光振興に使う気はない」と担当部門のエルク・デルはそっけない。「あまりに物議を醸しそうなんでね」
それでも、観光客はくる。報道関係者も、よく訪ねてくる。トランプマニアのような人物が、うろつくこともある。
「窓から中をのぞき込まれたり、ドアをノックされたりはしょっちゅう」とマヌエラ・ミュラーウォーラーはうんざりしていた。大統領の祖母が子供時代を過ごした家で保育園を営んでいる。
買い物に行くのに車を出そうとしたら、観光バスが出口をふさいでいたこともあった。最近は、「トランプさんの家はどこ」って尋ねられると、わざと違うところを教えたり、仲のあまりよくない人のところに行かせたりするようになったと話す。
自分の保育園の建物に、そんないわれがあることをミュラーウォーラーは知らなかった。向かいのトランプの祖父の家を買った人もそうだ。迷惑の方が先に立つようになり、家を手放そうとしたが、うまくいかなかったと言う。
「ぶち壊し」が得意な大統領と同じように、先祖の存在もここでは問題を起こすことが多かった。
米大統領選に勝利すると、カルシュタットのホテルにはボイコット運動の脅しが届き始めた。宿泊をキャンセルするお得意さんが現れ、ワインの注文も取り消された。ドイツ全国から、「トランプの村」を非難する電子メールが舞い込んだと村長は振り返る。
隣村のフラインスハイム。パン屋のカウンター越しに、先のウルズラはこんな話を明かしてくれた。大統領選のすぐ後だった。
電話をとると、受話器の向こうの女性は「彼に電話して」と切願した。「メキシコとの国境に壁をつくるのはやめさせて」
でも、途中で電話を切らざるをえなかった。「だいたい、彼の電話番号なんて持っていないし」
大統領の就任式には、米国旗をあしらった特製のスポンジケーキをつくり、食べることができる彼の写真を添えてみた。「冗談のつもり」だったが、しばらく客足が遠のいてしまい、「トランプケーキ」は二度とつくらないことにした。
ご本人も、ドイツを快くは思っていないようだ。
2017年の初めての訪欧で欧州連合(EU)の首脳と会談した際に、ドイツの対米貿易が慢性的な黒字になっていることをやり玉に挙げ、「ドイツは悪い、とても悪い」と連発した。
それどころか、ドイツのルーツを否定し、先祖はスウェーデンの出身だと主張したこともある(カールスタード〈Karlstad〉という都市があるにはある)。
「それは、フェイクニュースだね」とカルシュタットの郷土史家ローラント・パウルは大統領がよく使う言葉で皮肉る。米国のトランプ家とドイツとのつながりについて、最初に詳しく調べた専門家の一人だ。
パウルによると、大統領の祖父が最初にこの村から米国に渡ったのは1885年、16歳のときだった。1902年に裕福な人物として故郷に戻り、すぐ近くに住んでいた女性と結婚し、米国に戻った。
しかし、妻エリーザベトは新天地になじめず、ドイツに帰りたがった。事実、戻ってきて、フリードリヒは1904年から翌年にかけて、再び居住できるよう許可を求める嘆願書をいくつも書いた。しかし、兵役につかなかったことを理由に拒否された。「立ち去れということは、とてもとてもつらいことだ」とフリードリヒは心境を記している。
この話に、歴史の皮肉を見る人もいる。
「当時のお役所の思いやりのなさは、大統領が米国にくる不法移民を冷酷に扱っている現状に通じている」とワルター・ルンメルは語る。フリードリヒの一連の嘆願書が保存されている近隣のシュパイアー市の公文書館長だ。祖父の場合は「敗者の記録だけど」と、勝者の孫をあてこするように付け加えた。
戦後の70年ほどを見ると、米国のトランプ家とカルシュタットとの交流は、散発的に続いていた。2001年にはトランプの不動産会社が、この村の教会の修理費として5千ドルを寄付している。トランプ本人がサインした小切手が届いたと教会の牧師オリバー・ヘルツォークは言う。
直接の行き来はどうか。先の郷土史家のパウルによると、それ以前には1920年代に祖母エリーザベトが里帰りしている。これを除けば、米国のトランプ家からは、大統領のいとこで一家の歴史をまとめているジョン・ウォルターがきたことがあるぐらいだ。
その逆の動きもあった。親類の一人、地元ワインの品質管理にあたっているシュテッフェン・ガイセルの曽祖母は、大統領の祖父の姉妹だった。大統領の父フレッドが80歳の誕生日を迎えたときに、自分の祖母ルイーゼは米国に飛んだとガイセルは少年時代の記憶をたどった。戻ってきて祖母が見せてくれたのは、本人のサインがあるトランプの写真だった。
「シュテッフェンの成功を祈る」と書かれていた。いとこたち全員に、こうした写真が配られた。
トランプが大統領に当選してからというものの、「この人はどれほど身近な存在なのかとこちらの親類の誰もが考えあぐねている」とガイセルは語る。
その一人、レストランを経営するベルント・ワイゼンボルンは、客と珍問答をする羽目になった。やはり自分の曽祖母バーバラが、大統領の祖父フリードリヒの姉妹の一人だった。トランプが温暖化を抑制するパリ協定から米国の離脱を表明した(訳注=2017年6月1日に正式表明)すぐ後に、「あんたの親類はとんでもないことをたくらんでいる」と客から言われた。思わず、「そちらの親類でもあるのだから」と言い返したのだった。
カルシュタットでは、大統領がやってくるという情報がひっきりなしに飛び交っている。
2018年1月には、「トランプの家を見たい」と言う米総領事と村長が会った。郷土料理でもてなした席で、「次は大使にきてもらう」と言われた。
続いて4月には、ドイツ首相のアンゲラ・メルケルが訪米した。首脳会談では、カルシュタットのあるプファルツ地方の地図がトランプに手渡された。
加えて近年の米大統領は、いずれも在欧米軍の司令部があるラムシュタイン空軍基地を訪れている。村長によると、車なら45分で行けるところにある。
でも、大統領がきても、その日は村でただ一人の「トゥルンプ」になってしまうのかもしれない。「私は休みをとって、どこかに行ってしまうから」。ウルズラは、こう断言してみせた。(抄訳)
(Katrin Bennhold)©2018 The New York Times
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