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イタリアの農作業支えた日々の糧 固い皮に守られたふんわり巨大パン 

イタリアでパンに恋して 更新日: 公開日:
焼きたてのフォカッチァを長い板の上に載せて運ぶ。昔はこうした板に乗せてパンを客の家まで運んでいた=河原田慎一撮影

伝統の巨大パン@プーリア州

どこまでも続く丘陵に、岩のかけらを積み上げてつくった畑の境界を示す低い壁。トゥルッリと呼ばれる、円錐形のかわいらしい屋根を持つ石積みの小屋が道沿いに点在する。かと思うと、巨大な風力発電の白い風車が目を引く。アドリア海側にある南部プーリア州には、昔ながらのイタリアの光景と、地形を生かした環境エネルギーの新たな技術が共存していた。

グラヴィーナと呼ばれる深い渓谷沿いに、ラテルツァの旧市街が広がっている。プーリア州には、石灰岩のごつごつした岩場の渓谷沿いに、こうした街がいくつもある=河原田慎一撮影

この地の農家にとって、パンはまさに日々の糧だった。何㌔も離れた農地での作業のため、出るとトゥルッリなどに寝泊まりしながら1、2週間も家を空けることがあり、そのためにも、保存の利く巨大なパンが必要だったという。

今では農家は車で自宅と農地を行き来するようになったが、パンの大きさは伝統的なままらしい。一口に「巨大」といっても、どれほどのものなのか。プーリア出身の友人を通じ、ラテルツァという街にあるパン屋に向かった。

ラテルツァのパン屋「ラエルテ」。工場部分の隣が販売店舗になっている=河原田慎一撮影

パン屋の工房に入ると、真正面にれんが積みの大きな釜が、口を開けていた。燃料は地元特産のオリーブの木の枝だ。出迎えてくれたヴィート・ボンジェルミーノさん(39)の脇にある4段の大きなスチール製の棚には、焼きたてのパンが、縦にして並べられていた。

「ここではパンは、キロ単位で買います」。一番小さい物から、重さは1㌔、2㌔、4㌔の3種類。1㌔のものでも、湯たんぽをさらに膨らませたぐらいの大きさで、どっしりと重い。4㌔となると、金だらいぐらいの大きさで、切り分けるだけでも骨が折れそうだ。

外は頑丈そうだが、中はふんわり。地元産の小麦粉だけを使うため、焼き上がりが全体的に黄色くなるのが特徴だ。

地元産の小麦粉を使っているため、中は黄色味がかった色に焼き上がる=河原田慎一撮影

パンを焼くのは、1日に3~4回。毎回、オリーブの枝を燃やして釜をあたためる。釜の中に灰が残ると、パンの生地について黒いこげがついてしまうため、灰を丁寧に取り除き、水をつけた布で釜の底をふく。

釜の中が370度から400度ほどになったところで、ここからの約90分が勝負の時間だ。長い棒のついた木の板を器用に動かし、1㌔の生地で300個分を手早く並べ、焼いていく。

釜に入る前の生地は、酵母によってふんわり膨らんでいる。ボンジェルミーノさんの工房では、50年間休まず増やしてきた酵母を使っているという。「ラテルツァでは、酵母は各家庭でつくる宝のようなもの。私のおばあさんも1930年代からつくってきた名人で、ほかのおばあさんたちにも分けていたよ」。酵母菌は、動物を飼い、野菜を育てる農家の暮らしの中で自然に生まれてきたものだ。「だからそれぞれの家に、ほかにはない特別な酵母のにおいがある。パン屋によってもそのにおいは違う」とボンジェルミーノさんは言う。

代々受け継いできた酵母を使ったパン種。弾力と粘り気がある=河原田慎一撮影

膨らんだ生地を手にしたボンジェルミーノさんが、儀式のような手さばきを見せる瞬間があった。ポケットからナイフを取り出すと、素早く生地に十字の切り込みを入れる。「十字を切ることで、悪魔を払う」という。敬虔なカトリック信者が多いこの地域で、ボンジェルミーノさんは人々が日々の糧であるパンを食べ、健康に過ごせるようにという「祈り」を込めている。

十字を切る素早い手さばきで、パン生地に切り込みをいれるヴィート・ボンジェルミーノさん=河原田慎一撮影

巨大なパンは、同じプーリア州のアルタムーラという街のものが有名だという。ここでは、地元産の原材料に徹底してこだわり、欧州連合(EU)のDOP(原産地呼称保護)をパンでは初めて、2003年に取得した。

ラテルツァの街から北西に約30㌔、「高い壁」という意味のアルタムーラの街の入り口に城壁はなかったが、「パンの街へようこそ」の看板が、地元の誇りを感じさせる。

アルタムーラの巨大パン。手前が1キロ、奥の丸いパンは4キロある。DOP(原産地呼称保護)認証のシールが貼られている=河原田慎一撮影

ジュゼッペ・ディジェズさん(49)が営むパン屋は1838年の創業で、ジュゼッペさんが5代目だ。DOPを得たパンには認証を示すシールが貼られている。ディジェズさんら8軒のパン屋は組合を作り、「本物の」アルタムーラのパンとして、世界に売り出しているという。

もちろん、アルタムーラのパンも、キロ単位の大きさだ。特徴は、その形。鏡餅のような丸い生地を少し手で延ばしてから、二つに折りたたむ。釜の中で膨らむと、巨大な唇のような何ともユーモラスな形になる。

アルタムーラのパンは、焼けると花が咲いたように膨らむ。樫の木の丸太で、生地に直接炎が当たらないように調節している=河原田慎一撮影

アルタムーラではかつて、パン屋は持ち込まれた生地を焼く職人だった。工房には、木の板に乗せた山積みのパンを肩に乗せてお客さんの家まで運んでいた、50年ほど前の写真が飾られている。「今でもたまに、おばあさんが生地を持ってくることがあるよ。それが伝統だから、焼くだけならただでやってあげている」。だがそんな伝統的なパンが息づく街でも、パンの消費量は減っているという。ディジェズさんによると、1990年代には50カ所でパンを焼いていたが、今は半減。ディジェズさんの父親らがDOPの取得に向け動いたのも、そんな昔ながらの文化が失われかねないという危機感と、「町おこし策」の一つだったという。

工房には、板に載せてパンを運んでいた当時の写真が飾られていた=河原田慎一撮影

材料は、地元産の小麦を特別に2回ひいたものと、毎日増やし続けている天然酵母、水、塩と至ってシンプルだ。隣のバジリカータ州で取れた樫の木を1年半乾燥させたまきを使い、釜で焼く。ただ、焼き上がりはディジェズさんの研究で、先代よりも中の柔らかい部分を増やした。固い皮に守られたパンは、6~8日もおいしく食べることができる。

ディジェズさんは、子どものころはサッカーばかりしていた少年だったが、大学で経済学を学び、兵役のあとに本格的に父を手伝うようになった。「パン作りを教わると、自分の中の何かが目覚めたように夢中になって。1日に16、17時間も工房にこもるようになった」という研究の虫だ。「一つ一つの仕事を大切に、集中してやること。日本の武士の精神と同じような価値があるんじゃないかな」。そういってディジェズさんは笑った。

プーリア州伝統の巨大パンの作り方

(ラテルツァのパン屋「ラエルタ」のレシピ。1㌔サイズ1個分)

【材料】

小麦粉(セナトーレ・カッペッリという種類の硬質小麦を2回ひいた粉) 500グラム
天然酵母と水、小麦粉で作ったパン種 小麦粉の量の4分の1
水 1リットル
塩 適量

【作り方】

材料をこねて丸い形に整え、寝かせる。生地が膨らみ大きな気泡ができてくるので、焼く直前にナイフで十字の切り込みを入れる。焼き時間は釜の中の温度によって変わる。 

※通常は約1週間ほど持つが、皮が固くなったら水でふやかし、トマトとオリーブオイルを絡めれば「チャレッダ」という伝統料理に。夏には野菜スープに入れて、冷やして食べてもよい。