キリスト教が息づくパン@レンティーニ
カトリック教会で、聖母マリアが天に昇った祝日とされる8月15日の前夜。シチリア島の東部にあるレンティーニという街に、かつてパンをめぐる儀式のような習慣があった。小さなつぼにくんできたわき水を入れ、バジルの葉を入れる。バジルを入れるのは、昔マラリアがはやったこの地で、蚊を避けるためだ。そしてパンをその水に浸して、子どもたちに食べさせたという。もっとも、今はもらったお菓子を入れるためにつぼを使うようになってしまったそうだが。
そんな神秘的な行事があったレンティーニでは、どんなパンが焼かれているのか。地元のパンについての著作があるレンツォ・トゥルコさん(39)の案内で、街のパン屋を訪ねた。
レンティーニは約3万人が住む街だが、「聖母教会」がある街の中心部は、車1台がやっととおれるほどの細い路地が入り組んでいる。道のアップダウンもあり、ともすれば迷ってしまいそうだ。パン焼き窯のあるパン屋は、10軒ほどあるそうだが、どこも店構えはごく小さく、地元の人に聞かないと中でパンを売っているのかどうかすら分からない。
フィオレッラさんとティベリオさん夫妻がやっているパン屋も、間口は2、3メートルほどしかない。狭い戸口を入ると小さなカウンターがあるだけで、奥はパンを焼く作業場になっている。一番奥まったところに、まきで焼く窯が口を開けている。レンツォさんによると、1930年ごろまでは、近くのレンティーニ湖のほとりに生えている葦をまきに使っていたそうだ。今は特産のオレンジやオリーブ、アーモンドの木を使うという。
窯にはもちろん、温度計はない。「窯の入り口の天井が白くなったら適温」と、フィオレッラさんが教えてくれた。水を浸したモップで窯の中の灰を拭きると、そこからは夫婦で息の合った作業。ティベリオさんが持つ長い木の柄の先にフィオレッラさんが生地を載せるとすぐに、ティベリオさんが窯の中に並べて次の生地を待ち受ける。餅つきのつく人とこねる人のようになテンポの良さ。約300度に達するという窯の温度が高いうちに、一気に焼き上げるための熟練の技だ。
同店で焼くパンは、主に3種類。「クッドゥーラ」と呼ばれるドーナツ形のパンと、「エッセ」というS字形のパン。それに「ジャドゥッズ」という切り込みが何カ所も入った三日月型のものがある。切り込みには、生地の中のガスを逃がすなどの作用があるが、以前、プーリア州ラテルツァのパン工房でも見たように、ここでも「祈り」の意味が込められていた。レンツォさんは、パン職人が切り込みを入れる際に地元の方言で唱える「祈りの言葉」を、著書の中で収録している。
パンよ パンよ 大きくなあれ
神様が祝福するように
窯の中で 大きくなあれ
神様がこの地で育ったように
(後略)
信仰の厚いキリスト教徒が多いこの地域では、パンにも多くの宗教的な意味が込められていた。例えば、地元の方言で「カップル」を意味する「クッキテッディ」と呼ばれるパン。このパンは、特に11月2日の「死者の日(万霊節)」を祝うために焼く。中にブロッコリーやたまねぎなどの野菜が入ったフォカッチャで、ボリュームたっぷりだ。すべての死者を悼む日に、このパンは貧しい家庭に配られるのだという。
こうした美しい伝統は、イタリアの地方でも失われつつあるのが現状だ、とレンツォさんは指摘する。もう一軒訪れたパン屋も、店を守ってきた夫婦が高齢のため、物件が売りに出されていた。レンティーニではレンツォさんら食文化の研究者やパン職人らが集まって、伝統的なレシピを集めて保存する活動が始まったという。「パンにまつわる豊かな文化を、よりオリジナルに近い形で記憶に残し、後世に伝えたい」とレンツォさんは力を込めた。
レンティーニのパンの作り方
【材料】
小麦粉 (デュラム・セモリナ粉または強力粉)1キロ
天然酵母でつくったパン種300グラム
水 400cc
塩、ごま、オリーブオイル 適量
【作り方】
①混ぜ合わせて生地をまとめ、ふきんをかけて最低4~5時間寝かせる。一次発酵が終わったら生地を切り分け、S字などの伝統的な形に整え、切り込みを入れてごまを振る。ふきんをかけてもう一度寝かせてから、約300度のまきオーブンの場合、40~45分焼く。
メモ:薄く切ったパンにオリーブオイルと塩、オレガノと唐辛子少々を振って食べるのが地元流。かつては小麦粉だけをパン職人のところに持って行って、職人がつくった酵母とまぜてふくらませ、焼いてもらっていた。客は手間賃を払うほか、焼けたパンの一部を店に残していったのだという。