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西アフリカからこんにちは

世界どこでも住めば都、国連職員ニョコボク日記 更新日: 公開日:
モーリタニアにて(WFP提供)

 お初にお目にかかります。野副美緒(のぞえみお)です。国連で働き始めて今年で13年、現在は西アフリカのセネガルにある国連世界食糧計画(WFP)の地域事務所でレジリエンス(災害に強い地域社会づくり)に携わり、主に日本の農林水産省の拠出している西アフリカの小規模農家事業を担当しています。セネガルは9か国目の赴任地ですが、私の専門は緊急支援、及び復興開発で、スリランカや南スーダン(当時)、ソマリアやパキスタン等で緊急支援の事業計画立案、実施に関わってきました。

2011年1月ソマリアで。栄養調査の聞き取りで村で女性グループと話す。(WFP提供)

 国連勤務というと、ニューヨークやジュネーブにあるような、世界の国旗がはためいている大きなビルで、颯爽と働くキャリアウーマンを想像しそうですが(実際、そういう人もいますが)、国事務所やサブオフィスの現場では、サンダルとTシャツに、強烈な日焼けで肌が焦げないように首にタオルを巻いた出で立ちになったりします。そして、車に乗ればタイヤも窓も特別防弾仕様だったり、調査やトレーニングのために車が通らない山道を2時間歩いたり、実際に危険が想定される場所だと銃を持ったセキュリティーガード20人に囲まれて仕事をしたりすることも結構あるのです。そういう現場を経ての、初めての地域事務所勤務をしています。

2007年、南スーダンで。道路が悪く車が途中でぬかるみにはまってしまうこともしばしば(WFP提供)

なぜ、国連で働こうと思ったの?という質問をここ10数年いろんな人に聞かれますが、「学生時代から海外にどんどん出ていく中で、自分の専門や興味のある領域で社会を変えている魅力的な大人に会って、自分も『変動する世界』の“観客”ではなく“当事者”でいたいと思ったこと」「自分の可能性と舞台を広く設定したかったこと」と答えています。一旦足を踏み入れたら、降りかかる刺激が肌に合い、さらなる経験と挑戦を求めて、危険地・僻地を転々としているうちに10年があっという間に過ぎてしまいました。

2017年3月、リベリア。事業地に子どもたちと歩いて向かう(WFP提供)

守るより攻めるべきことの方が多い“若いうち”に激動する世界の底辺や裏側、濁流が勢いよくうずまく部分をがっつり感じ、本質的なものや美しいものに関われる機会をもてるのはありがたいことです。

今回GLOBE+に「世界どこでも住めば都、国連職員ニョコボク日記」としてコラムを書く貴重な機会を頂きました。タイトルにつけた“ニョコボク”とはセネガルで一番メジャーな現地語(ウォルフ語)で「喜んで、見返りを期待せずに、私のものはあなたのもの、連帯感、一緒に」といったいろんな素敵な意味を含有する言葉です。そんな“ニョコボク”なセネガルの生活、WFPの仕事の現場、WFPの命題でもある「飢餓」を初めてする世界の課題、カラフルでポップな西アフリカの文化、海外のママ友・子育て事情など、ざっくばらんに「日本の裏側、世界の向こう側で起こっている今」を皆様に興味を持ってもらえるように書いていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします!