アフリカの暮らしに学ぶ
私事で恐縮だが、4月から大学の教壇に立つことになった。学部の学生と修士課程の大学院生を対象に、いくつかの講義を受け持つ。担当科目の一つに「アフリカ研究」という講義がある。アフリカに関わることであれば、どのような内容でも話すことが可能であり、講義の内容は当然ながら私に任されている。
社会科学的な見地からアフリカをテーマに講義する場合、奴隷貿易や植民地支配の過去を踏まえた近現代史や、飢餓や貧困といった低開発の問題、さらには独立後の国家建設を巡る混乱や武力紛争、著しい人権侵害の歴史(例えばアパルトヘイト)などの話をすることが一般的である。1980年代末から90年代初頭に学生・院生としてアフリカを学んだ私自身も、おおむねそうした話を聞かされてきた。
だが、こうした視座からアフリカにアプローチする方法には弱点があると、常々感じている。奴隷貿易や植民地支配の歴史は避けて通れない重要なテーマだが、そこではアフリカの人々は「被害者」として語られるのが普通である。飢餓や貧困の話では、アフリカの人々は「救済の対象」や「援助の受け取り手」として認識される。独立後の国家建設を巡る混乱や武力紛争の話では、アフリカの人々は「不幸な境遇にある人々」と見なされがちである。
アフリカの悲しい過去や解決すべき今日の諸課題について学ぶことは重要だ。しかし、そうしたアプローチの仕方だけでは、戦後70年にわたって世界最高水準の平和と繁栄を享受してきた日本人にとって、アフリカは暗黙の裡に「援助」や「啓蒙」や「救済」の対象と化し、日本よりも遅れた「格下」の存在になってしまいがちである。
われわれ日本人が、逆にアフリカの人々の暮らしから学ぶことがあってもよいのではないだろうか。あるとすれば、それは何だろうか。
聞いたことがない「いじめ自殺」
自身のアフリカ社会との長い付き合いを振り返る時、アフリカの人々の暮らしをかがみとして、日本社会の在り方を見直すきっかけとなった経験があった。最も印象深い経験は、子供の「いじめ」問題について、アフリカで取材した時のことだった。
毎日新聞の特派員として南アフリカに駐在していた2006年当時、本社から「世界のいじめ事情」について取材するよう指示が来たことがあった。駆け出し記者のころ、日本国内でいじめを苦に子供が自殺した事件を取材した経験はあったが、海外におけるこの問題の取材は初めての経験だった。
この世にいじめのない国や地域があるとは思えない。人間がこの世に存在する限り、古今東西どんな人間の集団にも、いじめは存在し続けるだろう。
だが、日常生活上の経験から言って、アフリカの国々では、日本のように、いじめの被害者が自殺に追い込まれるほど状況が深刻だとは考えにくかった。当時は私の2人の子供も南アフリカの地元の学校に通っていたため、子供に関わる社会問題にはそれなりに神経を尖らせていたが、いじめられた子供が自殺したという報道は記憶になかった。
取材を始めたところ、早速、困難に突き当たった。「日本では学校でいじめられた子供の自殺が多発しているが、こちらではどうか?」と話を切り出すと、誰もが驚いた表情を見せ、「なぜ、日本ではそんな悲惨なことが起きるのか」と逆に質問攻めにされるのだ。
そんな中、南アの首都プレトリアにある日本の国際協力機構(JICA)事務所で働いていたコンゴ民主共和国出身の男性(当時28歳)の話が、非常に示唆に富む内容だった。詳細は拙著「日本人のためのアフリカ入門」(ちくま新書、2011年)に書いたことがあるが、要約すると次のような話である。
男性は1990年、6年生の時に、父親の仕事の都合でコンゴ南部の地方都市ルブンバシから約1500キロ北西の首都キンシャサの小学校へ転校した。地方出身の彼はクラスの数人から「田舎者」と言ってからかわれ、いじめの対象になったという。
しかし、彼は私に興味深いことを言った。
「学校は授業を受ける場だと割り切っていたので、そんなに苦にはなりませんでした。学校がどうしても嫌なら、行かなければいいだけの話でした。それに、家に帰ると、親戚の子供や、違う学校に行っている近所の子供がたくさんいるので、彼らと遊んでいました。それからコンゴでは、家庭の事情で子供の進級が遅れることは普通です。だから6年生のクラスには12歳、13歳、14歳と、いろいろな年齢の子供がいます。年下の子が悪いことをすると、年上の子が叱ったりすることもあります。あれは、いじめがひどくなるのを防いでいたと思います。日本の子供は一度いじめられると、逃げ場がないのではないですか」
対極の社会に手がかりを
彼の話を聞き、私は思わず膝を打った。アフリカ各地を訪れるたびに、「子供が教会や地域社会を核とする交友関係を持ち、異なる年齢の友達と遊んでいる光景が目立つ」と感じていたからである。コンゴの子供にとって、学校は「暮らしの一部」に過ぎないのだろう。
一方、自らの子供時代を振り返り、さらには日本に帰国後の我が子の日常生活をみれば、日本の一般的な子供の交友関係が、かなりの程度「学校」に限定され、友達は同年齢の子供ばかりであることに気づかされる。日本の子供にとって、学校は「暮らしの中心」であり、「人生の中心」になっている場合すらあるだろう。
友達と言えば学校の同学年の子ばかりで、生活のほとんどの時間を学校で過ごさざるを得ない社会で生きていれば、学校でいじめを受けた場合、いじめから逃げることは難しい。いじめがこの世からなくならない以上、せめていじめの標的になった時に安心して逃げ込める時間、空間、人間関係が大切だが、日本の子供には、それが極めて少ない。いや、「学校」を「会社」に置き換えてみれば、事情は大人でもあまり変わらないと言えるかもしれない。日本人の人生における選択肢は、広いように見えて案外狭いのではないだろうか。
日本では、親はいじめへの対応を学校に求め、私が長年働いていたマスコミもまた、いじめ問題に対する学校の「対応の悪さ・甘さ」を指弾し、学校に対して「もっとしっかりするように」と求め続けている。
しかし、学校におけるいじめで自殺する子供が後を絶たない以上、学校に過剰依存しないで済む社会の構築を進める選択肢もあるのではないか。「学校を中心に人生を送る」のではなく、社会における「居場所」を増やし、学校はその一つに過ぎない社会を作る方がいじめ自殺を減らせるのではないだろうか。コンゴ人男性の話を聞きながら、私はそのようなことを考えた。
コンゴは一人当たり年間国内総生産(GDP)が約470ドルという世界最貧国の一つで、国内のどこかで紛争が続いている。政情は常に混乱し、中央政府の統治は全土に行きわたっておらず、近代国家としての成熟度という点では日本の対極の国家である。社会科学的な見地から見れば、まさに未熟な国家であり、遅れた経済状況というほかない
つまり、コンゴの子供の人生が「学校中心」ではない状況は、意図して作られたものではない。成熟した日本が、わざわざ国内情勢を混乱させてまでコンゴのような状況を創り出す必要がないことは言うまでもない。
しかし、国家・学校・会社が全く当てにならない状況であるがゆえに、コンゴの人々が家族・地域・教会などを軸に助け合いながら生きていることが、結果的に子供の人生にある種の幅を与えている点には注目してもよいのではないだろうか。
日本人の置かれた状況とは対極の社会で生きる人々の暮らしを知り、子供の「学校依存」の度合いを低下させることの重要性に気付くことができれば、それは「いじめ自殺」の悲劇が相次ぐ現状を変える手がかりにはならないだろうか。大学で「アフリカ」を教えるに当たり、そのようなことを考えている。