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匿名の言葉、実名の言葉

アフリカ@世界
2013年のネルソン・マンデラの追悼式
2013年のネルソン・マンデラの追悼式

日本は匿名での発言が好き?

筆者のように文章を書く仕事をしていると、何らかの媒体に執筆したコラムや記事に様々な反響をいただく。とりわけインターネットの時代になって以降、寄せられる反響数は爆発的に増加した。
「自由にモノが言えない社会」よりも「他人の悪口でも自由に言える社会」の方が良いと思うので、インターネット上の書き込みの内容は、それが筆者に対する中傷や罵詈雑言であっても気にしていない。
しかし、日本語のインターネット空間の様々なコメントを眺めていると、内容よりも気になることがある。それは、日本語のインターネット空間における「匿名・ハンドルネーム」の多さだ。筆者がある程度できる唯一の外国語である英語のインターネット空間と比べると、あくまで印象に過ぎないが、日本語空間のコメントは「匿名・ハンドルネーム」のものが圧倒的に多いように感じられる。

インターネット空間だけではない。例えば、事件や事故を伝える日本の新聞の社会面には今日、「近所の男性(43)」や「同じマンションに住む女性(25)」といった匿名のコメントが多く、匿名を多用する傾向が年々強くなっているように感じる。米国や南アフリカで暮らしていた時に読んでいた英字紙では、あまり見かけなかった表記の仕方である。

総務省が毎年公表している「情報通信白書」の2014年版には、ソーシャルメディアの利用の仕方について国際比較した調査結果が載っている。例えば「Twitter」の利用状況を見ると、日本では利用者の実に75.1%が匿名である。他の国の匿名での利用率を見ると、米国35.7%、英国31.0%、フランス45.0%、韓国31.5%、シンガポール39.5%──だ。
同じ調査で「SNSの実名公開における抵抗感」を尋ねた結果をみると、日本では「抵抗感がある」との回答が41.7%に達する。他の国の回答を見ると、米国13.1%、英国11.7%、フランス15.7%、韓国11.2%、シンガポール13.6%──だ。
日本人は匿名での発言が好きなのだろうか。それとも、本当は日本人も実名で好きなことを言いたいのだが、実名で発言すると面倒なことに巻き込まれやすい社会なので匿名で我慢しているのだろうか。あるいは匿名だからこそ「真実」や「真理」に言及できる、ということなのだろうか。

「誰が言ったのか」の意味

このように書くと、匿名の投稿の正当性を支える論拠の一つとして、「重要なのは発信者ではなく、書かれた内容だ」という主張が寄せられることがある。
確かに、例えば「夕方から雨になった」「今日は学校が休みだった」というような言葉は、発言者が匿名でもハンドルネームでも構わない。これらの言葉は、誰が見ても疑いない客観的事実を説明しただけであり、価値判断が含まれていないからである。

だが、例えば「差別なんて気にすることはない」という言葉はどうだろうか。これが、激しい差別と闘った末に成功を手にした米国の黒人ビジネスマンの言葉だったならば、差別や抑圧に苦しむ多くの人を勇気づけ、励ます言葉になるかもしれない。
しかし、これが、米国社会において差別する側の集団であった白人のビジネスマンの言葉だったらどうか。人種差別の深刻さを軽視する発言として、批判が寄せられる可能性が高いだろう。つまり、この言葉は、発信者が「どこの誰か」という実名性が極めて重い意味を持っているのである。
「このコラムの筆者はバカだ」というネット上の書き込みはどうだろうか。一見、匿名でも問題ないように思える書き込みだが、匿名発信者の正体が、筆者に強い嫉妬心を抱いている同じ業界の競争相手や、個人的な恨みを抱いている職場の同僚ではない保証がどこにあるだろうか。ハンドルネームで正体を隠したままの発言は、その内容が仮に100%正しかったとしても、発言行為そのものの「公正さ」を担保できないのである。

わずかでも価値判断を含む言葉は、その言葉の意味を引き受ける個人を離れては存在し得ない。「何を言ったか」だけでなく「誰が言ったのか」が明確にされ、言葉の発信者が、その言葉を発するのに相応しい生き方をして、初めてその言葉は力を持つ。
筆者がそう考えるようになったきっかけの一つは、2014年に日本語訳が出版された『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』(明石書店)という本であった。

ネルソン・マンデラの言葉

ネルソン・マンデラが生を受けた南アフリカでは、1991年までアパルトヘイトと称する人種隔離政策が実施されていた。アパルトヘイト体制下では、全人口の15%程度を占めるに過ぎなかった白人(欧州から南アに移住した人々と、その子孫)が国土の9割近くの土地を所有し、人口の8割以上を占めるアフリカ人をはじめとする有色人種は国土の1割近くの土地に居住が制限されていた。
鉄道、郵便局、公園、学校、病院、商店、レストラン、ホテルなどの利用は人種別で、アフリカ人が利用を認められた施設や場所は全て劣悪な状態だった。交通事故の負傷者が白人ならばすぐに救急車が来たが、アフリカ人はほとんどが見殺しにされた。アフリカ人は高等教育を受けることが認められず、単純労働や肉体労働以外の職に就くことを禁止された。警察は令状なしでアフリカ人を逮捕し、警察署内では拷問が横行していた。アフリカ人に選挙権はなく、反体制運動は当然ながら禁止されていた。

1918年に南アに生まれたマンデラは、アパルトヘイト体制を打倒するために設立されたアフリカ民族会議(ANC)の幹部の一人だった。反体制運動を続けた結果、1962年8月に逮捕、国家反逆罪で終身刑を宣告され、1990年2月に釈放されるまで約27年間を獄中で過ごした。釈放後はアパルトヘイト廃止を決めたデクラーク大統領(最後の白人大統領)と民主化へ向けた交渉を主導し、1994年4月の初の全人種参加選挙を経て大統領に選出され、1999年に政界を引退した。

命がけで人種差別と闘い、27年間獄中にありながら転向しなかった点だけでもマンデラは十分に「偉大」であったが、マンデラが尊敬を集めた理由はそれだけではなかった。アフリカ人として最初の南ア大統領に就任後、マンデラが国民に呼びかけたのは「和解」であった。長年、自分たちを苦しめた白人への報復を許さず、南アは「そこに住むすべての人々のための国」だとして、国民に寛容さを求めた。自らは権力に執着せず、大統領を1期5年間務めると後進にその座を譲り、金銭にも潔癖で、私腹を肥やすことは一切なかった。
マンデラは2013年12月、多くの人に惜しまれながら95歳でこの世を去り、その葬儀・追悼式には世界各国の国家元首や王族、元大統領らの要人が参列し、日本からは皇太子殿下が参列した。

『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』は、そんな偉大な精神の持ち主であったマンデラの生前の演説、インタビューでの発言、家族や友人宛の手紙などからおよそ300の言葉を選び出し、ヨハネスブルクに本部を置く「ネルソン・マンデラ財団」が膨大な資料を収集して編集、出版した英語版の翻訳版である。

実名は言葉への責任意識

マンデラの友人だった南アのノーベル平和賞受賞者、デズモンド・ツツ元大主教は『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』の序文で、「政治屋が発する泡沫(うたかた)の言葉ではなく、聡明で見識ある立派な政治家が口にした、不朽の言葉」の集大成であると同書を紹介している。
各ページに記された言葉は二つ~三つ程度であり、それぞれの言葉は短いが、一つひとつは重くて深い。各ページには、たとえば次のような言葉が並ぶ。「人生最大の栄光は一度も転ばないことではなく、転ぶたびに立ち上がることにある」「希望は強力な武器である。世界のどんな権力も、あなたから希望を奪い取ることはできない」

同書に記された数々の言葉は、ネルソン・マンデラが遺したからこそ、人に勇気や感銘を与える。「どこかの誰か」の言葉ではなく、マンデラが自らの言葉の意味をすべて引き受け、その言葉に責任を負う生き方を続けてきたからこそ、説得力を持って人の心に届いている。
個人を離れた力ある言葉は存在しないのではないか。個人から切り離された責任ある言葉もまた、存在しないのではないか。同書を読みながら、そう思い巡らす時、日本語の言語空間の匿名化は、この国の社会の何を象徴しているのかと考える。