アジアの次なる挑戦——モノの自由貿易から「アイデアの自由な流通」へ
アジアでは物資、資本、技術、そして人材が国境を越えて移動する能力が著しく向上している。過去半世紀の間に、サプライチェーンは地域化し、投資はグローバル化した。
この地域が直面する多くの課題、例えば高齢化、都市への集中、気候変動、拡大する格差、デジタルトランスフォーメーション(DX)なども国境を越えている。国ごとに異なって見えるかもしれないが、これらは一国だけの問題であることはまれであると同時に、一国だけで解決できるものでもない。
大気汚染は中国から韓国へ移動する際にパスポートが確認されるわけではなく、日本の水域であるかインドネシアの水域であるかを海が気にすることはないのだ。
これらの課題や機会は明らかに相互に関連しているにもかかわらず、しばしば断片的で内向きな対応に終始している。相互学習を通じて新たな知識を生み出し、共有し、洗練させるという方法が、現実の状況に追いついていない。
日本と韓国はこうした課題が特に顕著だ。両国では、慣れ親しんだ枠組みのなかに留まろうとする傾向が強い。研究者は自国の言語だけで論文を発表し、企業は国内の競合他社をベンチマークにする。財団などは国内だけでネットワークを構築し、政策立案者が真っ先に参照するのも自国の事例だ。時に海外に目を向ける場合でも、それは往々にして西洋の枠組みだ。
アジアの仲間同士の間でも、体系的な学びは驚くほど限定的といえる。この地域や国際的な議論は、英語の利便性と、中国やインドなどの大きな市場の力に影響され、意図せずとも、他の地域の声が過小評価されがちだ。これは我々が関わるソーシャル・インパクトの分野においても際立っている。
アジア全体をカバーすることを目指す多くの会議でも、日本や韓国からの参加者はいまだに限定的だ。
また、地域研究や助成活動も、これらの国々が提供できる専門知識、資本、そして生活経験が十分に活用されていない。言語の壁や文化的なニュアンスの微妙な違い、追加的に発生する時間や費用が、障害ではなく投資として捉えられることも非常にまれだ。
ただ、何かひとつだけにその責任があるわけではない。日本や韓国では、何か大きな、あるいはなじみ深いエコシステムからこそ解決策が導かれると考えられるきらいがある。それにより、東南アジアや南アジア、その他の地域からのイノベーションを見落としがちだ。
しかし、アジアの複雑な問題への最も創造的な対応は、最も資源が限られている場所で生まれている。不足していることが制約ではなく、創意工夫の触媒となることもあるのだ。
そもそも、アジアはイノベーションの不足に悩んでいるわけではない。パキスタンから日本、モンゴルからインドネシアまで、コミュニティー、慈善団体、社会的企業、一般企業、投資家、政府が日々新しいアプローチを試みている。
ここで問われているのは、伝播(でんぱ)させる力だ。有望なアイデアの多くが、一つの地域や特定の受益者グループの状況の改善だけにとどまっている。言語や地理、組織、分野の壁に阻まれ、類似の状況にある他者にまで届くことはまれだ。
西洋の慈善活動(フィランソロピー)や国際開発援助がますます不確実になっている現状で、アジア諸国はより重要な役割を果たすべきだ。この信念は、共同執筆者が所属する二つの組織の原動力にもなっている。
トヨタ財団は、1974年の設立以来、特にアジア地域内で国境を越えた助成活動に積極的に取り組んでいる。それぞれの「隣人」をより理解するために、50年以上にわたり、国や地域、そして分野を横断する交流を支援してきた。その根底には、相互学習を通じて互いを理解し合うことで、長期的な社会的レジリエンスが促進されるという信念がある。
Centre for Asian Philanthropy and Society(CAPS)は2013年に香港で設立され、この地域の経験と高い志を生かし、アジア主導で独立した研究とリーダーシップを推進してきた。
また、「Impact Network」のようなプログラムを通じて知識を実践に移すことを目指し、サステイナビリティー、ESG、CSRなどの社会貢献に取り組むアジア企業のリーダーコミュニティーを構築している。最も有益な知見とは、1人が机に向かって考えるものではない。
ビジョンとリーダーシップを持ち、異なる状況で似た課題に取り組む人々の率直な対話から生まれる場面を、こうした取り組みを通じて幾度も目のあたりにしている。
では、必要とされる相互学習とはどういうものなのか?
ここでは、逆に相互学習「ではない」ことを考えてみたい。
それはいわゆる「ベストプラクティス」や「成功事例」を丸ごとコピーすることではない。社会的課題は歴史、制度、文化、そして何よりもそれが影響を与える人々によって形作られる。一国の中ですら、一つの都市で成功したアプローチが別の都市で失敗する可能性がある。国境を越えた場合、その難しさがさらに増すことは明らかだ。
つまり、解決策とされるものを無条件に輸入することではないのだ。国境を越えた学びとは、問題の理解を広げ、それらを形成する利害関係者のコミュニティーを拡張することだ。それは質問を投げかけ、前提を疑うことで、現地のニーズにアイデアを適応させるきっかけを与えてくれるものだ。時には、迅速な答えではなく、道を切り開く質問それ自体が本当の成果となることもある。
その意味で、日韓協力は自然な出発点だ。アジアのOECDメンバーである両国は、重なる課題を抱えながらも、それぞれ異なる強みを持つ。
ともに民主的で市場ベースの制度を持ち、技術的にも高度なレベルにある。歴史的つながりは深く、文化、言語、制度に持続的な影響を残している。今日では、急速な高齢化、人口減少に直面し、より包括的で持続可能な社会経済モデルを追求している。
一方で、両国はそれぞれ異なる能力を育んできた。例えば、日本は高齢化、地域活性化、災害レジリエンスにコミュニティーベースで対応する経験を数十年にわたって積み重ねてきた。韓国は急速なデジタルトランスフォーメーション、起業家精神、新たな官民協力の試みで知られる。どちらも未来への明確な青写真を描けているわけではないが、お互いの可能性を広げる知識は蓄積されているはずだ。
この考え方は、アジア全域で適用できる可能性もある。シンガポールの公共部門のイノベーション、インドのラストマイル配送ソリューション、フィリピンの市民社会の活力、中国の社会貢献のためのデジタルプラットフォームの進歩など、いずれも貴重な教訓を提供し得る。
アジアの次なる繁栄は、新しいテクノロジーや投資、あるいは政策だけでなく、意図を持って学び合う力があるかどうかにかかっている。
アジアは国境を越えてモノを移動させるインフラを構築してきた。今後の大きな連携に向けた試みは、これまでの自由貿易協定(FTA)のようなものではなく、アイデアや経験、実践的な知恵をより自由に流通させることが鍵となりそうだ。
次のブレークスルーは、何かまったく新しいものを見つけることではなく、優れたアイデアをより遠くまで届けることから生まれるのではないだろうか。