SNSで爆発人気「ウベ」はポスト抹茶になれるか? ナタデココの教訓とフィリピンの挑戦
マニラ首都圏の生鮮市場ではウベ芋の値上がりが急だ。
ケソン市最大級の野菜市場メガキューマートで根菜類を扱う卸・小売りのスーザン・レオノールさんの店では2026年に入り、1キロ100ペソだったのが120ペソ、150ペソとなり、現在は180ペソ。近郊カビテ州の農家が持ち込むものを1カ月に2度買い上げるが、小売店などからの引き合いが急増している割に入荷量は横ばいなので毎月のように値札を付け替えている。
インフレで他の食材価格も上がっているが、ウベは飲食店での需要増を反映して高騰が際立つ。
フィリピンではウベを使った食品やスイーツは昔から親しまれていた。
ほのかな甘さ、ナツのような香り。粉末やペースト、冷凍ピューレに加工し、菓子やアイスクリームを彩ってきた。代表的なデザート「ハロハロ」にウベは欠かせない。マンゴーや甘く煮た豆、ココナツ、練乳などをハロハロ(ごちゃまぜ)にしたかき氷だ。
2025年以来、世界各地で人気が急上昇している。ロサンゼルスやロンドン、ソウルの街角でウベを扱うスイーツの店には行列ができる。
こうした情報がフィリピンにも環流し、国内でも食品やレストランチェーンから個人商店までウベを扱う店が急増、生産が追い付かない状況になりつつある。利用法もハラヤと呼ばれるペースト状の菓子やハロハロなど従来のメニューに加え、豆腐にシロップをかけたターホやクッキーに混ぜたり、ジャムにしたりと幅を広げている。
人気の理由はやはりSNSだ。フィリピン人の海外出稼ぎ労働者らが故郷自慢で投稿したことをきっかけに、各地のインフルエンサーが競ってその色鮮やかさを取り上げ出したことがブームにつながったという。
マニラ首都圏近郊アンティポロ市で2025年3月からウベ製品の販売を始めたラルフ・ピネダさん(39)夫妻はブームに乗って売り上げを数倍に伸ばしている。
幹線道路沿いの間口3メートルほどの店舗兼工場でスタートしたが、間もなく市内の別の場所に広大な工場を新設し50万ペソ(約125万円)のミキサーなど多くの機材をそろえて量産体制を整えつつある。従業員も9人雇用した。
ピネダさんは子どものころからウベが大好きで、結婚祝いのお金を元手に11年、手作りのハラヤを友人や職場の同僚に売る副業を始めた。
しかし手作業では生産に限界があり、継続できなかったが、機械を導入する資金のめどがたち起業にこぎつけた。「タイミングが本当に良かった。外国からも引き合いが来るようになった」と成功を喜ぶ。
フィリピン・アンティポロ市の位置=Googleマップより
フィリピン統計庁の貿易統計によると、ウベを含むヤム芋の25年の輸出額は約187万米ドルで、前年の約98万米ドルからほぼ倍増した。輸出量は約980トンと2倍を超えた。
最大の輸出先は米国で全体の4割余りを占め、オーストラリア、カナダ、英国が続く。米国へは41.3万米ドルから83.2万米ドルに倍増、カナダは6.5万米ドルから24.9万米ドルへ約3.8倍、英国は8.1万米ドルから22.0万米ドルへ約2.7倍に増えた。
地元紙インクワイラーよると、粉末やペーストなどの加工品を含めたウベの輸出額は、貿易産業省の集計で306万米ドルに上った。
フィリピン農業省は26年8月中旬、各地の植物検疫所に対し、食用、植え付け用、研究用など用途を問わず対象となる生鮮ウベには輸出に必要な植物検疫証明書を発行しないよう指示した。禁輸は現在のマルコス政権が終わる28年6月まで継続する。
ウベは芋を切って植える。食用に輸出された芋も、そのまま種芋になる。
芋がひそかに国外へ持ち出されていた形跡があり、タイやベトナムがウベ栽培に乗り出しているとされる。農業省はフィリピン大学ロスバニョス校と組んで在来品種の遺伝子解析を進めている。品種を登録して盗用を防ぎ、輸出先で「本物」と証明できる仕組み作りをめざす。
ティウ・ラウレル農業相は「種芋が不足している。競争しかねない国には種苗を輸出したくない」と述べた。一方で、対象は種芋として使える未加工の生のウベのみであり、加工品は含まないと釈明し、「ウベ禁輸」との報道を否定。菓子類などの製品や粉末、ペーストなどの加工品の輸出は推進すると強調した。
農業省は26年10月、ウベの増産計画を発表した。27年には3億ペソ(約7億5000万円)をかけて栽培面積を1000ヘクタール増やして現在の倍以上とし、28年までに4倍に広げる計画だ。
農業省はこれまでに中部のレイテ島やボホール島の農家に種苗6万本余りを配った。各地の農家や首長らからも種芋配布の要望が相次いでいるという。
ウベは植えてから収穫まで最低9カ月かかるが、これを6カ月に縮める研究も進めている。業界団体「ユナイテッド・ウベPH」が26年8月に発足した。政府は業界と作業部会をつくり、ウベの定義や、加工品の品質規格の統一に乗り出す。
他方ブームの陰で、国内の生産は落ち込んでいる。統計庁によると、25年の生産量は1万2483トンで、前年より6.7%減った。
統計でさかのぼれる10年以降で最も少なく、10年の2万1906トンと比べると4割以上減っている。主要産地を襲った台風が原因だという。26年上半期の生産量は前年同期より17%増えたが、24年同期の水準にはまだ届いていない。
世界的ブームが訪れているといっても小規模の農家にその恩恵がすぐに及ぶわけではない。多くは豆やカボチャ、ニガウリなど短期間で収穫できる作物を選ぶ。
質の良い種芋の入手も容易ではない。政府がウベの振興に乗り出したのは需要が急増した最近のことだ。それまでウベはバナナやマンゴー、コーヒーに比べてニッチな作物に過ぎなかった。
私がここで思い出すのが、ナタデココだ。
ココナツ水にナタ菌や砂糖、酢を加えて発酵させた半透明のゼリー状の食品。日本で1993年ごろ、ファミリーレストランのメニューになったり、テレビCMがヒットしたりして突然、爆発的なブームとなった。
現地にも「日本で売れる」という情報が届き、狂騒曲が始まった。ウベの研究で中心的な役割を担うフィリピン大学ロスバニョス校は、ナタデココでも主役だった。同大学が93年7月に無料の講習会を開くと、会場は数時間前から人であふれた。
「3カ月で元が取れる」と、うわさが口コミで広がった。実際、民家の庭先にまで仲買人や商社員がやってきた。家具店や美容院の前にも発酵用のトレーやバケツが並んだ。大学の学長も学生も銀行員も製造に走った。子どものテレビゲームを売ったお金をつぎ込んだ母親もいた。
1キロ7ペソだった買い取り値は、その年の末には23ペソに跳ね上がった。同大生協は「ナタ・ローン」を新設し、組合員242人が計317万ペソを借り、機材に投資した。1人平均1万ペソ以上、当時の月給は3000~4000ペソだから、ざっと3倍に当たる。
ナタデココの輸出額は、92年まで年100万米ドル程度だったのが、93年には2600万米ドルに急増した。その95%以上が日本向けだった。
ところがブームの終焉(しゅうえん)は突然やってきた。
出荷量は93年12月の540万キロを頂点に、翌月には290万キロにほぼ半減した。2月に160万キロとなり、以後200万キロを超える月はなくなった。
私は新聞社のマニラ駐在時代の94年、ナタデココの盛衰を取材するためロスバニョスを訪ねた。現地での買い取り値も半値に落ち、仲買人は姿を消していた。
ナタ・ローンの借り手のうち161人は返済できずにいた。町の民家の軒先には、借金して買ったトレーが白く積み上がっていた。生き残ったのは、品質管理のできる大手だけだった。
日本の買い手は品質の基準を厳しくし、日本企業が自ら生産にも乗り出した。その後、フィリピン産にホルマリンが混入しているという根拠のないうわさも広がった。何より日本の消費者は移り気だ。
現地紙ビジネスミラーは26年7月の社説でこのナタデココの顚末(てんまつ)を取り上げ、流行に頼った作物振興への戒めとした。そのうえで、今は1990年代より輸入国の規制がはるかに厳しく、増産だけでなく基準を満たすための支援が欠かせないと訴えた。
規模の面でも、ウベはまだ入り口にいる。ナタデココの93年の輸出額は、今のウベ(加工品も含む)の8倍を超えていた。
抹茶との差はさらに大きい。日本の緑茶の輸出額は25年に約721億円と前年のほぼ2倍になり、その8割余りを抹茶などの粉末茶が占めた。ウベの輸出額の約150倍にあたる。
一方ココナツ水があればどこでも作れるナタデココに対して、ウベには土壌や気候と結びついた在来品種がある。今回は政府も支援の姿勢を見せている。
しかし栽培面積を倍増させる計画が実現したとしても、収穫が増えるころまで世界の需要が続いている保証はない。増産を急げば、ナタデココ同様供給過剰を招くおそれがある。
一方で、増産が遅れれば、市場はベトナムなど他国に奪われかねない。禁輸で稼いだ時間のうちに、種芋の供給、農家の組織化、品質基準とブランドを整えられるか。紫の芋はフィリピンの農業政策の成熟度を試している。