「メイヤー(市長)」フィリピンのドゥテルテ大統領は、国の政治を任されて2年半がたついまも、こう呼ばれることを好む。1988年から計20年以上にわたってダバオ市長を務め、夜間の飲酒禁止や麻薬犯罪対策など、独自の統治で全国に名を広め、その「功績」に本人も胸を張っているからだ。ダバオはしばしば、ドゥテルテのおかげで「フィリピンで最も安全な都市」になった、とうたわれる。
本当にそうなのか。2人の母親に話を聞いて私にはわからなくなった。
ダバオの海岸沿いの村で魚を売るルビー・アビアビ(50)は2年前、自宅で複数の男に21歳の息子アルビジェイを射殺された。パンという銃声を聞いて集まった近所の人たちが、立ち去る男たちの姿を見た。顔を隠した者も、そうでない者もいたという。家の床にはアルビジェイの遺体が転がり、傍らに拳銃が置かれていた。アルビジェイは1年ほど麻薬を使っていたという。
「友だちの影響だった。安いシャブ(覚醒剤)は150ペソ(約320円)ほどで買える。麻薬を売れば1時間で2000~3000ペソ稼げると人に聞いた」とルビーは話す。海辺の貧しい集落で、アルビジェイは仕事を見つけることもできず、魚をとるなどして暮らしていた。麻薬にかかわったのは事実だ。でも、とルビーは言う。「息子が拳銃など持っているはずがない。銃で抵抗したように見せかけて殺すためのでっち上げだ。売人や麻薬を使う人をたくさん知っていたから、口封じに殺されたのかもしれない」。
事件が起きたのは2016年1月。ちょうど大統領選に出馬した市長のドゥテルテが、「ダバオの町は私の(実績の)展示場だ」「犯罪に関して私は強硬派。当選したら麻薬、犯罪、腐敗を止めさせる」と演説などでアピールしていたころだ。地元紙では、「警察が最重要の麻薬犯罪容疑者を殺害」と事件が報じられた。だが、息子を殺したのは誰なのか、ルビーには今になってもよくわからない。「警察だという人もいる、DDSがやったという人もいる」。
DDSとは「ダバオ暗殺団」(Davao Death Squad)のことだ。ドゥテルテの指示に従い、犯罪者の一掃のために動く自警団のような殺し屋集団とされる。80年代までフィリピン共産党の軍事部門・新人民軍(NPA)の勢力が強かったダバオでは自警団の活動が根づき、犯罪者を法で裁くよりも、殺害して問題を片づける素地となったとも指摘される。
ドゥテルテが大統領就任後の16年9月には、DDSの元団員という男性が、「ドゥテルテの指示を受けて約50人を殺害した」と公の場で話し、「犯罪者」らを「生きたままワニのえさにすることもあった」と述べた。17年2月には別の元警察官の男性が会見を開き、「自分はDDSの活動の中心にいた」と証言。誘拐事件に関わった人物の家族を幼児も含めて皆殺しにすると、「ドゥテルテ氏の市長室から、2万~10万ペソ(約4万5千~22万5千円)が支払われた」と話した。暗殺団は当初、麻薬犯罪の元締を懲らしめるために設立され、その後、ドゥテルテ氏の指示でジャーナリストの殺害も請け負ったという。フィリピン政府はDDSの存在を否定している。
「DDSに息子たちを殺された」と信じる女性がいる。ダバオで出会ったもう1人の母親クラリタ・アリア(64)。身元不明の犯人に、01~07年の間に4人の息子を次々と殺害された。クラリタによると、最初のきっかけは17歳の次男リチャードにかけられたレイプ疑惑だった。訪ねてきた警官にクラリタは「証拠があるわけじゃない」と抵抗し、次男を守ったつもりだった。
今思えば、それで警官の気分を害したのかもしれない。「気をつけろ。お前の息子は全員、1人ずつ殺される」と警官に言われた。その後、3週間もたたないうちにリチャードは何者かに全身を刺されて殺害された。その3カ月後に三男、その後四男が殺害され、一時避難していた五男も、ダバオに戻った07年に何者かに殺された。残る2人の子どもや孫の身を案じてこれまで過ごしてきた。殺害された息子たちは、盗みをしたり、ラグビーとよばれる接着剤を吸ってハイになったりと、それぞれ問題を抱えていた。クラリタは「あの警官はDDSのメンバーだったのだと思う」。そして、当時「犯罪者はダバオから出ていったほうが身のためだ」と話していたドゥテルテが、息子たちの殺害の背後にいるはずだと主張する。
ドゥテルテが大統領になり、マニラ首都圏などで麻薬犯罪者とされる人たちが殺される事件が相次ぐようになったのを見ても、驚かなかった。ダバオは最も安全な町だという話をテレビで聞くと、「よくもそんなことがいえる」と思う。「麻薬犯罪対策をするのはいい。でも殺されるのは小さな人々ばかりだ」と現政権の麻薬犯罪への対応を批判する。
「知人がメンバーだ」「もしかすると会えるかも」というダバオの記者仲間らを頼り、私もDDSの実態を知るため、メンバーを紹介してもらえないかとアプローチを試みた。だが、結局誰にも会うことができずにいる。
DDSとは警官らの組織的な動きなのか、自発的な市民の自警団なのか。虚構なのか、実在するのか。いずれにしても、まるで町をクリーンにするために、犯罪に関わる人を殺害し、ほうきで外に掃き出そうとするかのようだ。
「デビッド司祭がドラッグを売っていることがわかったら、あいつの首をはねてやる」。今年11月下旬、ドゥテルテは演説で突然、ある司祭の名前を挙げてこう批判した。その後、この司祭が、ドゥテルテ政権の麻薬犯罪政策を批判するコメントをしてきた人物のことだと判明した。
こんな風に、自分の邪魔になる人を麻薬犯罪と関連付けてドゥテルテが名指しすると、組織的なのかボランティアなのか、意に沿うようにその人物が消されることがたびたび起きてきた。まるでDDSがフィリピン全土にいるようかのように。このため、家族や国民はデビッド司祭の身を案じている。
ドゥテルテは本当に麻薬をなくそうとしているのか。疑問がわいてくるような発言が12月3日にもあった。「目が覚めるようにマリフアナを使っているんだ」。ドゥテルテはフィリピンで使用が禁止されているマリフアナについてこう演説で話し、後になって、「もちろん冗談。ユーモアは私のスタイルだ」と打ち消してみせた。
麻薬犯罪捜査の過程で、少なくとも5千人の国民が命を落とす中、麻薬をなくそうと先頭に立っている人の発言とは思えない。ドゥテルテは意のままに人々を操り、国をつくるためのキーワードとして「麻薬」を使っているだけではないのか……。ドゥテルテの任期が切れる3年半後、累々と積み上げられた遺体のほかに、フィリピンが手にしたものを見ることができるのだろうか。