「失敗国家」のレッテルを剥がせ――停電とモノ不足のキューバで、市民たちが音楽と共に紡ぐリアルな日常
1. 米国の制裁と石油供給停止により、キューバは停電と深刻な物不足に。インフレで物価が急騰し、配給も減る中で市民生活は困窮している
2. 外貨の有無による経済格差が拡大。輸入食品が並ぶ店がある一方で、多くの市民は高騰する物価に苦しみ、食料配給所には長い列ができている
3. 経済の停滞に対し、民間企業「MIPYME」を立ち上げ、ITや飲食など新しい仕事に挑戦する新しい世代が増えている。社会主義体制の変化の中で未来を模索している
4. 停電などの不便な環境下でも、人々は支え合い、音楽やダンスを楽しむ。「ノーチョイス」と笑い、人との絆を大切にしながらたくましく日常を生き抜いている
ハバナの空港を出るとすぐさま、かっぷくのよい男性が笑顔で近づいてきた。
「タクシー?」
観光はキューバの主要産業だが、外国人観光客は激減している。空港前では、タクシー運転手たちが少ない客を奪い合っていた。
車は旧市街へ向かって走り出したが、途中で突然、ガソリンスタンドの列に並んだ。
「ガソリンを入れてくるね」
有無を言わせない口調だった。
15分ほど待ってようやく順番が回ってくる。運転手は、自前のタンクになみなみと給油した。あとで知ったのだが、当時ハバナ市内のガソリンスタンドの多くは営業停止状態だった。
燃料が不足していたからだ。住民向けの給油は、国のアプリで「数カ月待ち」になっていた。観光客向けタクシーは、特別待遇だったのだ。
トランプ政権による制裁強化で、キューバはエネルギー危機が深刻になっていた。海外からの石油供給は2026年1月以降、事実上滞っている。断続的な停電に加え、交通網にも影響が広がっていた。
「今は移動が本当に大変。バスも減ったし、タクシー代も高い」
現地に住む日本人はそう話した。
街の風景は2025年12月にキューバを訪れたときと比べて、だいぶ変わっていた。
かつて目立っていた1940、50年代の米国製クラシックカーが少なくなり、その代わり、中国製の電動三輪車や電動バイクが多くを占めていた。荷台に6人ほど乗せる電動三輪車がクラシックカーに代わって、乗り合いタクシーになっていた。
「家庭用コンセントで充電できるので、停電が多くても、なんとかなる」
運転手はそう言って笑った。
ハバナの中心部を歩いた。エネルギー危機で自宅待機も多いからか、街には人があふれていた。話し声が響き、音楽が聞こえてくる。
あちこちで、人だかりに出くわした。
銀行のATMに並ぶ人たちだった。列というより群衆に近い。どこが最後尾なのかもわからないが、地元の人が「順番になっている」と教えてくれた。
「現金が足りない。インフレで紙幣の印刷が間に合っていない」
順番を待っていた男性はこう話した。
パンの配給所の前にも、大きな人だかりができていた。
「配給は減り、いつ入るのかもわからない。パンは、1日あたり1人1個と決まっている」
近くにいた女性がいう。
かつてキューバでは、配給制度によって牛乳や肉なども含め、生活必需品が安価に支給されていた。しかし現在は、支給品が減り、配給だけで生活することは難しい。
問題は「足りない分」を市場で手に入れようとすると、価格があまりにも高いことだ。
「毎週のように値段が変わる。油はとくに、なかなか手に入らない」
ハバナに住む40代男性は、ため息交じりにそう話した。
現在の月収は平均7000ペソ(約13.1米ドル、2090円)程度だが、、鶏肉1キロは1000ペソ(約1.8米ドル、約287円)前後、料理油はボトル1本1100~1500(約2.0米ドル~2.8米ドル)ペソ。
卵は1個100ペソ(約0.18米ドル、約28円)、値上がりが続くじゃがいも、トマト、米は1ポンド(0.45キロ)当たり、各450ペソ(約0.84米ドル、約134円)、250ペソ(約0.46ドル、約102円)、350ペソ(約0.65米ドル、約103円)に達する。
インフレと通貨安で、市民生活は急速に苦しくなっていた。
注:6月5日時点でのキューバ中央銀行による両替レート(実勢レートに応じた変動制)は1米ドル≒533ペソ(キューバ中央銀行、両替所のレートのサイト:https://www.bc.gob.cu/tasas-de-cambio このほかに実勢レートのサイトもありさらにペソ安が進んでいる。それによると6月5日現在、1米ドル≒610ペソhttps://eltoque.com/)
その一方で、街には以前より多くのスーパーやレストランが並んでいる。
店にはものがあふれ、飲食店で世界各国の料理がふるまわれている。外貨で支払う「ドルショップ」には輸入食料品が並び、規制緩和で増えた民営中小企業「MIPYME(ミピメ)」のスーパーは品ぞろえも豊かだった。
「海外に家族がいて、送金を受けられる人はいい。でも、多くの人は外貨を得る手段がない」
飲食店勤務の40代男性はそう話した。
ハバナでは「ゴミ問題」も深刻だった。街角には回収されないゴミが積み上がり、路上に散乱している場所も多かった。
私の印象では、キューバの人たちはもともときれい好きだ。毎朝家の前を掃き清め、ブラシで水洗いする光景を見てきた。清掃員たちも早朝、ほうきを手にゴミを集めていた。
しかし近年は、エネルギー危機による燃料不足などの影響で、ゴミ収集が追いつかなくなっている。
私が滞在していた3月は、民営企業向けに石油輸入が認められたことで、ようやく収集車が少しずつ動き始めていた。とはいえエネルギー危機の影響もあり、2025年にはハバナで目にした日本のODAで供与された圧縮式のゴミ収集車ではなく、大型トラックの荷台に、ショベルカーですくったゴミを積み込むだけの応急処置だった。
街のここかしこに捨てられたゴミを片づけるには、到底追いつかない。
現地でよく耳にしたのが、「特別期間」という言葉だった。
ソ連崩壊後の1990年代、輸入が激減して国家経済が危機に陥った時代を指す。当時、人びとは自転車で通勤し、食料不足に苦しんだという。
「今は、あの頃に戻ったみたいだ」
ビシ(自転車)タクシーの運転手はこう話した。
ただ当時と比べ、現在の危機はより複雑だ。米国の制裁による外圧とともに、物価高をはじめとする国内経済の混乱や、外貨を持つ人と持たない人の格差拡大が同時に進んでいるからだ。
「前みたいに、近所のお年寄りを手伝えなくなった」
こう話す70代の女性は、配給だけでは足りず、毎日の食料探しに追われている。
かつてキューバでは日常のなかで助け合いの場面を目にすることが多かった。民泊に泊まると、近所の人が自然に出入りし、一緒に食事をしたり、足りない物を融通し合ったりする光景をよく見かけた。
革命政府は長く、「貧富の格差をなくす」ことを掲げ、比較的平等な社会を維持してきた。しかし近年は、食料価格の高騰と慢性的なモノ不足で、人びとの時間や経済の余裕が失われつつある。
それでも、社会の支え合いが完全に失われたわけではない。
市民団体などは、無料に近い価格で食事を提供している。海外から届いた支援物資は、高齢者や妊婦、病気を抱える人たちへ優先的に配布されていた。
食料や物資の高騰、長引く停電、燃料不足。日々忍耐を要する環境のなかでも、人びとは日常を続けていた。
大人たちはドミノゲームを囲み、子どものサッカーやバスケットボールを応援する。週末になれば、大通りに人が集まり、ホールではサルサを踊る人たちの熱気にあふれていた。
心を前向きに保つコツがあるのか、聞いてみると、
「ノーチョイス」(そうするしかない)
と笑うキューバ人は多かった。
もちろん、キューバを取り巻く現状に人びとの不安がないわけではない。
当時は、トランプ大統領がキューバへの強硬姿勢を示し、「次はキューバだ」と発言していた時期でもあった。将来への不安について尋ねると、多くの人が、自国政府への不満や改善してほしい点を口にした。
「もっと経済改革を進めるべきだ」
「停電やインフレをなんとかするべきだ」
といった声も多かった。
一方で、社会の方向性については、人によって考え方が大きく異なっていた。
「まわりではトランプを支持している人も多い。ただ、本当にキューバの人びとのためになる政策をするのかは不安だ」
そう語る人もいれば、
「最近は政治の話をすると、家族でも意見が割れてしまう」
と苦笑する人もいた。
いまのキューバには、「現状を変えたい」という思いと、「この国の主権や社会をどう守るのか」という議論が同時に存在している。
そのなかで、民間中小企業「MIPYME」を始める新しい世代も増え、カフェや配送業、IT関連など、新しい仕事を模索する動きも広がっている。
キューバの人びとが逆境に立ち向かう強さを実感したのは、3月に頻発した大規模停電のときだった。
停電が発生したとき、私は停電の影響を受けにくい旧市街のレストランにいた。しかし、電気が止まったため、「飲み物しか提供できない」と言われた。
次に、計画停電に慣れた新市街の食堂に行くと、店内は暗いまま、豆のポタージュや煮込み料理、ライスが次々と運ばれてきた。
停電直後も、市民は驚くほど落ち着いていた。スマートフォンで停電アラートを確認しながら、「復旧は何時ごろになりそう」と話し合っている。
道路の信号は消えていたが、車もバイクも互いに譲り合いながら進んでいた。
夕方になると、街に出る人の姿が次第に増えた。サッカーやバスケットボールをする子どもたちの様子を親たちが見守り、声援を送っている。大人たちも立ち話や、ドミノゲームをしながらくつろいでいる。
日が暮れると、街はいっそうにぎやかになった。音楽が鳴り響き、笑い声や歌声も聞こえてきた。リズムに乗って踊る人の姿もあった。
停電になれば、家でできることは限られる。外へ出て、人びとは集い、時間をともにしていた。
キューバの先行きを見通すのは難しい。ただ厳しい現実のなかでも、目の前が暗闇に包まれていても、現地の人たちは楽しみを見いだす術を知っている――そんなふうに私の目には映った。