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「失敗国家」のレッテルを剥がせ――停電とモノ不足のキューバで、市民たちが音楽と共に紡ぐリアルな日常

World Now 更新日: 公開日:
野菜果物マーケット=2025年12月、ハバナ、斉藤真紀子撮影

「キューバは失敗国家だ」「すでに破綻(はたん)している」――。そう言ってはばからない米トランプ政権の強い圧力に加え、2026年1月からのエネルギー供給停止により、キューバは深刻な停電と物不足という危機に瀕(ひん)している。 だが、2026年3月に筆者が首都ハバナを訪れて目にした光景は、報道される「崩壊」のイメージとは異なっていた。刻々と変化する社会主義のシステムの中で、新しいビジネスに挑む人々。そして、不足するモノを工夫して補い合い、家族や友人との絆を大切にしながら、音楽やダンスと共にたくましく生きる人々のリアルな日常だった。 キューバは本当に「終わった」国なのか。15年以上にわたり現地を取材してきた筆者が、世界が抱くイメージと、現地で懸命に未来を紡ぐ人々の現実との間に横たわるギャップを追った。

ざっくり要点

1.  米国の制裁と石油供給停止により、キューバは停電と深刻な物不足に。インフレで物価が急騰し、配給も減る中で市民生活は困窮している

2.  外貨の有無による経済格差が拡大。輸入食品が並ぶ店がある一方で、多くの市民は高騰する物価に苦しみ、食料配給所には長い列ができている

3.  経済の停滞に対し、民間企業「MIPYME」を立ち上げ、ITや飲食など新しい仕事に挑戦する新しい世代が増えている。社会主義体制の変化の中で未来を模索している

4.  停電などの不便な環境下でも、人々は支え合い、音楽やダンスを楽しむ。「ノーチョイス」と笑い、人との絆を大切にしながらたくましく日常を生き抜いている

電動自動車の乗り合いタクシー=2025年12月、ハバナ、斉藤真紀子撮影

ハバナの空港を出るとすぐさま、かっぷくのよい男性が笑顔で近づいてきた。

「タクシー?」

観光はキューバの主要産業だが、外国人観光客は激減している。空港前では、タクシー運転手たちが少ない客を奪い合っていた。

車は旧市街へ向かって走り出したが、途中で突然、ガソリンスタンドの列に並んだ。

「ガソリンを入れてくるね」

有無を言わせない口調だった。

15分ほど待ってようやく順番が回ってくる。運転手は、自前のタンクになみなみと給油した。あとで知ったのだが、当時ハバナ市内のガソリンスタンドの多くは営業停止状態だった。

燃料が不足していたからだ。住民向けの給油は、国のアプリで「数カ月待ち」になっていた。観光客向けタクシーは、特別待遇だったのだ。

トランプ政権による制裁強化で、キューバはエネルギー危機が深刻になっていた。海外からの石油供給は2026年1月以降、事実上滞っている。断続的な停電に加え、交通網にも影響が広がっていた。

「今は移動が本当に大変。バスも減ったし、タクシー代も高い」

現地に住む日本人はそう話した。

街の風景は2025年12月にキューバを訪れたときと比べて、だいぶ変わっていた。

かつて目立っていた1940、50年代の米国製クラシックカーが少なくなり、その代わり、中国製の電動三輪車や電動バイクが多くを占めていた。荷台に6人ほど乗せる電動三輪車がクラシックカーに代わって、乗り合いタクシーになっていた。

「家庭用コンセントで充電できるので、停電が多くても、なんとかなる」

運転手はそう言って笑った。

ガソリンスタンドの多くが閉店していた=2026年3月、ハバナ、斉藤真紀子撮影
ハバナの街並み=2026年3月、斉藤真紀子撮影

物価高と配給不足――「足りない」が当たり前の街で、市民を追い詰めるインフレの現実

ハバナの中心部を歩いた。エネルギー危機で自宅待機も多いからか、街には人があふれていた。話し声が響き、音楽が聞こえてくる。

あちこちで、人だかりに出くわした。

銀行のATMに並ぶ人たちだった。列というより群衆に近い。どこが最後尾なのかもわからないが、地元の人が「順番になっている」と教えてくれた。

「現金が足りない。インフレで紙幣の印刷が間に合っていない」

順番を待っていた男性はこう話した。

パンの配給所の前にも、大きな人だかりができていた。

「配給は減り、いつ入るのかもわからない。パンは、1日あたり1人1個と決まっている」

近くにいた女性がいう。

かつてキューバでは、配給制度によって牛乳や肉なども含め、生活必需品が安価に支給されていた。しかし現在は、支給品が減り、配給だけで生活することは難しい。

問題は「足りない分」を市場で手に入れようとすると、価格があまりにも高いことだ。

「毎週のように値段が変わる。油はとくに、なかなか手に入らない」

ハバナに住む40代男性は、ため息交じりにそう話した。

現在の月収は平均7000ペソ(約13.1米ドル、2090円)程度だが、、鶏肉1キロは1000ペソ(約1.8米ドル、約287円)前後、料理油はボトル1本1100~1500(約2.0米ドル~2.8米ドル)ペソ。

卵は1個100ペソ(約0.18米ドル、約28円)、値上がりが続くじゃがいも、トマト、米は1ポンド(0.45キロ)当たり、各450ペソ(約0.84米ドル、約134円)、250ペソ(約0.46ドル、約102円)、350ペソ(約0.65米ドル、約103円)に達する。

インフレと通貨安で、市民生活は急速に苦しくなっていた。

注:6月5日時点でのキューバ中央銀行による両替レート(実勢レートに応じた変動制)は1米ドル≒533ペソ(キューバ中央銀行、両替所のレートのサイト:https://www.bc.gob.cu/tasas-de-cambio このほかに実勢レートのサイトもありさらにペソ安が進んでいる。それによると6月5日現在、1米ドル≒610ペソhttps://eltoque.com/

配給所の前で遊ぶ子どもたち=2026年3月、ハバナ、斉藤真紀子撮影
配給で足りない米や砂糖、卵を売る店=2026年3月、ハバナ、斉藤真紀子撮影

「外貨」の壁とゴミの山――分断される社会と、危機の中でも動き出した新たなビジネスの光

その一方で、街には以前より多くのスーパーやレストランが並んでいる。

店にはものがあふれ、飲食店で世界各国の料理がふるまわれている。外貨で支払う「ドルショップ」には輸入食料品が並び、規制緩和で増えた民営中小企業「MIPYME(ミピメ)」のスーパーは品ぞろえも豊かだった。

「海外に家族がいて、送金を受けられる人はいい。でも、多くの人は外貨を得る手段がない」

飲食店勤務の40代男性はそう話した。

ハバナでは「ゴミ問題」も深刻だった。街角には回収されないゴミが積み上がり、路上に散乱している場所も多かった。
私の印象では、キューバの人たちはもともときれい好きだ。毎朝家の前を掃き清め、ブラシで水洗いする光景を見てきた。清掃員たちも早朝、ほうきを手にゴミを集めていた。

しかし近年は、エネルギー危機による燃料不足などの影響で、ゴミ収集が追いつかなくなっている。

私が滞在していた3月は、民営企業向けに石油輸入が認められたことで、ようやく収集車が少しずつ動き始めていた。とはいえエネルギー危機の影響もあり、2025年にはハバナで目にした日本のODAで供与された圧縮式のゴミ収集車ではなく、大型トラックの荷台に、ショベルカーですくったゴミを積み込むだけの応急処置だった。

街のここかしこに捨てられたゴミを片づけるには、到底追いつかない。

品揃えが豊富なドルショップ=2026年3月、ハバナ、斉藤真紀子撮影
ゴミを収集するトラック=2026年3月、ハバナ、斉藤真紀子撮影

ハバナの街並み=2026年3月、斉藤真紀子撮影

週末の公園は食料や物資の店に買い物に来た人々でにぎわっていた=2025年12月、ハバナ、斉藤真紀子撮影

現地でよく耳にしたのが、「特別期間」という言葉だった。

ソ連崩壊後の1990年代、輸入が激減して国家経済が危機に陥った時代を指す。当時、人びとは自転車で通勤し、食料不足に苦しんだという。

「今は、あの頃に戻ったみたいだ」

ビシ(自転車)タクシーの運転手はこう話した。

ただ当時と比べ、現在の危機はより複雑だ。米国の制裁による外圧とともに、物価高をはじめとする国内経済の混乱や、外貨を持つ人と持たない人の格差拡大が同時に進んでいるからだ。

「前みたいに、近所のお年寄りを手伝えなくなった」

こう話す70代の女性は、配給だけでは足りず、毎日の食料探しに追われている。

かつてキューバでは日常のなかで助け合いの場面を目にすることが多かった。民泊に泊まると、近所の人が自然に出入りし、一緒に食事をしたり、足りない物を融通し合ったりする光景をよく見かけた。

革命政府は長く、「貧富の格差をなくす」ことを掲げ、比較的平等な社会を維持してきた。しかし近年は、食料価格の高騰と慢性的なモノ不足で、人びとの時間や経済の余裕が失われつつある。

それでも、社会の支え合いが完全に失われたわけではない。

市民団体などは、無料に近い価格で食事を提供している。海外から届いた支援物資は、高齢者や妊婦、病気を抱える人たちへ優先的に配布されていた。

停電の夜は音楽とともに――「ノーチョイス」と笑い飛ばす、彼らの強さと日常の守り方

食料や物資の高騰、長引く停電、燃料不足。日々忍耐を要する環境のなかでも、人びとは日常を続けていた。

大人たちはドミノゲームを囲み、子どものサッカーやバスケットボールを応援する。週末になれば、大通りに人が集まり、ホールではサルサを踊る人たちの熱気にあふれていた。

心を前向きに保つコツがあるのか、聞いてみると、

「ノーチョイス」(そうするしかない)

と笑うキューバ人は多かった。

もちろん、キューバを取り巻く現状に人びとの不安がないわけではない。

当時は、トランプ大統領がキューバへの強硬姿勢を示し、「次はキューバだ」と発言していた時期でもあった。将来への不安について尋ねると、多くの人が、自国政府への不満や改善してほしい点を口にした。

「もっと経済改革を進めるべきだ」

「停電やインフレをなんとかするべきだ」

といった声も多かった。

一方で、社会の方向性については、人によって考え方が大きく異なっていた。

「まわりではトランプを支持している人も多い。ただ、本当にキューバの人びとのためになる政策をするのかは不安だ」

そう語る人もいれば、

「最近は政治の話をすると、家族でも意見が割れてしまう」

と苦笑する人もいた。

民営のベーカリー=2025年12月、ハバナ、斉藤真紀子撮影

いまのキューバには、「現状を変えたい」という思いと、「この国の主権や社会をどう守るのか」という議論が同時に存在している。

そのなかで、民間中小企業「MIPYME」を始める新しい世代も増え、カフェや配送業、IT関連など、新しい仕事を模索する動きも広がっている。

キューバの人びとが逆境に立ち向かう強さを実感したのは、3月に頻発した大規模停電のときだった。

停電が発生したとき、私は停電の影響を受けにくい旧市街のレストランにいた。しかし、電気が止まったため、「飲み物しか提供できない」と言われた。

次に、計画停電に慣れた新市街の食堂に行くと、店内は暗いまま、豆のポタージュや煮込み料理、ライスが次々と運ばれてきた。

停電直後も、市民は驚くほど落ち着いていた。スマートフォンで停電アラートを確認しながら、「復旧は何時ごろになりそう」と話し合っている。

道路の信号は消えていたが、車もバイクも互いに譲り合いながら進んでいた。

夕方になると、街に出る人の姿が次第に増えた。サッカーやバスケットボールをする子どもたちの様子を親たちが見守り、声援を送っている。大人たちも立ち話や、ドミノゲームをしながらくつろいでいる。

日が暮れると、街はいっそうにぎやかになった。音楽が鳴り響き、笑い声や歌声も聞こえてきた。リズムに乗って踊る人の姿もあった。

停電になれば、家でできることは限られる。外へ出て、人びとは集い、時間をともにしていた。

キューバの先行きを見通すのは難しい。ただ厳しい現実のなかでも、目の前が暗闇に包まれていても、現地の人たちは楽しみを見いだす術を知っている――そんなふうに私の目には映った。

大規模停電となった夕方の広場=2026年3月、ハバナ、斉藤真紀子撮影

地元の人々が集う日曜サルサ=2026年3月、ハバナ、斉藤真紀子撮影