「アフリカ流」で一気に実現 学べば日本人も楽しく生きられる
駐日セネガル大使館と話を決めたのは、大会のわずか1週間前だった。
6月に横浜市であった小学生のサッカー大会。岸卓巨(40)は、集まった数百人の子どもたちと大使との記念撮影をしたり、ブースでセネガルへのメッセージを募ったりと精力的に動いた。首都ダカールとの連携を進める横浜市が半年近く前から模索していたセネガルとの交流企画を、最後は一気に実現へと導いた。
後日、大使のジャン・アントワーヌ・デュフ(49)に言われた。「日本人は用意周到に準備しないと物事を進めない。でも、岸さんはアフリカのペースで動く。それがいい」
岸が代表理事を務めるA-GOALはスポーツを通じた持続可能な社会の実現を理念とする。今回の企画の背景には、昨年の騒動があった。国際協力機構(JICA)が国内4市をアフリカ各国のホームタウンに認定した結果、自治体に抗議が殺到して撤回に追い込まれた。途上国への世論が厳しくなり、排外主義が広がった。
「知らないことを拒否したり、怖いと思ったりするのは自然なこと」と岸は考える。だからこそ、少しでもアフリカを身近に感じてもらう機会を作りたい。「僕も行く前は、少し怖かったから」
2011年、青年海外協力隊員としてケニアに派遣が決まった時のことだ。
希望した派遣先は太平洋の島国だった。大学時代、ゼミの恩師で協力隊員経験者の小林勉(57)の影響を受け、バヌアツを訪れた経験を生かそうと期待に胸を膨らませていた。
アフリカには10年のサッカー・ワールドカップ南アフリカ大会に観戦ツアーで行っただけ。しかも配属先は、罪を犯したり親に見放されたりした少年少女が入る児童保護拘置所という。そんな環境で勉強やスポーツを教えられるのか。不安がこみ上げた。
それでも、岸には覚悟があった。「一度きりの人生。新しいことに挑戦したい」
幼いころから大好きなサッカーでは、「選手でいるよりチームに貢献できる」と中学の時に審判の資格を取った。海外展開にひかれて新卒で入った大手学習塾では、地方都市で2年間教えた。「組織のために」と自分を抑えがちな岸に、恩師の小林が「自分を人生の主人公にしていい」と背中を押してくれた。そうしてかなえた協力隊への道だった。
首都ナイロビからバスで13時間。海沿いの町マリンディの施設には、入れ代わり立ち代わり約30人の子どもがいた。意外にも学ぶ意欲は高く、授業は日本の学習塾よりも進めやすい。それなのに、出所しても戻ってきてしまう子どもがいる。なぜなのか。根本的な問題は貧困だと気づき、施設内での教育に限界を感じた。
地域に目を向けると、そこにあったのが岸が愛してきたサッカーだった。地元のサッカークラブは就学支援などにも携わっており、行政や学校と住民をつなぐ拠点になっていた。 岸は指導者たちを巻き込み、約1000人の子どもらが参加するサッカー関連のイベントを開くことを思いつく。
だが、思わぬことが起きる。全員分の昼食を注文したのに、当日届いたのは半分。代金を託した指導者に半額を持ち逃げされた。岸は「今までで一番焦ったかもしれない」と振り返る。後日、その指導者の写真が街中に貼られたのには驚いた。あの金は選挙費用に化けたのか――。
それでも、めげることはなかった。駐在した2年間、貧しいなかでも子どものために活動する人がたくさんいることを知った。そこで紡いだ小さなつながりが、大きな輪になる時がくる。
新型コロナが流行した20年のことだ。帰国して東京都内で団体職員として働く岸に、ケニアの友人からSNSで連絡がきた。ロックダウンで貧しい人たちが職を失い、食べ物がなくて困っている、という内容だった。
感染爆発のさなか、アフリカには行けない。どうしたら食料を届けられるか。岸は現地のスポーツクラブとの連携を考えた。日本で寄付を集めてクラブに送れば、クラブが食料を買って困っている人に配ることができる。知人たちと緊急支援プロジェクトを立ち上げ、1週間後に支援を始めた。この活動にアフリカ(Africe)の頭文字を取ってA-GOALと名づけた。
オンラインの24時間チャリティーイベントも思いついた。当時サッカーJリーグ柏にいたケニア出身のマイケル・オルンガや、五輪女子マラソン銀メダリストの有森裕子……。仲間とつてをたどると、次々に出品者が決まり、イベントは3週間で実現した。
活動は続き、1年ほどで1万人以上の支援につながった。食料のほか感染予防のためせっけんなどを配り、マラウイでは農業支援も実施した。
コロナ禍でなくてもアフリカには社会課題が多い。貧民街にはいつも空腹に耐えている子どもたちがいる。「A-GOALを持続的な活動にしよう」。23年、ナイロビにあるアフリカ最大規模の貧民街キベラスラムで、子どものためのサッカーリーグを本格的に始めた。現地では生理用品の開発に協力して日本企業の進出と女性の生活の質の向上も図るなど、持続可能な地域支援に取り組んでいる。
岸は普段、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の職員として、禁止薬物の使用について教育啓発する仕事をしている。A-GOALの活動には勤務時間外や休日を割いているが、当然、1人では手が回らない。解決のヒントは、自らもボランティアに出かけた11年の東日本大震災にあった。寄せ集めでも、それぞれの得意分野を生かせばいい。海外と連絡を取る人、SNSで発信する人、と仕事を分担することで、チームとして力を発揮する原点となった。
一方的な支援ではなく双方向の連携を目指す、というのも岸の信条だ。24年の能登半島地震では、ケニアのサッカーリーグチェアマンのケネス・アモロ(40)が被災地への寄付を寄せた。「国の経済状況が違っても、我々は支援されるだけでなく、支援もできると信じている」
ちょんまげ隊長で知られるサッカー日本代表の有名サポーター角田寛和(63)は寄付金を預かり、被災地の子どもら約80人を金沢市の新スタジアムに招待するのに使った。実際には全費用は賄えなかったのだが、日本とケニアでは物価が違う。子どもたちには「バスのお金はアフリカからきているんだよ」と伝えた。
大震災以降、国内外でボランティアを続けてきた角田は「支援されると、だれでもプライドが傷つく。でも、岸さんは、アフリカの人が日本を支援する場を作る。支援される人のプライドを尊重しているところがすばらしい」と驚きを隠さない。それが持続可能な関係を築くことにつながるからだ。
そもそも岸は、アフリカから学ぶことが多いと考える。例えばキベラスラムの住民は、自分が貧しくても、もっと困っている人を助ける。それで自分が困ったことになるとしても、だ。
貧しいからこそ助け合い、何かを生み出していく。岸は言う。「アフリカの人たちのほうが、何もないところから作り出す力がある。あるものをうまく使って楽しく生きている」
アフリカから学ぶことで、日本人も楽しく生きられる。
そう思うからこそ、ゼロからの挑戦を恐れない。課題があれば仲間と乗り越え、一気に実現していく――。そのパワフルさはアフリカ仕込みなのだ。 (文中敬称略)