1. HOME
  2. People
  3. 私が辺境を目指す理由 ノンフィクション作家の高野秀行さんが見すえる「最後の決戦」

私が辺境を目指す理由 ノンフィクション作家の高野秀行さんが見すえる「最後の決戦」

People 更新日: 公開日:
国立民族学博物館のトーテムポールの脇に立つ高野秀行さん
国立民族学博物館のトーテムポールの脇に立つ高野秀行さん=2026年7月16日、大阪府吹田市、中川竜児撮影

あるときはミャンマーの麻薬地帯で少数民族と暮らし、あるときはエチオピアで酒を主食とする人々と杯を酌み交わす……。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」をポリシーに、辺境と呼ばれる地と、そこに住むたくましい人々を描いた多くの著作があるノンフィクション作家の高野秀行さん(59)が、国立民族学博物館(大阪府吹田市、通称みんぱく)の特別客員教授に就任した。気になる研究テーマから創作のモチベーション、そして来たるべき「最後の決戦」まで、たっぷりと聞いた。

――特別客員教授になられた経緯について教えてください。どんな研究テーマを考えていらっしゃいますか?

島村(一平・みんぱく人類文明誌研究部教授)さんの本の書評を書いた関係で知り合いになり、昨年、お誘いをいただきました。島村さんと私、それにみんぱくだけでなく、色んな研究機関の人たちにお声がけして、それぞれのフィールドで研究して、最終的に本をつくりたいと考えています。もちろん私も取材します。

テーマについては、実は現時点では「食にまつわる何か」という程度しか決まってないんですが、例えば、世界各地の食べ物の好き嫌いに関することとか、面白いんじゃないかと漠然と思います。民族食や国民食と言われるものがありますが、中にはそれが全然食べられない人がいる。例えば僕の会った韓国人でキムチが食べられない人がいました。なんでそんなことが起きるんだろう、その人生は一体何なのか、すごく気になる。周りの人からどう思われているのか、どういうあだ名がついているのか、想像するだけで恐ろしいというか、面白い。

『謎の独立国家ソマリランド』より。首都ハルゲイサの市場=高野さん提供
『謎の独立国家ソマリランド』より。首都ハルゲイサの市場=高野さん提供

世界各地から事例を集めて、どの程度普遍性があるのか、地域によって偏りがあるのか、そういうものが見えてきたら面白いんじゃないかなと。とにかく面白いことをやっていきたくて、その結果を、研究者の世界の方々と一般の読者の人たち両方に、ちゃんとお届けしたいと思っています。

――色んな場所に行かれて、その場所に住んでいる人と同じものを食べるし飲む、というスタイルですが、どんなものであっても「あ、おいしい」と思う瞬間がありますか。「これは駄目だ」となったことはないんですか?

僕は、良く言えば普通の人よりは適応力が高くて、悪く言えばすぐ影響を受ける質なんです。食べ物に関しても、その場にいるみんなが「おいしい、おいしい」と食べていると、その雰囲気に流されて、あるいは適応して、やっぱりおいしくなりますね。

――そういう旅のスタイルを続けていて、若い時と比べて、好奇心や行動力に変化を感じますか?

それはもちろんあります。やっぱり気力、体力は確実に衰えているし。僕はどこかに行って本を書こうとする前は、その土地の言葉を習うんですけど、本当に記憶力がゼロどころかマイナスじゃないか、というくらいになってきました。

若い時に覚えた言葉は出てくる。あくまでイメージですけど、脳の奥の方に入っている感じです。ところが、45歳を過ぎてから習っている言葉は、脳の表面にしか定着しなくて、最近習っている言葉なんて、本当に表皮の上くらい、髪の上くらいについているみたいなもので、風が吹くだけで飛んでいっちゃうようなイメージ。

ミャンマーのことわざに「穴の開いた袋の中にカエルを入れる」というのがあるんです。田んぼとかに行って、食用にカエルを捕るんだけど、穴だらけだから全部出ていってしまう、まあ「だだ漏れ状態」みたいな意味ですが、そのことわざを思い出します。本当に入れても入れても、カエルが元気にぴょんぴょん飛び出しちゃうみたいな。

――「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」をポリシーとされていますが、語学だけではなく、「これはもう、やるのが結構しんどいな」と思われることはありますか。モチベーションはどう維持されていますか?

しんどいなと思うことは、もちろんたくさんあります。そういう時は、まず「じゃあ嫌だったらやめてもいい」と思う。すると、「本当にやめても良いのか」となりますよね。そうすると、「いや全部やめたら嫌だな、あれだけはやりたいな」というのが残っている。それが、本当にやりたいことですよね。せめて、ミャンマーはもう一回行ってみたい、とか、中東のクルド人エリアも行きたい、とか、ニューギニアは行ったことないから行きたい、北極も1回くらいは行きたかった、とか、それがどんどん増えてきて、まだまだやりたいことたくさんあるじゃないか、という風になる。

――今回はみんぱくで3年間の研究ということですが、その間に別の計画を同時並行で進めるのですか?

今、ちょうど長期計画が途切れている時期なので、次のことを探している段階です。『メソポタミアのボート三人男』(トルコ東部のティグリス=ユーフラテス川上流域をボートで下る川旅ノンフィクション)を出して、自分として、大きなプロジェクトが一区切りになった。まあ、やっぱりちょっと年齢のこともあって、今、人生2回目のモラトリアムに来ている感じがしているんです。

最初のモラトリアムは大学を卒業するのが遅かったので、20代後半でした。その時期は30歳くらいまでの間に何か自分のライフワークというか、テーマを決めて、いい本を書かなきゃいけないって、すごく強い気持ちがあった。

『酒を主食とする人々』より。酒を出すバーで地元の女性客と並ぶ高野さん=高野さん提供
『酒を主食とする人々』より。酒を出すバーで地元の女性客と並ぶ高野さん=高野さん提供

今、久しぶりにその時と同じような気持ちになっている。自分が本当に現場に行って、思い通りに体が動くのって、普通に考えると、あと10年くらいですかね。するとそんなにたくさんのテーマはできない。特に60代後半になってくると体力ももっと落ちていくだろうと思うと、次にやる大きなテーマというのが、自分の人生でものすごく、重要で、「最大、最後の決戦」みたいな気がする。すると、どのテーマを選ぶか、というところから気楽に動けない、すごく考えてしまう。それが、まさにモラトリアムというか。60歳のモラトリアムってどうなの、と自分でも思うんだけど。

――そうすると、この3年は、考えるのにちょうど良い期間でもあるのでしょうか?

そうですね。すごく刺激を得られると思っていますし、それも楽しみです。

実はいつも思っていることがあるんです。作家の船戸与一さん(1944~2015年、冒険小説で知られた)は早稲田大学探検部の大先輩だったんですが、船戸さんの手伝いでミャンマーとベトナムの取材に同行したことがあるんです。夜に酒を飲みながら話をしていたんですが、船戸さんは「作家25年寿命説」ということをよく言っていた。

作家というのは最初誰でもすごく下手だ、でも下手だけど勢いはある。そのうち勢いも良くて文章もだんだんこなれてきてうまくなる。そこからすごく上り調子で、ある程度までいくと完成される。だけど、それがピークで、そこから後になっていくと、文章が洗練されすぎてツルツルしてきて引っかかりがなくなってくる。そのうちその作家は自己模倣を始める、と。要するに、前やったことをまた繰り返すようになっていく。つまりマンネリですね。で、それがどんどん進んでいくと引っかかりもないしツルツルで前と同じものをやってるから読者も編集者も声をかけなくなって、通用しなくなる。色んな作家を見ているけど、それが大体25年になるんだ、と力説するわけです。

――どういう風にその話を受け止めましたか?

すごく恐ろしくなりました。と言うのも、僕は最初に本を書き始めたのが早くて22歳だった。船戸さんと一緒にいたのは、もう20年前くらいなんですが、その時点ですでに20年近く経っていたんです。もうあと寿命はいくらもないじゃん、と思って戦慄(せんりつ)したんです。

でも、そう言われてから意識してみると、船戸さんの言っていたことは当たってる気がして。やっぱりいくら天才と言われるような作家であっても、脳は一つしかないですし、個性というのも決まってきているので、変えるのは難しいんですね。特に「意識を変える」なんてことはほとんど不可能だと思うんです。

『イラク水滸伝』より。葦でできた建造物の中に立つ高野さん(左)=高野さん提供
『イラク水滸伝』より。葦でできた建造物の中に立つ高野さん(左)=高野さん提供

なので、僕は意識ではなくて、物理環境を変える、ということを意識的にやっているんです。例えば、旅や取材のパートナーを変えて、一緒に行くのを全然違う人にする。あるいは、今回メソポタミアのボート旅なんかだと、自分で手漕(こ)ぎのボートで行く、とか。そうすると、物理環境が全く違うので、同じことは生じない。場所を変えるだけではなくて、自分の周りの環境も変える、というのはすごく大事。延命としてもね。そうしないと、また同じような目線で見てしまう。

だから今回こういうお声がけをもらって、みんぱくで何か研究をやる、となると、全く知らなかった研究者の人たちと一緒に仕事をすることになる。そこには当然、研究者の人たちのルールや規制もあるでしょうから、新しい物理環境が生まれると思う。研究者の人たちと色んな話し合いをすることで、確実に僕が書くものも変わる。すると、今までの自分とは違うものが出てくるはずです。その期待はすごく大きい。

――インターネット、次にスマホが普及して、秘境や辺境と言われる場所であっても、YouTubeなどで一般の人が簡単に見ることができるようになっています。それでも、ここの話はやっぱり面白いでしょう、と提示できて、それが若い読者も引きつけているのはなぜだとお考えでしょう。

映像や動画と活字は役割が明らかに違うと思っています。特に強く感じたのが『酒を主食とする人々』という本を出した時なのですが、あれはもともとTBSの『クレージージャーニー』という番組で行ったんです。テレビクルーが一緒だったんですけど、僕が滞在したのは10日間だから、そもそも短期間なんですが、それでも放送されたのはごく一部だけだった。

映像は、その瞬間、瞬間では絵があり、音があり、圧倒的な情報量なんですが、ストーリーは本当にごくわずかしか描けない。60分フルに使ったとしても、ストーリーは本当に単純なものしかできない。テレビやYouTubeはすごく物事を単純化するというのは全く間違いじゃなくて、単純化しないと伝えられないんです。その時の場面の情報量は圧倒的で、ストーリーはものすごく情報量が少ない、という特性のメディアだと思います。

これまでの冒険について話す高野さん
これまでの冒険について話す高野さん=2026年7月16日、大阪府吹田市、中川竜児撮影

それで、僕はあまりにももったいないと思って、結局本を書いちゃったんですが、本は映像や動画とは全く逆で、場面の情報量は何しろ絵もないし映像もないし音もないから圧倒的に弱いんですけれど、色んなストーリーを書き込むことはできる。映像が撮れなかった部分なんて山ほどあるし、過去の記憶をさかのぼったり、地元の人たちの話を取り込んだりもできますから。それに、自分たちがこっちでこうしている間に、実は裏でこういうことが進行していたんだ、という話も自在に書ける。

すると、ストーリー的な情報量は桁違いに活字の方が大きくなる。その部分の需要は、今いくらYouTubeやTikTokが盛んになっても変わらないと思います。そこを面白く、深く書ければ、やっぱり読者はついてきてくれると思いますし、実際ついてきてくれているな、という感覚があります。

――若い頃から頻繁に海外に行かれているわけですが、その間の日本の側の変化、あるいは帰国されて感じることはありますか。こんなに変わったのか、とか、今の日本ってこういうふうに映るな、というような。

もうそれは顕著です。若い頃には、20年か30年したらアフリカなんてみんなが普通に行くところになっていると思っていました。当時は「アフリカに行くの?すごいね」みたいなことを言われていたけど、そんなことは30年後には全くなくなって、みんな普通に行くようになっているんだろうな、と。ほとんどの人、特に若者は英語をしゃべるようになって、「英語がしゃべれてすごい」なんていうこともなくなるだろうな、と思っていた。

でも30年、40年経った今、いまだにアフリカに行く、と言うと、「大丈夫なの」「危なくないの」って全く同じ反応が返ってくる。下手すると、もっと驚かれたりもする。その辺は何も変わってなくて驚きですよね。相変わらずみんな「英語が話せない」とか「英語を話せるようになりたい」とか言っていますしね。

世界に対する感覚ですかね。海外に行く人は増えていて、海外で生活する人も増えているんですけど、行かない人たちにとって外国は相変わらず遠い。で、この10年くらい、やっぱり日本の「内向き化」がどんどん進んでいるように見えますね。

まだ学生の頃、もう40年前ですけど、「日本は遅れている」という意識があったわけですよね。諸外国に比べて、まだここが足りない、追いつけ追い越せ、という、自分たちはまだ足りてない、という思いがすごくあった。経済的には追いついても、まだ文化的には追いついてない、とか。あと、経済は豊かになったけど、心の豊かさはまだまだ、とか、そういう「飢え」みたいなものがあった。

1990年代になってから、もうその「飢え」がなくなって、何か満足してしまったかのような印象を受けました。今はむしろ「いいじゃないそれで」「何が悪いの?」と言われる。経済的、科学・技術的にも欧米どころか中国や韓国、台湾に置いていかれてるんですけど、全然追いつけ追い越せ、という感じがない。もう不思議なくらい、ないですよね。ただ、国としては落ちているんですけど、それは認めたくないという意識も強い。直視すれば、色々とやることもあるのにと思うんですけど。

日本はずっと、30年以上変わらなくて、一方で他のアジアの国々は近代化や都市化が進んで、発展がものすごい。日本に来る外国の人たちは「古都」を訪ねるみたいな感覚なんだろうと思います。経済大国を見てみたいと思って来る人は少なくて、神社仏閣や古民家が並ぶ景観、歴史、豊かな自然、食文化が引きつけているんですよね。

――おいしいもの、良いものは日本にたくさんあるのだから、わざわざ海外に行かなくても、という意見もあります。

本当によく聞きますし、それは確かに事実でもあるんですよね。日本の食はおいしいし、レベルが高い。あと、やっぱり生活の質っていう意味ではすごく高い。最近、外国に行くと「日本は安くて良い」という話をよく聞きます。この間も、タイのチェンマイに行ったら、ゲストハウスのオーナーが「日本大好き」と言うので、なんで、と聞いたら、「だってなんでも安いから」と。がっくりきたんですけど。

会見で話す高野さん。左は共同研究を進めるみんぱくの島村一平教授
会見で話す高野さん。左は共同研究を進めるみんぱくの島村一平教授=2026年7月16日、大阪府吹田市、中川竜児撮影

チェンマイには1カ月近く滞在していて、アパートを借りたので生活に必要なものを買ったんです。タイにも100円ショップみたいなのがあるんですね。でも、例えば延長コードを買ってきたのに通電しなかった。高いものは大丈夫なんだけど、安いものを買うと、不良品の率が上がる。日本の100円ショップで物を買って使えないなんてことないじゃないですか。日本は科学・技術的な先端ということではもう置いていかれているんですけど、安くていいもの、という手堅さは半端ない。それは最近気づいたことです。

品質管理、あとは宅配サービスが早くて正確、というのも多分世界一だと思います。だから暮らしていると本当に生活は良くて、そういう面ではクオリティー・オブ・ライフは世界一を保っている、と言えると思います。生活しやすいなと感じます。

――そういう国で生活していても、いや、まだやっぱり外の世界には見たいもの、楽しいものがあるはずだと出かけていくのは、生まれ持った好奇心ですか?

好奇心というか、謎とか未知を解明したいんですよね。それはもう生まれ持ったものです。好奇心が旺盛ですね、とよく言われるんですけど、そうじゃないんです。例えば、僕は自分の家の近くでトラックと乗用車が激突して火を噴いていても見に行きません。すごい交通事故が起きたり、火事があったりしても。そこには未知がないからです。それは交通事故だし火事ですから。だからやじ馬根性はゼロ。人が集まるところには、もう自分が行く必要がない。好奇心が旺盛なのではなくて、極端に偏っていて、謎とか未知に特化してるんです。

それで、今の時代にもまだたくさん、そういう謎は残されているんです。実際、新刊でも書いていますけど、トルコにものすごくきれいな川があったんです。おそらく世界で一番きれいじゃないかっていうほど。でも、全くネット上にも載ってなかった。そんなことが今この現代にあるはずない、と思うじゃないですか。でもあったわけです。それは色んな政治的なものとか、民族や宗教的な事情が絡まった結果なんですけど、やっぱり現場に行くとあるんですよね、そういうことが。もうそういうことは一切ないと分かればね、もうやらないかもしれないけども、あるんです。そして、あるから、やめられないんです。