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南アフリカとガザ「二つのアパルトヘイト」 KYOTOGRAPHIEが突きつける問い

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パレスチナ人フォトジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナの作品が展示される会場=京都市中京区の八竹庵

5月17日まで開催中の「KYOTOGRAPHIE(キョウトグラフィー)」。京都市内の町屋や寺院をめぐりながら観賞する国際写真祭は、14年目となる今回、「South Africa In Focus」と題して南アフリカの写真家をフィーチャーしている。とりわけ印象的なのは、南アフリカとガザという「ふたつのアパルトヘイト」をつなげるキュレーションの妙だ。 人間が手を染めた、時代も場所も異なる二つの過ち。2人のフォトジャーナリストが遺(のこ)した作品をパラレルに鑑賞することで、アパルトヘイトが現在進行形の問題として、まっすぐにつながる。

アパルトヘイトを秘密裏に記録した不世出の写真家

京都市京セラ美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町)で開かれているのは、南アフリカのアパルトヘイトを内側から記録したアーネスト・コール(1940~1990)の写真展。不世出の写真家の日本初の大規模展示となる。

写真家アーネスト・コール=京都市京セラ美術館、荏開津広撮影

手錠をかけられた人々の手や、裸で身体検査を受ける労働者たち――。アパルトヘイト下の南アを黒人として生きたコールは、鉱山や警察署、隔離居住地区で理不尽な目に遭う同胞たちにカメラを向けた。

手錠をかけられた黒人。不法に白人専用地区にいたとして逮捕される=1960年代、南アフリカ© Ernest Cole / Magnum Photos

当局の監視の目をかいくぐる撮影は危険と隣り合わせだったという。コールは、亡命先のニューヨークで作品集『House of Bondage(囚われの地)』(1967年)を刊行。翌年、母国から永久追放処分を受け、パスポートを剝奪(はくだつ)された。

展覧会場の入り口は「BLANKES WHITES(白人)」「NIE-BLANKES NON-WHITES(非白人)」に分かれ、観客はどちらかを選択させられる仕掛け=京都市京セラ美術館、荏開津広撮影

「黒人であるというだけで、人生そのものが罪となる」「ベンチや水飲み場の使用禁止、官僚の気まぐれに左右される通行許可証、起訴もされないままの投獄、裁判なき追放。時が経つにつれ、法の下での屈辱はやがて日常の一部となっていく」(コールの言葉から)。作品は、そんな理不尽を撮影した、ごまかしのきかない記録だ。

人種隔離を示す標識=1960年代、南アフリカ© Ernest Cole / Magnum Photos

パレスチナ人写真家が捉えたガザの同胞たち

一方、コールの展示からバスか地下鉄で西へ30分ほどのところに位置する八竹庵(京都市中京区三条町)では、昨年イスラエルの空爆により命を落としたパレスチナ人写真家ファトマ・ハッスーナ(2000~2025)の写真展が開かれている。

ファトマ・ハッスーナの作品が展示される八竹庵。京都市指定有形文化財にも登録されている=京都市中京区、板垣麻衣子撮影

爆撃音が鳴り響く暗い展示室で、スライドが切り替わっていく。映し出されるのは、報道写真では見ることの少ない、ガザの人々が同胞にだけ見せる柔らかな表情だ。

例えば、避難先のテントで水遊びをして喜ぶ子どもたち。その澄み切った笑顔に胸が締めつけられる。

ファトマ・ハッスーナの作品が展示される会場。水をかけてはしゃぐガザの子どもたち=京都市中京区の八竹庵、板垣麻衣子撮影

「ガザの眼(め)」と呼ばれたハッスーナの名を、映画「手に魂を込め、歩いてみれば」を通じて知った人も多いだろう。KYOTOGRAPHIEの会場では、映画を監督したセピデ・ファルシとのビデオ通話も展示されている。「今こそ、この戦争を撮って世界に見てもらわなければならない。苦しみをすべて記録するの。他に誰がやるの?」

「ガザの眼」と題されたハッスーナの展示=京都市中京区の八竹庵、板垣麻衣子撮影

そうはつらつと語る彼女は、もうこの世にいない。映画がカンヌ映画祭に正式出品されるとの知らせを受けた翌日、ガザ市東部の自宅がイスラエル軍の空爆を受け、家族もろとも命を奪われた。

セピデ・ファルシとのビデオ通話で、写真を撮る動機について語るファトマ・ハッスーナ

ささいな「ランクづけ」にあらがうこと

人間を見た目や文化の違いでランクづけし、自分より「下位」に位置づけた人を「非人間」として扱う――2人の作品があらわにするのは、時代を経ても変わらない支配者側の手口だ。

それは、実は私たちの身近な日常にもひそんでいる。「肌の色が違うから」「若いから」「女だから/男だから」……。日頃から、ささいなことだと思わされ、やりすごすように促される「ランクづけ」に敏感になり、抵抗すること。

自らの命を賭してシャッターを切るほどの勇敢さを持ち合わせていない私たちにも、できることはある。