許すまじ犬のフン DNA追跡を目指した北イタリアの観光地の今
2026年4月中旬、オーストリア国境に近いボルツァーノは観光客でにぎわっていた。
ヨーロッパで人気のハイキングスポットの一つ、世界自然遺産のドロミテ山塊への拠点に位置し、自然が豊かで空気が澄んでいる。歴史的にオーストリアやドイツの影響も強く、街の案内や商店の看板はイタリア語とドイツ語が併記されている。言葉の通じやすさ、料理のバリエーションも観光客を引きつける。
美しい街でなぜ、フンが問題になったのか。
「飼い犬の数が年平均1000匹のペースで増えている。コロナ禍で外出が難しくなったとき、『犬の散歩なら出られる』と人気になったことも影響した」と、ボルツァーノを含む自治県の議員アーノルト・シューラーさん(63)。現在、県の人口は約52万人で犬の登録は4万2000匹という。
犬の増加に伴い、シューラー議員のもとには自治体や住民から「フンの放置が増えた」との苦情が届くようになった。そこで対策として考えたのが、飼い主に犬のDNA登録を義務づけ、放置フンがあった場合はデータベースと照合して犯人(犬)を特定し、罰金を科す仕組みだった。
シューラー議員は「例えば、犬が人間をかんでしまったとき、交通事故で死んでしまったようなときにも、DNA登録していればすぐに特定できるメリットもある」と説明した。
関連法は議会で審議され、シューラー議員によれば「ほとんど反対意見もなく」、成立。コロナ下で2年の猶予を経て発効した。登録などに必要な費用(民間のクリニックで110~120ユーロ程度)は飼い主負担で、罰金は自治体によって異なり、50~500ユーロと報じられた。
放置フンはなくなったのだろうか。
残念ながらそうではない。ローマなど大都市と比べると圧倒的に少ないと言い切れるが、実際に道端で見かけることもあった。現在までにDNA登録を終えた犬は1万2000匹にとどまり、放置フンの回収と照合も機能していない。法律はあるが「凍結」状態だ。なぜか。
「私はきちんとルールを守っている。それなのになぜお金を払わなければならない? 馬鹿げている」。ボルツァーノで愛犬を散歩させていたマーティン・フリズビーさん(58)はフンを入れるポリ袋を取り出して見せ、そう言った。同じく犬を連れていたサブリナさん(54)は「登録しなければ罰則があるという話だったからしたけど、結局何だったの?」と不満を口にした。
犬連れの住民のうち、話を聞けた人は全員、ポリ袋を持っていて、多くが「住民はきちんと処理している。問題は観光客だ」と訴えた。一帯の観光客数は増加の一途をたどっており、自然の中で遊ばせようと犬を連れて来る人も多いという。
一方、DNA登録に賛成派もいた。郊外に住むリチャード・ピックラーさん(78)は「街は人の目があるから拾うが、郊外は違う。フンを入れたポリ袋が川岸に落ちている。自然破壊だ。観光客も問題だが、住民の放置もある」と話した。ピックラーさんは「DNAで放置フンを追跡するアイデアは完璧だと思う。なぜ推進しないのか分からない」とも言う。
専門家はどう見るのか。
地域の獣医師会の会長フランツ・ヒントナーさん(63)は「最初に議会から意見を求められたとき、『無理です。機能しません』と伝えた」と話す。理由の一つは、やはり観光客の存在だ。「検査しても県内の犬じゃなかったら? この対策は県単独でやっても駄目だ。全ヨーロッパでやらないと機能しない」。放置フン回収に誰が当たるのか、といった細部についても、「法律はあいまいな書きぶりだ」と批判した。
ただ、それではフン問題も放置されたままになる。登録費を払った1万2000人の存在もある。
ヒントナーさんは、飼い主の住民と、犬連れの観光客に犬税を課し、フン回収や啓発費にあてるべきだと訴える。登録費を払った人には最初の支払いを免除し、公平性も担保する。この提案は2025年、議会で審議されたが、否決された。
シューラー議員は「税金を課すのも一つの方法だ」と認めつつ、「すでにDNA登録の法律はあるんだ。全ヨーロッパで、という意見は分かるが、だからこそ『最初の一歩』が大切ではないか」とこぼす。DNA登録で目指したのは「抑止力」だったという。「登録さえすれば、放置する人はいなくなるだろうと思った」
「DNA登録によって犬の放置フン根絶」は極端に見えるが、そうでもない。実はスペインやフランスでも議論が持ち上がった。そして、後に直面した課題も似通っている。「自治体の外から犬を連れてやって来る観光客らをどうするか」だ。
それをうまく回避した成功例がある。
アメリカの企業PooPrintsは、マンションやコンドミニアム単位でDNA登録をさせる方法でサービスを拡大してきた。放置フンを見つけたら管理会社がサンプルを取ってPooPrintsに送付する。データベースと照合し、住民だったら、管理会社が費用などを請求する。マンション単位といった「閉じた空間」なら他者の入る余地は少ない。飼い主は入居時に登録に同意しており、管理会社にとっても「マナーの良い飼い主が住んでいる」と物件をPRできる仕組みだ。つまり「抑止力」が働く条件がきちんと整っている。
PooPrintsのCEO、ジェイ・レティンガーさん(46)によれば、北米を中心に9000件(約300万戸)の登録があり、放置フンは平均で98%減っているという。さらに、「アメリカでは、自治体と人口密集地にあるアパートが連携し、その地域の賃貸住宅の全ての住民が当社のプログラムを利用することで、道路や公園の放置フンを減らすよう取り組んでいる例もある」と話した。
レティンガーさんはボルツァーノの「失敗」を踏まえ、ポイントをこう整理した。「まず、全ての飼い犬を登録することが必須。それから、登録から照合までのサービスを一元的に管理しないとうまくいかないでしょう」
獣医師のヒントナーさんにPooPrintsの方法を説明すると、「自分の家はきれいにしても、外ではそうしない人も多いから」と感想を語った。
フン問題から見えるのは、私たちの「内と外」の振る舞いの差だろうか。